飴と鞭を使う人への違和感

世の中には、飴と鞭を使い分ける人がいます。

良い事をしたら、ご褒美。

悪い事をしたら、罰を与える。

なんとなく、この対応はおかしいよなって、

以前から違和感を感じていました。

hanaがいる会社は、

基本的に鞭ばかりですが、

最近は、飴ルールも少し適応される

ようになってきました。

なぜ、こんな風に「飴と鞭」だなと

感じてしまうかと言うと、

全てが、トップダウンで決められ、

現場の意見が取り入れられるような、

話し合いがないからです。

ルールを守れなければ罰すれば良い。

言いたいことがあるなら、

感情論でなく数値で示せ。

このような対応に、

人間味は感じられないですよね。

根本的に、人を飴と鞭を使って

都合の良いように操作しようという、

その考え方自体が、

相手に対して失礼だと思うのです。

このような対応をされたら、

信頼関係を築くことは困難になります。

「自分の思い通りに事を運ぼう」という、

傲慢さが見て取れる感じがして、

そういう空気を察しただけで、

「あー--、嫌っ!!」ってなります。

人の心は、いろいろと研究されていて、

意図的に操作することが可能な部分も

あるのでしょう。

けれど、その知識をどのように

活かすかは重要なことです。

本当の信頼関係というのは、

対等な関係性の下にしか成立しないと思っています。

どんな立場の人であっても、

命の価値は等しく、平等です。

尊重し合う気持ちがなければ、うまく行かない。

それは、たとえ相手が子供であっても。

オモチャやお菓子をあげることは、

喜ぶ顔が見れるので、

大人にとって楽しい事です。

けれど、頑張ったから

オモチャをあげるばかりでは、

ご褒美がないと、頑張る意味が

見出せなくなってしまうのではないか、

と思う事もあります。

「お金がもらえないなら、やる意味ない」

というような考え方につながったり。

なぜ、頑張ると良いのか、

自分に身につく能力や、

経験の尊さを感じられるように

声をかけていくことの方が、

大切なのではないかなと思います。

たまには、オモチャも良いけれど。

本当に、心からあげたいな

と思う時だけに止めておいても良いのかなと。

飴と鞭の扱いをされて育つと、

子供はそういう振る舞いを覚えます。

そして、同じことをしてしまう。

人との信頼関係の築き方を学ぶのは、

最初は親との関わりが

大きいのではないかなと思うのです。

では、信頼関係を築くには何が大切なのか、、

hanaは、人と心の繋がりや信頼を感じるには、

共感することが欠かせない要素なのでは

と感じています。

喜怒哀楽を共に感じること。

「同じ気持ち」を味わうこと。

味わえなかったとしても、

一緒に味わおうとすること。

これがないと、心の距離は縮まらない。

そんな風に感じています。

だから、飴と鞭を使い分けて

人を操作しようなどと考える人は、

他者が自分と同じように喜怒哀楽を感じる

等しい価値を持つ人間なのだ、

という体験や認識が乏しかったりするのでは

ないのかなと思う事があります。

(※個人の意見です)

もちろん、

説明されれば理屈は分かると思いますが、

感性の部分や、

体験を通した理解が不足しているのかなと。

こんなことからも、

やはり、「感じること」は

大切なことだなと思います。

飴と鞭に感じていた違和感。

こういう在り方は、

信頼関係を築く上で

悪い方に影響することを

覚えておきたいなと思いました。

お読み下さり、ありがとうございました。

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