仏教では、中道を行くのが良いとされています。
船が傾きすぎると、沈んで行くように、
何に着けても、極端に偏っていることは、
良くないなと、日常でもふとした瞬間に
思う事があります。
食べ過ぎ、食べなさすぎ、
飲み過ぎ、飲まなすぎ、
運動のしすぎ、しなさすぎ、
気にしすぎ、しなさすぎ、
挙げるといろいろ出てきます。
よく、嫌な事は考えない、良い事だけ考える。
こんなことを良いとする意見もあります。
これも、少し極端かなと思うことがあります。
「嫌な事は見たくない、聞きたくない。」
分かります。
心の準備ができていない時に、
怖い場面に遭遇したら、
逃げ出したくなります。
自分の中の嫌な部分とか。
ダメな部分とか、
普通は、直視したくないですよね。
そして、見なかったことにして忘れる。
蓋をする。
その時は良くても、、
自分の事すら誤魔化せたと思っても、
心のどこかで、そこにあることは知っている。
そして、何かのきっかけで芽を出し、
心を覆います。
だから、やっぱり偏らない方が良いです。
楽しい事や夢や希望について
考えることは素敵だけど、
苦しい事や辛い事に向き合うことは、
避けがちではありませんか?
けれども、そういうものと向き合うことで、
意識が拡大し、
視野が広がります。
自分の弱さやダメさと向き合うことが
できるようになると、
自分を許すことができるようになっていき、
周囲の人を理解し、温かい目で
見れるようになったりします。
それには、少しだけコツがありますが。
何事も、あまり極端にならず、
捉えていけたら良いなと思います。
hana自身、つい、
否定的になり過ぎたりすることもあります。
例えば、政府やマスコミを
つい、否定的に捉えてしまいます。
けれど、闇は気づきや成長のきっかけに
なるという役割として捉えたら、
必ずしも悪い側面ばかりではないことや、
広い視点で見た時に、
完全に平和で、何の問題もない
天国のような世界にいるよりも、
学べる事の深さや量は、
格段に増えるのかもしれない、とも思います。
だから、悪役の存在すらも、
見方を変えてみることで、
捉え方が極端に否定的になることを
修正することもできるのかなと。
物語でも、悪役がいないと、
盛り上がりに欠けるような気がします。
いろんな角度から情報を集めて、
それこそ、極端に偏らない視点で
物事を見ていくのは、
個人のセンスも必要なのかもしれません。
バランス感覚を見失わないように、
日々、気をつけたいなと思います。
お読み下さり、ありがとうございました。