友達の数とか気になってしまう、というお悩み。

こんにちは、hanaです。

今日も元気に過ごされていますか?

hanaは、仕事がメチャクチャ忙しくて

久々に残業してしまいました。

それでも、前に比べたら仕事を終わらせる速度が

すごく上がっているから、

以前ほど負担に感じなくなったかな。

このところ、本当に落ち込んだり

悩んだりすることがなくて、

時々、体の周期的なもので不快感や不安が

出てくることはあるけれど、

不思議なくらい、淡々としてるし

穏やかで平然としていられる。

悩みごとって、どんなことがあったかなって、

若いころを思い出してみると・・

友達の数とかが気になった時期があったな

ということを思い出しました。

「友達の数が多い方がいい」という考え方や

「人気者になることが幸せになること」

という価値観でいたとしたら、

友達が少ない事がコンプレックスになったり

不安材料になってしまったりしますよね。

私は、そんな風に感じてたことがあって、

今ではもう、

記憶が曖昧になるくらい、

時間が経ってしまいましたけれども、

経験したことなので気持ちは分かります。

当時はまだ、SNSとかが

今のように流行っていなかったので

露骨に煌びやかな写真を見たりすることは

ありませんでした。

現代の若者世代だとインスタグラムで

他の人のキラキラした楽しそうな様子を見て、

寂しくなったり、落ち込んだりとか。

ある意味、便利になったことで、

知らなくて良いことを知ってしまう辛さとかも

あるのだろうと思います。

そして、その悲しみって、

結構、やすりで心を削られるような

辛いものなのじゃないかなって、

感じ取りました。

けれど、そんな悲しみすらも

自分の本音や魅力に気づくための布石になったり、

見方を変えていく事で、

全然気にする必要がないことだったと

気づくこともできたりする。

それはそれで、

貴重な経験の一つだと思えたり、

自分次第で、嫌な経験ですらも、

宝物みたいに感じられるようにもなる。

本当は、幻想みたいな世界だから、

真剣に入り込みすぎなくても

いいのかもしれないしね。

hanaの目線で見ると、

そのキラキラしてるように見える人が、

本当に幸せかなんて分からないなと思うのです。

たくさんの人に囲まれていても、

実は寂しさを抱えているから、

キラキラさせて、外見を飾って

不安を消そうとしていることも

あるのかもしれないよ?

自分の弱みを知られないようにするために

鎧を身にまとっている状態は、

あまり幸せじゃなかったりする。

そんな人の根っこにあるのは、

劣等感なんだよね。

それはそれで、相手のことは

相手の責任だから、

考える必要すらもあまりないことだったりする。

けれど、苦しい状況の中では、

そういう違う角度からの見方を知ることで

楽になることもあるということも

経験から分かります。

誰かに認められないと

自分の価値を信じられないかのような状態では、

安心感が見つけられない。

なので、自分の軸を作っていくことが

大事になってくるのですね。

もちろん、キラキラしている全ての人が

不安に駆られていると決めつけたいのではなくて、

純粋に可愛い物やキレイな物が好きだったり、

単純に交流の中で日常を見せているだけの

人もいると思います。

人目を気にすることが

モチベーションになることもあるので、

その気持ちをうまく利用することで、

有効に活用できるなら良いし、

キラキラ自体が悪いとか言いたいのではなくて、

外側に価値を見いだす人には、

そういう人たちが集うから、

好きな人同士が集えば良いだけかなと。

それとは逆に、

できるだけ目立ちたくないという人もいたりします。

友達が少なくても

その友達を大事にしていたら幸せだし、

友達がいなかったとしても、

合わない人達に合わせるよりも

自分の深い部分とつながっていることで

満たされることもある。

そんなことも、型とか常識に囚われる

必要なんてなくて、

自分が幸せを感じられるなら

良いのだと思っています。

「これじゃダメ」と責める言葉で

自分を悲しませる必要はない。

そのままのあなたに

揺るぎない価値があることを

認められるのも、あなた自身だと思うのです。

外見的なことに囚われると、

比較や競争の世界に入り込んで苦しくなるし、

その中で勝ち抜くことに意味を見いだせなかったり、

そこから抜け出したいと思うタイプも当然います。

というか、私自身がそう感じています。

なんか、疲れちゃうのです!そういうの!笑

かつて私も、

友達の数が人の価値なの?と

そんな言葉を聞いて不安になったり、

寂しさとか感じた時期もありました。

今は、もう、

まるっきりそんなのどうでもいいって

気にもしないし、考えないです。

これは、強がりで言ってるのではなくて、

心の底からそうなのです。

そうじゃない人からは、

もしかしたら理解できないような

価値観なのかも・・・?

結論から言ってしまうと、

思考を止めるとですね、

そういうことすら、

なんにも考えなくなっちゃうのですよ。笑!

ちょっと、面白いでしょ?

そして、ただの囚われだったんだって、分かるのです。

そんな気づきを助けてくれる、

言霊瞑想のことをお伝えしていますので、

興味があったら見てみて下さいね。

そんな価値観、いつの間に身につけた?

友達って、数じゃない。

という当たり前のこと。

私の場合は、

一緒にいることが楽しい人と

深い部分で分かり合えればそれでいいし、

大人数の飲み会でワイワイ騒ぐよりも、

少人数で、そこに居る人しか分からないような

コアな話題で爆笑してるような世界が

「こんなこと話しているやつ、ここにしかないよねっ!!」

っていう世界に一つしかない場を感じられて、面白い。笑

これは、人によって違いがあるし、

良い悪いでも勝ち負けでもないから、

どっちでもいいのだけどさ。

そういえば、

友達多い方がいいっていう価値観は、

いつの間にか幼稚園ぐらいから

刷り込まれてたのかな??と。

刷り込まれてたなんて言うと、

陰謀っぽく聞こえちゃうのだけれど。笑

幼いころ、習った歌の中に、

「友達100人できるかな♪」という歌がありましたけど、

小学校に入ったら、

たくさんのお友達がいて、

全員と仲良くすることが素敵なことだと

なんとなく思ってたような気がします。笑

ですが実際に幼稚園でも小学校でも、

怖い先生がいたり、

いじわるな人がいたりして、

到底、全員となんて

仲良くなんてできなかった。

私は小学校時代、一度転校を経験していて、

転校した先の学校で

仲良くなった二人の友達と遊んでいたら、

その姿を見ていた、クラスのリーダー格の女の子に

「転校してきてすぐに威張らないでくれる?

私だって、転校してから1年は静かにしてたんだから。」

とか、意味の分からない因縁を

つけられたことがあったなあ・・・。笑

転校生って、目立つのですよね。

当時、そんなこと言われる意味が

まるっきり分からなかったから、

「え、私、いつ威張った??」みたいな感じで

首をかしげるばかりでした。

そんな風に、人によって物の見方も捉え方も

すごく異なっていて。

合わない人は合わないなと思います。

「なんとなく不安だから。」

「なんとなく自信がないから。」

という気持ちに動かされて

「こうした方がいいんじゃないか。」

「こうすべきなんじゃないか。」

という不安感に動かされて選択する時って、

あまり良い結果を引き寄せない

傾向があるなと感じています。

(嫌な予感というのは別です。

思考で不安を作り出している場合の話しです。)

不安をベースにして選択するよりも、

自分が心の奥底から

「こうしたい!」っていうことに

正直になって生きる方が、

結果的に自分を幸せにできるのだと感じています。

義務感で付き合うと

疲れる関係を持続させなければ

ならなくなるから、

それだったら、いっそのこと

付き合わない方がスッキリして、

嫌な気持ちも煩わしさも感じなくて済む。

その方が多分、相手にとっても良いのだろう。

それ位、さっぱりとした方が

清々しいなと感じています。

人にどう思われるかじゃなく、

自分が心地よいことを大事にする。

これって、大事な事だなと思います。

それでは、今日はこの辺で。

お読みくださいまして、ありがとうございました。

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