こんにちは、hanaです。
日々を楽しんで過ごされていますか?
今日は、職場で見かけたやり取りから、
ふと感じたことを書いてみたいと思います。
入職して間もないスタッフが、
年長のスタッフにこんな話をしていました。
「なんか、いろいろと問題を感じる部分ってありませんか??」と。
それに対して、声をかけられた人は、
「いやー、別に。そんなものかなって思ってるから。」
と、答えていました。
転職すると、前の職場との比較ができるので、
様々な問題点が目に着いたりすることって、
よくあることで、
「ああ、こういうところ変えたらいいのに。」
って思う部分はいろいろと感じることがあります。
世の中には、様々な意見の人がいて、
「まあ、いいじゃない。」と
穏和に済まそうとする人や、
苦痛に感じていることに対して、
「これは、問題だ。」と認識して
行動に移そうとする人もいます。
これらの事柄を少し距離を置いて眺めてみると・・・
問題視する態度
ルールや環境からもたらされるストレスに対して、
「これは、おかしい。」と感じることはあります。
それを問題として捉えて、
改革していこうとする態度を取る人がいます。
批判的、あるいは攻撃的にも見えやすい態度で、
その原動力になる感情は怒りになるため、
嫌厭されやすい側面があります。
大きく見れば、政治的な動きもそうですよね。
おかしな法律が可決されれば、
「これはおかしい。」と思いますし、
例えば、マイナ保険証の話しも、
「いらないよ。」という現場の声ときちんと向き合ってる?
と思うような形で進められていて、
導入した医療機関や薬局に支援金を支払う
という形で導入を進めようとする動きは、
やはり「おかしい」と感じさせるものの一つです。
穏和な態度
それに対して、
「まあまあ。別にいいんじゃないの。」
様々な事を問題視して争うよりも、
穏やかで平和な状態を好む態度もあります。
それは、争いごとは避けたいと思う態度で、
「いろんな事情があるのだろうし・・」と、
立場の違いを思いやる姿勢があり、
穏便に済ませられるため、
好まれやすい側面がありますが、
問題の先送りでしかないかもしれません。
二つの異なる態度
上記のような態度は、
個人の内側にも両方の側面がありますし、
それぞれ立場の異なる
個人間の特性として捉えられる部分でもあります。
その事柄によって、
マイナ保険証のことは腹が立つけれど、
都知事の学歴詐称は別に気にならないとか、
内容によって態度が異なることもあります。
良いとか悪いとかではなく、
人によって価値観は様々なので、
いろんな考え方の人がいて、
それが、自然な状態なのでしょう。
また、エニアグラムの学びからは、
そういった事柄に対して、
積極的に改革しようとするタイプの人もいれば、
平和な態度を好む人もいることが理解でき、
どちらのタイプもいてくれるから、
社会が成り立つのだということを感じます。
どちらにも良いところと悪いところとある
問題視する態度は、
現実と向き合い「より良くしよう」という
前向きな態度であり、
そういう人がいなければ、
世の中により良い変化が起こせないでしょう。
そういう意味で、とても貴重な存在です。
ですが、一歩間違うと、
批判的で攻撃的な態度にもなり、
争いが勃発しかねません。
それに対して穏和な態度は、
争いを好まず、平和を望むという
これもまた、人として忘れてはならない
理想的な態度ではありますが、
一方では、
自分達を苦しめるような状況を放置し、
ただ、我慢して耐える状況をつくってしまい、
都合のいい人間として利用されやすくなる
という側面があります。
中庸という在り方
「ものごとをジャッジするのは良くない」とか、
「ありのままを受け入れる」とか、
言葉だけをみていくと、
穏やかな態度の方が良いことのように
見える側面があるかもしれません。
けれども、問題点があるなら、
きちんとその内容を見ていく必要性はあり、
その上での対応策を考えていくという態度は
より良い社会をつくる上では
欠かせないものでもあります。
穏和な態度も問題視する態度も
双方ともに、良くも悪くも捉えられるもので、
優劣があるものではないのだと思います。
それぞれの違いにこそ力や魅力があり、
それらを利点として捉えるなら、
どちらの態度にも良い部分があることに気づき、
お互いの良さを取り入れながら
意見の違いに耳を傾け、
足りなかったことに気づいていくことが
必要になるのだと感じます。
自分も相手も否定するのではなくて、
両方を尊重していく在り方が、
よりよい世界をつくっていくのでしょう。
全体的に優しい波動の中で
問題を直視しつつも、
批判的になりすぎず、立場の違う相手の状況を
理解しながら話し合いを進めて行く。
双方の態度がうまく調和されると、
このような態度になっていくのかもしれません。
問題と向き合うことから逃げずに、
けれども、怒りや攻撃的な態度で
誰かを傷つけたりするのではなく、
そうなっている状況を理解する努力をして、
その上で、どうしていくべきなのかを探っていく。
それは、問題視する態度の良い点と
穏和な態度の良い点を
両方とも取り入れて、調和させた状態。
違うタイプ同士はお互いの欠けた部分を
補い合う事のできる関係性にも
成り得るのですね。
問題視する態度の方の学び
エニアグラムの視点を参考にして、
問題視する態度の方の学びについて
見ていきたいと思います。
「こうあるべき」というように、
秩序を重んじることは、
世の中を適正な状態に保つために必要なことです。
それを一貫性をもって守る人がいるから、
世の中が円滑に流れていく側面があります。
一方で、批判的であることは、
裁く対象から自分を切り離し、
分離をもたらすことでもあるので、
違う立場や意見の人を受け入れられるという
穏和な方の良い部分を知ることで、
他者の立場から見たらどうなのかという
客観的な分析につなげることができそうです。
自分の内側に批判的部分を内包している状態は、
見方を変えてみると、
物事に対し、誠実で正直であり一貫性をもって語り、
それを行動に移せるという信頼できる人柄でもあり、
その部分が美徳でもあります。
意見の違う人の立場に立ってみる、
という視点を取り入れることで、
さらに、多くの人々から信頼を得て、
影響力を得ることができそうですね。
完全であることは、
この世界では難しいことなので、
自分や他者の不完全さを許容し、
内面での平和を得ることが大切になります。
受け入れることや心を開きリラックスすることを通じても、
知性を発揮できることが、
より、理想的な状態と言えるかもしれません。
穏和な態度の方の学び
同じく、エニアグラムの見方をヒントに考えていくと、
穏和な方にとっての学びには、
「私にも隠れた力がある」ということを
感じ取ることができることです。
穏和な態度は、
平和で安全な世界を求める態度です。
そこは、美しい世界なのですが、
世界に対して積極的に働きかけることへの関心が
薄れてしまう可能性があります。
問題視する態度の人の考え方に触れることで
状況を具体的に理解し、
受け止めることからの学びとして、
「私にもできることがある。」
という気づきがあるかもしれません。
行動する力が自分にもあることを
思い出すきっかけになっていく可能性があります。
「自分にも力がある」という感覚を取り戻すことで、
自立することや自由な自己主張につながり、
必要な場面で「ノー」を表現することの大切さに気づき、
体現できるようになるかもしれません。
違う個性を持つ人々が調和していくには
人と人が力を合わせて協力関係を
うまく築いていくためには、
こんな風に違いを理解して
受け入れることが大切になります。
敵対的な態度からは、苦しみが生まれ、
摩擦が生じ、傷つけあったり憎しみを感じたり
という状況が作られてしまいます。
一方で、我慢や忍耐が美徳というような
美しい言葉に飲まれて、
自己犠牲を払う中から生まれる代償もあります。
互いの良い部分を尊敬しながら
相手に目を向け、言葉に耳を傾け、
意見を取り入れていくことで、
良い社会につながっていくのでしょう。
これは個人の内側で育むことができるもので、
個人の内側の変化が、外側の態度になっていきます。
違いを尊重し、
良い部分から学ぼうとする中に
成長の種が隠れているかのようだなと。
今のところは、そんな風に感じています。
そんなに理想的にうまくできなくても、
それはそれで良いのだと思います。
みんなが学びと成長の過程にあり、
そんなことも含めて、
宇宙は全てを受け入れ、愛してくれています。
それでは、今日はこの辺で。
お読みくださいまして、ありがとうございました。