
こんにちはhanaです。
今日は、無償の愛というフレーズが2回ほど
自分の中に飛び込んできました。
たまたま目につくタイミングに
目の前に現れたので、印象に残りました。
あー、これは何か意味がある。
そんな気がして、無償の愛という言葉について
想いを巡らせてみました。
グルジェフの本にも印象というのを
論じている箇所がありました。
グルジェフの本・・
同じところを何度も読んでしまって、なかなか進まずー。笑
この後が面白そうな気がするので、
楽しみながら読んでいます。
それはさておき、
無償の愛というのは、
見返りを求めない愛であり
無条件で受け入れることであり
高次元存在にとっては
その状態が当たり前のこと。
それは全てが一体感に包まれて
自他の区別が少ない世界だからこそ
離れていても1つだと知っている。
というか、つながっている。
分離の世界では
それはなかなか分かりにくいことなので
自他の区別があるところから
嫉妬や優劣の意識が生まれてきたりして
互いに認められなかったり
不満が出てきたり
ネガティブな感情に飲まれては
嫌になってしまったりする。
お互いが十分に理解できないからこそ
起きてしまうことではあって
相手の行動の動機となる感情の動きや
きっかけとなった出来事やその影響が
鮮明に感じられるテレパシーの世界では、
自分事のように分かるから
愛しか湧いてこないのですよね。
難しいことではありますが、
もしも、自分事のように
深く他者を理解できたとしたら
憎み合うことはできなくなるように思います。
映画を見ていると
主人公の気持ちや行動理由が分かって
感情移入したりできるので
主人公と一体感を感じたりして、
主人公に対して憎しみとかを感じることは、
ほとんどないのではないかと思うのですが、
あなたはどう思いますか?
例え、主人公が犯罪を
犯してしてしまったとしても、
その体験に伴う強い悲しみや恐怖や
苦しみや憎しみなどの感情が
自分事のように理解できれば
そこに出てくるのは、
批判や憎しみや嫌悪よりも
思わず主人公と一体化して
真剣に観入ってしまう状態になる。
これは、頭の理解を超えた、
体験に近い理解ではないかなと。
おそらく、人が無償の愛に
近いものを持てるとしたら
人を理解しようとする努力によるもので
生まれつきの共感能力にも
よるかもしれませんが
できるだけ深く他者を知り
ハートの奥から包み込む気持ちで
受け止める時なのかなと感じます。
グルジェフ曰く、
ある人は知性で理解し
ある人は感情で理解し
ある人は感覚で理解する
やはり分離の世界なので
理解といってもそれぞれに違うのでしょう。
ただ、魂が震えるような感動というのは、
もしかしたら、最も近い共通認識が持てる
そんな部分かもしれない。
話を無償の愛に戻しますね。
おそらく、無償の愛は
深く理解しようとすることだけでなく
計算も何もなく、思わず勝手に体が動いていて
気づいたらそうしていた。
のような場面にも
現れるのかもしれません。
たまに、線路の中に残された
知らない人を助けて、
助けた人が亡くなったという
ニュースを見かけることがありますが
あんな感じに近いのかもしれません。
欲とか下心とか損得勘定とか
見返りを求める気持ちとか
そんなものなしに為される行動。
無償の愛で行動する人は、
損得や勝ち負けが眼中にない。
だから、そんな人は、
誰にも傷つけることができない。
たとえ、競争に負けて蹴落とされても
勝った人に対して、
「良かったね」と相手の幸せを想って
心の奥底から笑顔になれる。
そんな人には思わず魂が反応する。
そんな気がします。
それにしても、無償の愛という言葉のシンクロは、
私に何を気づかせたかったのだろう・・?
結局分からず・・笑
そのうち、分かるのかな。
それでは今日はこの辺で失礼します。
お読みくださいまして、ありがとうございました。