こんにちは、hanaです。
いかがお過ごしですか?
今日は、少し自分を振り返ってみようかと
思っていますので、
良かったらご一緒にどうぞー。^^
子供の頃から身につけ、作られた壁の存在。
サラリーマンとして生きている人が
多い中で生まれ育つと、
自分のサービスを作って売るとかって
少し変わった部類に入るのかもしれません。
私は、子どもの頃から少し変わっていて
自分の自然な感覚に従うと
人から咎められたり否定されたり、
そんなこともありました。
それを今更どうとか言うつもりはないです。
ただ、子供時代には、いろいろな
自分を探るためのヒントが隠れているので
振り返る価値があるように感じています。
・・・小学生時代は、
仕草だったり靴下の履き方だったり、
そんなことが人と少し違っていたようで
「それはやめなよ。」
と止められることがあったなー。
それはとても些細なことで、
机に頬杖をついて座っているだけで
ぶりっ子だと言われたこともあった。
(誰でもする姿勢じゃない・・?)
私には、意味が分からなかった。
そもそも、ぶりっ子ってなに?
どういう意味なのその言葉。
自然にしていたことを指摘された時、
実際、何も悪くないのに
なんでこんなことに気をつけなきゃならないのか、
私にとっては意味不明でした。
多分、周りから見ると
少し滑稽な部分があったのだと思うから、
友達は親切心で言ってくれたのだろう。
鏡でも置いてあれば分かりやすいけど。笑
自分のことは、よく見えないことがあるからね。
何かが人と外れていると
同じ仲間になるように修正されるような
そんな封じ込める社会の中で
素直な感覚や自然な振る舞いをすることよりも
人に合わせること
嫌われないように自分を律すること
そんなことを大切にするようにと
なんとなくの空気感や
他人の目というものから感じ取って育った。
そこから外れることって、難易度が高い。
身につけた癖から自分を解き放つことは、
大変なことです。
変化には恐怖がつきものです。
迷いとなりブレとなって自分に蓋をしている。
自分の感覚に従うってことは、
今までと違う行動の選択だから、
1つ1つが練習みたいなもの。
環境的な要因もあって、引き戻そうとする力は
私に行くなと安全装置を
起動させるように促してきます。
安全装置というのは
ぶっ飛んで壊れないようにしてくれているもので
それは理解できる。
どんな風に受け止められているかは
人によりけりだと思うけど、
私が先天的なギフトとして頂いてきたものは、
敏感な気質で、とてもビビりなこと。笑
そこを乗り越えること自体が
ある種の呪縛みたいなものから
本来の自分に戻ることの鍵になっている。
今自分が乗り越えるべきものは、
ここなのだろうと思う。
自分の中に出てくる恐怖を乗り越えること。
難易度が高いなーーーっ!!
具体的な行動にすることが、
自分にとっては、本当に大変。
竹川さんとの出会いと変容の促し
竹川さんと話していると、
竹川さんはいつも普通の人とは異なる視点で
普通の人とは異なるアドバイスをくださる。
それはいつも「魂に従う」という話しで、
そこが大切なのだと言われる。
そんな話は、他の人はしないし聞いたこともない。
けれども、この人は
普通の人と違う視点で物事を捉えていて、
その視点で私のことも見ている。
私が竹川さんに出会ったのは
やはり何かの運命なのだと思う。
それまで何の接点もなかったのに
インターネットという
時空間を飛び越える装置を介して出会い、
話してみたら、なんとなんと、
卒業した小学校、中学校、高校が
すべて同じだったことが発覚!!
お互いにすごいシンクロニシティを感じました。
高校時代、超多忙なスケジュールの合間を縫って、
わざわざ吹奏楽部まで後輩指導のために
足を運んでくださった
神がかり的な卒業生の先輩は、
なんと竹川さんと同期だった・・・!!
日本だってそれなりに広いのに・・・
こんなことってある??!
こんな、あり得ないシンクロニシティから、
運命の導きを感じます。
竹川さんの実家の近くの公園は、
私もよく知っている。笑
こんな不思議なことってあるのですね。
同郷の人って、
なんとなく同じ匂いがするというか、
ノリが似ているというか、
言葉にならない馴染みの感覚が
あったりしませんか?
竹川さんの近くにいると、
そんな馴染みの感覚もありつつ、
何か特殊な磁場に触れているかのような
他の人にはない、不思議な感覚もあるのです。
これでいいのではないかと
非常識な思いを肯定するかのような感覚に包まれる。
今までに出会ったどの人とも違う。
見た目も変わっているけれど中身も違っている。
私が思うのは、
おそらく竹川さんも宇宙人だということ。笑
竹川さんも子どもの頃にUFOを見た、
それどころか追いかけられたと話していた。
追いかけられたことは、私はない。笑
やっぱり普通の人じゃない。笑!!
こんなことを書かせて頂いていますが、
竹川さんには、私が自分の力では
どうしようもなく困っていた時に、
竹川さんにとってはリスクしかないのに
助けて頂いたご恩があります。
諸事情により、メルマガを書くための、
配信スタンドが使えない状況があって、
どうしたらいいのだろうと頭を抱えていました。
そうしたら、
「未来型のを使っていいよ」と言って下さって。
竹川さんにとっては、なんのメリットもなく
どこの馬の骨とも分からない私に、
スタンドを使わせるなんて
面倒なことだし、リスクしかないのに、
「hanaさんなら使ってもいいですよ。」と
言ってくださって。泣
今はもう、お陰様で
自分の配信スタンドを使えるようになり、
お借りしなくても大丈夫な状態になっています。
あの時の出来事に本当に感謝していて、
竹川さんの懐の深さに感動しました。
私の竹川さんに対する信頼は、
その出来事からくる部分が大きいです。
外れた感覚と己の道
私が自分の感覚に従おうとすると
なんでか普通から外れてしまう。
それは、世間と違う方向に歩みを進めることで、
そちらに行くと独りぼっちになったかのような
「え、こっちは違うの?」と
後ろを振り返りたくなるような感覚に包まれる。
それは、例えるなら、
学校の集会で体育館に行くようにと促されているのに、
1人だけ中庭に向かって歩いているかのようでもあり
自分が行く方向を
間違えているような感覚になり不安になるのだけど、
私は体育館ではなくて、
中庭に行きたいのような感じ。
それは、体育館で体育座りをして
先生の話を聞くよりも、
外の空気を感じて、風に当たりながら、
寝転んで空を眺めることを選びたいような、
そんな感覚だったりする。
こっちに来なさいの声は
大分小さくなってきたけれど。
世間とは違う外れた方向は、
足が重くて進みにくい。
たまに全ての人間関係をリセットして
異世界に行きたくなる。・・・笑!
それくらい、この世界は生きにくい。
なんでそうなるのと
理解できないことがまかり通る世界。
だけれど、自分の魂に従うという決断は
自分にしかできないもので
重しを外すかどうかも自分の選択。
使ったことのない翼を羽ばたかせて中庭に出て、
そこから空に羽ばたき、上空から学校を眺めたら
なんと小さな世界に囚われていたのかと思うような、
そんな場所に行くことが私の夢なのかもしれない。
本当に空を飛ぶのが私の夢ではなくて、
あくまでも比喩です。
(分かるよね・・。笑!)
今いる世界が小さく見えるような
そんな現実を生きること。
それは、囚われないことでもある。
私のところに来る方に伝えたいことは、
瞑想を通して内面が変化することで
今までと違う自分を生きる選択を
見いだすことができるようになること。
みんなと一緒の道じゃなく、
己の道を見出していく。
そんなこと。
(・・・一緒でもいいんだけど、
自分の感覚に気づいて進むような感じかな。)
今日は、この辺で失礼します。
お読みくださいまして、ありがとうございます。