自分の中の自分。本質って何・・?

こんにちは、hanaです。

今日の記事はちょっと小難しい系に

なってしまったかも・・・と、

書いた後に思いました。

そんな話も大丈夫な方、歓迎です!^^

閉じ込められた本質

社会の中で求められた自分の形。

知らず知らずのうちに、

そんなことに自分を適合させて

人は生きている。

あなたはもっと、よく勉強した方がいい。

あなたはもっと、感情を抑えた方がいい。

あなたはもっと、人の話を聞いた方がいい。

あなたはもっと・・・

自分を見失った先に待つのは

本当の望みがよく分からなくなった姿。

「これはしない方がいい」

「やめておきな」

「危ないよ」

飛び出そうとすると禁止する声。

守ろうとしているのか束縛なのか。

言われる度に感じる疑問。

籠の中に閉じ込めることは

可能性を奪うことで

幸せを願うのとは逆のこと。

誰のための言葉なのだろう。

籠から出したら、戻ってこないかも・・?

そんな不安に影響されているのは誰だろう。

もっと、自分の良さを信じていいのにね。

「あなたのため」という偽善は

至るところにあって無自覚に使われている。

それは、人間関係を円滑にする

潤滑油にもなるけれど、

人を縛り付ける鎖にもなるから 

無私の心で使わないと

ちょっとこわい言葉だなと思う。

誰かのためでなく、自分のために生きよう 。

それが、結果的に誰かのためにもなる。

自分が何をしたら幸せになるのかを

知っているのは自分だけだから。

自分を幸せにする責任は自分にある。

例えば、子供のために生きたとして、

生きがいを押し付けられた子供は

果たして幸せでしょうか。

例えば、旦那さんのために生きたとして

自分のことを差し置いて

一生懸命に尽くしたとして、

「こんなにしてあげてるのに。」と

不機嫌になられたら、

旦那さんの気持ちは、重くなるのでは・・?

親切は、無私の心でなされなければ

ただの足枷にしかならないのかも・・・

命を奪われるほどの危険でなければやってみたらいい

これは確か、

ロケットを開発している植松さんの言葉。

失敗を通して学ぶのだから

あまりにも失敗を恐れすぎたら

何もできないまま人生は終わってしまう。

否定も批判も

根底にあるのは

自己防衛や無知や無理解

それらは、気になってしまうけれど

本当はあまり気にする必要はないこと。

自分の胸に手を当てて

内側の感覚を確認する方が大切。

何が食べたい?

何を着たい?

どこに行きたい?

・・・それは、どこから来たもの??

家族の影響

周りの友達の影響

職場の影響

メディアの影響

コミュニティの影響

どこまでが協調性による産物で、

どこからが自分の意思なの?

どこまでが誰かへの共感で

どこからが自分の感覚なの?

線引きなど要らないのかもしれないし

つながりの中で生きれば

生きるためには困らない。

ただ、あなたをあなたとして

ここに連れてきた

命の輝きとは何だったの?

自由意志とは?

自分の意見とは?

それは思わされているの?

あなた自身の意見なの??

考えると迷宮入りしそうなこの問い。

魂の願い。生まれながらに持ってきたもの。

魂の願いについて考える時

自分の本質について

立ち戻ることを要求される。

生まれながらに持ってきたもの。

エニアグラムでも

本質について書かれているし、

グルジェフも、人は固有の性質を持って

生まれてくると述べている。

それは一体なんなのか。

根源にあるもの。

自分を動かすもの。

エネルギーの源。

それがなければ動かなくなる

私達を生かしているもの。

印象がなければ

一瞬で死ぬというのはどういう意味?

私を私にしているもの。

生かしているもの。

命そのもの。

本当の自分を見つけ

自らを覚醒に導くには

それらの後天的に身につけてきた

社会に適応するための装備を

自分だと思っている偽りのものを

一度脱ぎ捨てる必要があるのだと言う。

自分を知るためには

自分でないものも必要だった。

そして、自分が自分であるところに

焦点を当てていく。

生まれた時の星の配置に表されるように

自分の位置や本来的な役割は

ある種の方法で導き出せる

ものなのかもしれない。

エニアグラムはそのヒントを

提供できるのかもしれない

ただし、影響されすぎることもない。

それは、悠久の時の中でも

宇宙において、その星の配置が同じに

繰り返されることが二度とないように

唯一無二のものであり

一人一人に当てられた贈り物で

最後は自分自身の感覚で

つかみ取る必要があるもの。

グルジェフは、本質は時に、

眠っていたり死んでいたり

思っているよりも崇高なものではないという。

育てる必要があるのだと。

(死んでないことを祈ります。)

人格に埋もれた本質を探す。

これは難しいことに感じてしまう。

必要がなくてもやっていること。

理由も説明できないけれど

ただ純粋に好きなこと。

していると満足すること。

機嫌が良くなること。

こんなことの中に

あなたがあなたらしく

生きるヒントが隠れている。

理屈じゃ説明できないようなこと。

魂の望みが分からない。

自分のしたいことが分からない。

そんな時には、

自分が普段していることの中を

よく振り返り見つめていくことや

人生自体を振り返ること

子供時代を思い出すことや

時間や労力を割いてきたことを

ヒントにしていくと

何かが見えてくるかもしれません。

それでは、今日はこの辺で失礼します。

お読みくださいまして、ありがとうございました。

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