
こんにちは、hanaです。
いろんなことがあるけど、楽しんでますか?
私は、絶賛子育て中でございます。笑
今日は、そんなエピソードから書いてみよーかと。
小学校高学年くらいになってくると
人間関係についての理解が
大人に近づいてくる。
子供は、さりげなく
大人の言動をよく見ている。
上の子は中学一年生。
私に全てを語るわけではなくて
いろいろ話題を選別しているようだし
親の私にも気を遣って、
悪く思われるようなことは言わない。
いつの間にか成長していて
賢くなっているなと思う。
お友達の話を聞いたり、
お友達の親と自分の親と見比べながら
いろいろと感じるところがあるようで
最近、パパのこともパパのいないところで
さりげなく話すようになった。
パパは親心からいろいろと心配して
子供の行動に制限をかけるから
フラストレーションが溜まるのだと
側で見ていて思う。
制限されると嫌気がさすのは
きっと誰もがそうなのではと思う。
それが、納得できる理由があってのことなら
上の子も理解するだろう。
ちゃんと話を聞ける子だから。
けれども、一方的な考え方の押し付けだと
当然反発する。
『一事が万事』
この言葉、決めつけるようで
あんまり好きじゃないけど。
・・そういうことも少しあるかもな。
映画に行きたいんだけど。
上の子「映画を見に行きたいんだけど、行ってもいい?
ちょっと、部活と時間が重なってるんだけど。」
こんなお伺いをする時は、私のところに来る。
hana「え?どうするの?部活。行かなくて大丈夫なの?」
上の子「うん。途中で早退すれば間に合うから。」
hana「あ、そう。別にそれで大丈夫なら、いいんじゃない。」
と、こんな感じで進んでいた話。
たまたま会話をパパに聞かれて、
パパ「何言ってんだ。部活サボって。ダメにきまってんだろ。」
上の子「・・・・。はい。」
・・・確かにね。
言いたいことは理解できるよ。
「最後までやり通すことの大切さ。」
教えられてきたよね。
昭和世代は、終身雇用の時代だったし。
中学時代のこと
私達が中学の頃は、
部活をサボるなんて許されなかったよね。
そんな価値観に縛られる必要なんて
あったのかしら・・・?と、
今の私は思う。
「なんで、嫌な目にあっても
真面目に頑張ってたんだろう。
全然、重要じゃなかった。
途中で止めてたら、あんなに傷つかずに済んだのに。」
って、卒業後に感じた記憶がある。
私は、当時の部活で
一部の同級生から嫌がらせを受けてた。
(イジメと言ってもいいかもしれない。)
買ったばかりのTシャツを盗まれたり
背中にバツ印にテープを貼られたり
早退するだけで罵られたりした。
言い返しても止める気配は全くない。
部活の顧問なんて名前だけで、
終わった後に報告を受けるだけ。
部活の様子を見に来たことは一度もなかった。
そんなことをしてる一部の子達は、
他の子達からの信頼も失い、嫌われていた。
部長に立候補して落選した時は怒り狂って、
次は、部長になった子の悪口を言い始めた。
女のイジメって陰湿で嫌気がさした。
あの頃の自分には「やめていいよ」って
言ってあげたかったなと振り返って思う。
親にも心配かけたくなくて話せなかった。
自分が弱いからだって、
自分を責めたこともあったけど、
そんな必要ないって言ってあげたい。
当時は分からなかったけど、
後になってから原因を振り返って
試験の成績が原因だったと気づいた。
そして、自分の内側にも原因はあった。
自分を責める思考の癖・・。
自分を責めると外側にも反映される。
いつの間にか、外部にそれを許す・・。
まずは、これを変えていかなければ、
状況は変化せず、
環境を変えても同じことが繰り返される。
自分に危害を加えるものを許してはいけないし、
受け入れる必要もないよ。
それが、自分の思考なのだとしたら、
少しずつ、変えていこう。
自分を変えることはできるから。
傷ついた経験も
今の自分をつくる宝物になったから、
それはそれで、無駄ではなかったな。
行動を制限する態度と、小さな不満の蓄積
夫は、今でも大事にしているらしい価値観。
悪いとまでは言わないけど、
古いかもね・・?
それで、それ以上は何も言わずに
映画の日を変更した上の子・・・。
すごく不満そうな顔をしていたけど、
それ以上は何も言わなかった。
こんな小さな出来事が、
小さな不満を生んでいくよね。
中学生くらいになると
周囲の状況は結構見えているもの。
その集団の中で、
どんな振る舞いをしてはいけないのか
どんなことは許容されるのか・・。
他のお友達もサボってる、とかも含めて。
上の子はしっかりしていて、
その辺りの見極めができる子だと思うし
そのように信じている。
私自身、中学時代に親の言いつけに
従っても失敗した記憶があるし、
何よりもその場の空気を実際に知っている人間が
一番よく分かっているものだと思う。
だから、サボりになると分かっていても
この子が大丈夫だと判断するなら、
それは大丈夫なのだと思うし、
部活をサボったからと言って
人生がダメになるとも思わない。
なんでも真面目にやり通すという価値観に
苦しめられたからね。
むしろ、サボることもできない方が、
無理をしすぎてしまったり
自分を大事にできないこともあるのではと思う。
夫は、良くも悪くも
自分が思ったことを突き通すところがあるから、
いろいろと周囲の大人に強く言われて育って、
それで丁度よかったのかもしれないけど。
上の子はそうじゃない。
自分のしたいことを
大事にすることって大切だよね。
そう思うから、したいことを平気で制限する
その姿勢はどうなの?と思う。
そんな場面を見ていたら上の子が可哀想で、
夫を説得しようかとも思ったけど、
上の子はそれを嫌がった。
「ママ、いいよ。黙ってて。」って。
・・・我が子ながら懸命な判断だと思う。
夫に意見をぶつけたところで・・
私も上の子も、きっと余計に嫌な気分になる。
(フキハラって言葉、よく作ったな。・・笑)
なんとなく、やり取りの先行きは見えてたし。
だから、今回は何も言わずにいた。
私と夫が言い合う姿は、
上の子にとって何よりも見たくないもの。
真面目であることを悪いことだと
言いたいのではないし、
サボらないことも大切なことだと思うよ。
それは、何に対してもというよりは
そのなすべき事がとても大切な事で、
人生にとって影響を及ぼすようなことなら、
しっかりやり抜くことは必要なことでもある。
だから、「サボらないことが大事。」
という解を何にでも当てはめるのではなくて、
これは自分にとって大切にしたいことなのか
ということを自分に問うていくことが
大切なんじゃないかな。
夫には、夫の言い分があるのだと思う。
それもそれで、一理あるのだろう。
多分、正解は一人一人異なる。
誰かの言うことに従ったり
合わせたりすることで
自分の大切なことや本当にしたいことが
分からなくなることが
悲しいことだと思うから、
不要な制限はかけたくない。
もちろん、その子の個性によって、
どこまで任せられるのかというのは、
判断が分かれるところだと思う。
上の子は、小さな頃から
言いつけも素直に守れたし、
その理由も理解できる子で、
して良いことと、ダメなことの見極めが
自然にできていた。
約束もきちんと守れるし、
確認しなければならないことは、
その都度、聞いてくれた。
しっかり者で手がかからない上に、
下の子の面倒もよく見てくれて、
この子には、とても助けられた。
だから、私の上の子に対する信頼は厚い。
「この子なら、大丈夫。」
そう思えるから、任せられるのだと思う。
下の子は、タイプが全然違うから
解釈に少し悩むことがあるけど、
この子のことも自由にさせてあげられたら、
多分、私より器の大きい子だから、
面白いことが起きるんじゃないかと
思ったりもする。・・笑
子育てって、子供を信頼することが
とても大切な気がするけど、どうなのかな。
それでは、今日はこの辺で失礼します。
お読みくださいまして、ありがとうございました。