
こんにちは、hanaです。
最近、空が黄砂で黄色っぽい日が多い。
黄砂は大陸の砂漠の砂が風に乗って
飛んでくるのだとか。
砂漠の砂って石英でできているんでしょ?
石英って、クリスタルの成分になってるやつだよね。
どうせなら、飛んでくる時に
キラキラしてたら綺麗なのにねー!
(それはそれで、目がチカチカすんかもよ。
それに、汚染物質とかいろいろくっついてるらしいよ。
って、そんなこと、知るかー!!)
昨日、珍しく包丁で親指を切ってしまいました。
滅多にそういうことはないのですが。
指の怪我って仕事もしにくくなるし
意外と厄介なんですよねー。
あーーあ。なんか、最近・・
やーめた。愚痴はやめとこう!
という訳で、本題に入りまーす。
ネガティブになりやすい体からの影響
ネガティヴ方向に揺れやすい時は、
体からの影響を受けている。
そのようなことを感じたので
改めて栄養をしっかりと
摂ることの重要性を感じました。
古い過去記事に書いていましたが
特に女性の場合は、
鉄分の不足による感情の揺れやすさ
というものがあると感じてきました。
それで、鉄と性ホルモンの間には
何か関係がありそうだと感じてきたのですが
なかなか見つけられずにいました。
あとは、精神を司る
ドーパミンとかの神経伝達物質も。
この前偶然、シトクロムという酵素が
関係しているらしいことを知りまして、
鉄とタンパク質が組み合わさったような物質で、
性ホルモンの生成にも関与しているらしく
「これだ!!やっと見つけた!!」って
嬉しくなりました。笑
鉄だけでなく、タンパク質とビタミンCの
摂取が大事らしいので、
気をつけようと思います!
生理前の不調とか生理痛が出やすい人は
気を付けるといいみたいです。^^
体と魂のこと。
体は、魂の乗り物であり
体の中にいるから現実を感じるし
体があるから行動できる。
私達は、体というフィルターを通して
感じる世界に住んでいる。
感情や感覚もそうで
体を通して感じている。
神経伝達物質というものが作用して
快不快、喜怒哀楽が生じる。
どんなに繊細な感情も同じ。
体の内側からの景色は
「私」が主語になり
私が感じている。
私が考えている。
私が怒っている。
のように、感じているものは
「私のものだ」という幻想を感じている。
「幻想」というのは、
この体がそもそも私ではないから。
私の本体は体ではない。
それは、ただ惑星に属し、
いつかは離れるもの。
体を通して体験すること。
それ自体を楽しんでいる存在がいる。
それは、たとえば、
この体がこの仮想世界に住むための
ゲームに例えると
コントローラーのようなものだとして、
本当の私は、
コントローラーに接続して
その様子をただ眺めている
別の世界の存在。
本体は別次元に存在している。
それは、あたかもゲームの世界と
現実の世界が違うかのように。
そして、本当の世界を見てきた人がいる。
それが、肉体の影響を離脱した
聖者とか覚者と言われる人々。
彼らの影響力は凄まじく、
歴史に名前は残すし、数千年に渡り、
何億人という人々に影響を及ぼす力を持つ。
本当の世界は真如の世界と言われる。
そして、見てきた人を如来というらしい。
彼らはすでに人間を超越していて、
この世界の法則に縛られていない。
普通の物差しで測れる存在ではない。
彼らが居てくれるだけで、
この地球にとって、
どれだけの救いになっていることか。
感謝が尽きないし、
私も少しでも近づくようにしよう。
私達は夢を見ているようなもので
あまり真剣になりすぎると
感情の荒波にも飲まれやすくなる。
感情は、時に暴力的になることもあり、
そのまま放置するのではなく、
光に変えていく必要がある。
それこそが人間の役割であると
エメラルドタブレットに記載があった。
もちろん、感情の荒波が楽しいんだから
それでいいという人もいるだろう。
苦しみも怒りも悲しみも。
それ自体は辛さをもたらすけれど、
学びも頂けるもの。
ただ、あまり楽しくない感情に
苦しくなる時は
少し俯瞰した視点に切り替えると
楽になったりする。
超冷静な目で自分を俯瞰する。
感情を交えずに物事を眺める。
これがなければ
こうでなければ
なぜこうならない
こういう執着にとらわれると
苦しみが増幅し
怒りとか憎しみとか
不安とか焦りとか
はたまた自己肯定感が下がるとか
そんなことに陥るかもしれない。
ただ、それがゲームの
世界の出来事だとしたら?
とりあえず今は、そういう設定になってて、
その気持ちを感じるという
体験自体に意味があるらしい。
んじゃ、何を学べる?
みたいに。
少し冷静に見られる。
扱いにくい感情も
自分を高めるものとして扱うことで
より成長につなげられる。
ネガティブ感情はまさに燃料。
何かを手に入れることだけでなく
手に入れないことで
聖域を作るという在り方もある。
たとえば、憧れているけれど
行けない場所があるとする。
シャンバラとか地底世界とか
伝説として残るけれど
実際には存在しないかのように見える。
けれども、
違う次元にあるのかもしれないとしたら
全ては周波数なのだとして
ごく稀に行ける人がいるとしたら
そこに見合う自分になれば
周波数を合わせられるのかもしれない。
こんな感じで
例え荒唐無稽な話に聞こえたとしても
聖域という憧れを持つことは
それ自体が自分を高める動機にもなる。
だから、それはそれで楽しい。
憧れを抱いているというのは
それだけで素敵なこと。
それでは、今日はこの辺で失礼します。
お読みくださいまして、ありがとうございました。