
こんにちは、hanaです。
今日は久々に学生時代の友達が
遊びにきてくれました。
私達は昔から歩くのが好きなので、
会うとたくさん歩きます。
今日は山の上の道を通って
二駅分くらい歩いてきたのですが、
お天気も良くて空も綺麗で心地よかったです。
お散歩しながら話をしてたのですが、
娘さんの話になって。
書ける範囲で書いてみますね。
友人の話から
☆☆☆
娘が勉強全然しなくて。
それは別にいいけど
将来のことについてだけは、
しっかり考えなよって話してる。
絵が上手で料理も好きだから、
そういうのを仕事にしたらいいんじゃないの?
って伝えたんだけど、
本人は、絵画部に新しく入ってきた子で、
とっても上手な子がいるから無理だよ。
って言うんだよね。
私から見たら上手に描けてると思うし、
絵って好みもあるから、
単純に上手さだけじゃなくて
そういう絵が好きって言う人もいると思うんだよね。
☆☆☆
ということを話していて。
その通りだよ!と感じました。
なんかさ、やる前から「無理」って
言ってしまいがちな環境に
子供たちは置かれているのかな。
うちの子も、やってみたら?
って言うと「無理」って即答することが
結構あって。
学校にいると、どうしても周りの子達と比較するし、
自分よりも上の人は必ずいる。
できる人と比べてる限り
「あの人に比べてできてない」
つまり、「やる価値がない」ってなりやすいのかな。
成績という数値化された指標で
比べられることに慣れていくと、
他人からの評価でどうなのかってことを
気にするのが習慣になってしまう。
だけれど、上手くないと
やってはいけないなんて法律はないし、
はじめから上手く出来るなんてこともない。
上手に見える人は、
ただ、始めた時期が早かったり、
たくさんの練習をしてきたからかもしれない。
元々の才能なんて、
意外とそんなに変わらない気がするし、
生まれつき凄い人は、
きっと過去世からやってたんじゃないかな。
生まれた環境も影響しそうだし。
そして、何歳から始めたとしても、
その努力は来世に持ちこせるんじゃないかと思う。
努力はきっと無駄じゃない。
好きなことにチャレンジしてみることは、
可能性を広げていくことだし、
人の目なんて気にせずやってみた方が、
きっと楽しい。
やってみたら?って誰かに言われた時に
「やってみる」にするか
「無理」って言うかの違いは、
小さなようで意外と大きい気がします。
無理って決めつけるのはとても簡単。
もう少し自分の可能性を信じる考え方を取り入れてみる方が、
人生も豊かになっていくんじゃないかな。
たとえ、うまくいかなくても死ぬわけじゃない。
むしろ、失敗すらも貴重な経験になる。
失敗しない人なんていないし、
失敗した人は、その辛さを知ってるから
人を馬鹿にしたりもしない。
それは、人間としての器を広げる機会にもなる。
恥かいてなんぼ。
と言いつつ、辛い気持ちは分かります。
恥なんて言ったら、
このブログの過去記事を遡って頂ければ・・・
私も文章らしきものを書いてますけど、
文才なんて全くないです。
学生時代から、作文も小論文も
褒められたことなんてなかったし、
むしろ苦手な部類で。
小学校時代の詩の授業なんて、
詩というものが何かを理解できなくて
普通の作文みたいなのを書いてました。笑
今でも、文章なのか詩なのか
よく分からないものが
飛び出すこともあります・・。
・・ここは、笑っときましょ!
職場での出来事
職場で新しい取り組みを始めていて、
PRするためのキャッチコピーがあった方がいいですね
という話が会議であがりました。
それで、みんなにキャッチコピーを
募集するという話になったのですが・・・
「キャッチコピー作れる人なんてうちの職場にいます?
クリエイティブな才能がある人がいればいいけど。
今は、そんなのAIで簡単に作れますよ。」
という発言があって驚きました。
クリエイティブな才能って?
特別、脳が発達した人とか?
才能のあるなしって何?
ないと作っても駄作にしかならない?
なんか、可能性を否定する考え方が蔓延してる・・?
難しく考えずに、
ただ楽しんで作ってみたら良いのでは?
だって、そんなこと言ったらさ、
小学校の図画工作の授業すら、
才能なければ無意味だというみたい。
これからはAIの時代だから
図工の授業はなくしましょうって?
クリエイティブな作業って楽しいです。
何かを作ったり表現することは、
上手い下手関係なく、純粋に楽しい。
絵を描くでも文章を書くでも
音楽を奏でるでも遊びの延長みたいです。
図工の授業は結構楽しかったですし、
うちの子に、何の授業が一番好き?って聞くと、
図工って答えることも多かったです。
才能は特別な人だけに宿るものじゃなくて、
みんな持ってるけど、
磨いてるかどうかの差があるだけ
なんじゃないかという気がするんです。
下手だからやる意味ないとかじゃなくて、
意味なんか考えず好きなことや興味のあることを
やってみる中で上達して、アイデアも出てくる。
それが才能を磨く
ということのような気がするのだけど。
興味があるというのは、
才能が隠れているサインだと感じるのは気のせい?
これは、何が正解かというよりも、
「どの考え方を取り入れることが自分を幸せにするのか」
という観点から、思考パターンの選択を
意識的にしていくことなんじゃないかな。
それでは、今日はこの辺で失礼します。
お読みくださいまして、ありがとうございます。