
こんにちは、hanaです。
しっかり休息は取れてますか?
テレビでもYouTubeでも
その他のショート動画でも、
動画が連続して間髪入れずに流れ続ける状態が
日常化していますね。
この状態に慣れていて、
あまり疑問を感じなくなっている・・
「間」がない。
この間がない状態は、
私達をどこに連れて行こうと
しているのでしょうか?
ちょっと、考えてみました。
動画を見た後に、「良い話だったなぁ」と、
話の内容を再び思い出そうとしたのですが、
次の瞬間、間髪入れずに入ってきた
大音量のコマーシャルにかき消されて、
何を考えようとしていたのか
忘れてしまいました・・。
コマーシャルは注意を引くように作られているから、
音が大きかったり、
何かしら興味を持たせたりして、
その瞬間の注意を奪います。
動画を見て、何かを感じて、
自分の中の感想に思いを馳せたり
感じたことに浸らせないかのよう・・
これって、一見大したことがないことのようですが、
何か大切なものを奪われているような
気がするのは気のせいでしょうか?
間があることで、考えを整理できたり
感じたことから、何かの学びを得たり
振り返る過程があるから、
その動画を見た意味につながり、
そこから何かを受け取ることができるとしたら
せっかく見たのに、なんかもったいない!!
知識も学びも定着してないなんて!
間がないと、とにかく
次から次へと流れてくる情報で
次々に頭の中が溢れていく・・
何が重要だったのか
何が面白かったのか
全てが流されて
よくわからなくなっていくー・・
「ああ~ 川の流れのように~」
って、歌は余計っ!
後から動画を見ていた時間のことを
思い出そうとしても、
情報量が多くなり思い出しにくい。
何のための時間だったの?
これって、単なる浪費??
症例発表で感じたこと
仕事で、症例発表を聞く機会があった時に、
スライドに情報まとめて、
みんなの前で発表するのを見ていると
そのスライドの作り方は、みんな違っています。
ある程度の型はあるけれど、それでも異なる。
たくさん文字を書いて、
情報をたくさん詰め込む人もいれば、
反対に、シンプルなスライドを作る人もいる。
情報量が多いと、
この人はとても勉強していて、
いろんなことを知っているんだなぁ。
と言う事はわかるのですが、
それで結局何が言いたいのかが
伝わらなかったりする。
逆にシンプルな
スライドを作る人には二通りあって、
単純にあまりよくわかっていなくて、
書けていない場合と、
情報がきちんと整理されていて、
ここがポイントだと抑えられている場合。
地域で有名な人が作ったスライドは、
人が忘れやすいと言うことも考慮に入れ、
結果として超シンプルに作られていた。
文字のみで言うと、
1単語のみのページから、
長くても30文字くらいで作られている。
発表後に彼が語っていたことは、
「発表を聞いた後に残っている記憶なんて、
すぐに忘れていく。
だから、できるだけ情報量を絞って、
『これだけは持ち帰って』
と言う形で伝えるようにしてる。」
のだそうです。
極限まで無駄を省いている・・!!
なんと・・スティーブ・ジョブズでしたかっ!!
あれ?見間違いかな・・?
いや、もういらっしゃらないから・・。
あ、失礼しました。
情報に触れた時、
それが時間的な間でも
情報を省いた空間的な間でも
どちらにも共通していることは、
余白があるから
受け取りやすくなるということ。
受け取り手が咀嚼しやすくするための
時間的な間
情報を整理するための
空間的な間
この間を上手に使うことは、
意外と大切なのだろうな。
間があることで冷静に考えられるし
振り返ることで記憶にも残せる。
そういえば、オレオレ詐欺とかは、
時間がないと焦らせて
冷静な判断をさせないように仕向ける。
動画コンテンツでもオレオレ詐欺でも
共通していることは、
考えるための「間」を奪うということ。
・・・これって、誰のためになる?
一方で、瞑想は意識的に間を作る行為とも言えます。
日常に余白を作り空白を感じる。
これがもたらす影響は、
「間」がないの逆ですね。
これは、誰のためになる・・?
時々、意識的に「間」を作りましょ。
それでは、今日はこの辺で失礼します。
お読みくださいまして、ありがとうございます。