
こんにちは、hanaです。
遊びに来て下さってありがとうございます!
最近、いいことが続いています。
ようやく給湯器が使えるようになったんですよ!
ああ、長かった・・!!
お湯で顔を洗えることがこんなに
有難いことだったなんて・・。
自宅でお風呂に入れることも、
フライパンの油汚れが落ちやすいことも
有難い・・!!
冷たい水だと、油が固まってこびりつく・・。
うん。幸せだ。
こんな当たり前のことが
とても有り難いと実感できるなんて
たまには、不便さを味わう事も悪くない。
両極のバランスをとる
苦労があったから楽のありがたさが分かる。
冷たい人に会ったから、
優しいのがあたりまえじゃないと分かる。
両極があるから学べるし、
その中に無意味なことなんてない。
辛い思いや傷ついた経験が多いほど
その気持ちが理解できるから、
見返りを求めずに優しくすることが自然になる。
そんな人は、あたたかい場を創れる。
勇敢で行動力のある人が優しいのは、
それだけ傷つく経験もしてきたからだろう。
うずくまって動けなくなるのは、
癒すための大事な時だからで、
そんな経験も無駄じゃない。
慎重で臆病な人は、
それだけ想像力豊かで思慮深い。
それぞれの個性に魅力がある。
瞑想を通じて
中心点に立って、巡り巡るできごとを
俯瞰して眺めてみる。
そうすると、良いことの中の悪いこと、
悪いことの中の良いことが見えてくる。
本当はどっちでもない。
真ん中にいると感情の揺れ幅は穏やかになる。
瞑想して静かになっていく時は
自分という個の存在が薄まって
空間に溶けていくような感覚がある。
動きが止まると個が全体に溶け込む
けれど、失われるわけじゃない。
全体性に溶け込む感覚は
静かで穏やかな状態をもたらす。
透明の空気になったように
皮膚感覚も静かになって
体の境界が分かりにくくなって
手がないような感覚になることもある。
何をどう感じるのか、
どんな感覚が何を感じさせるのか
静止している方が感覚は澄んでくる。
普段、気に留めないものに気づく。
感じることの中に、出来事の意味を見いだす。
生まれてきたのはきっと、それを知るため。
味わうことも意味があるし
だけど、辛すぎる時は離れることも
必要になることがあって、
自分の立ち位置を調節しながら、
感情の波乗りをする時と
俯瞰して巻き込まれないようにする時の
バランスを取れることが
生きることを助けてくれるから、
そんなことを伝えたいと思いました。
人間関係と自分の機嫌をとれること
自分で自分のご機嫌を取れることは、
周りの人と良い関係を築くのに必要で
それが難しい人と一緒に過ごすのは
いつか重たくなって辛くなっていく。
誰かに満たしてもらうことを目的に
人間関係を築くのではなくて
自立した状態で自立した人と接する方が
心の自由度や開放度は高くなるし、
成長しやすくなる。
そんなつながりを作るためにも
自分が自分のご機嫌を取れるように
人に機嫌を取らせなくてすむように在りたい。
それは、辛い時に無理に笑う事じゃない。
感情を押し込めるのは違う。
必要なものは出し切っていく。
人に迷惑をかけないやり方で。
ちゃんと味わう。
味わいきることが大事だから。
自分を大切にすることには、
感情と向き合う事も含まれるのだと思います。
感情は魂の声だから、ないがしろにしないで、
泣きたい時にはちゃんと泣こう。
自立と支え合いのバランス
一人でも大丈夫。
自分だけでもなんとかできる。
そんな状態を理想としていたし、
それが必要だと思っていた。
竹川さんと千聖さんは、
いつも他力も必要だと言う話をしていた。
正直なところ、
それは、商売のための文句かと思ってた。
(・・ごめんなさい。)
だけど、1人で生きてる人はいない。
食べられるのも、住めるのも、着られるのも
誰かのお蔭で
何もかもを依存してると言っても過言じゃない。
夢を叶えることも
一人ではできなくて、誰かとの関係性の中で
叶えられていくのだと感じた。
一人の時があった方がいいし、
そんな時間は自分と向き合うための
大切な時間で必要なもの。
だけれど、自分を支えてくれる人達と
共にあることは、大切なことだと
未来型の場は教えてくれていて、
今も学ばせてもらっています。
近すぎず、遠すぎず
何かを強制されることもないし、
ほどよい距離感で過ごせることに
感謝しています。
本当にどん底になった時、
辛くてたまらない時には
支え合う人がいた方がいい。
心の内側を安心して見せられる人がいることは
生きることを楽にしてくれる。
弱さを見せることは負ける事じゃないし
損することでも、不利になることでもない。
それは、1人の人間のありのままを
受け入れることで、理解してもらうこと。
見せた時に吹っ切れるものもあるし、
自分自身を受け入れる助けになることもある。
ああ、いつの間にか長くなっていたので、
二時間瞑想の記録を書かせて頂きます。
なんだか、今日はまとまりもなく、
思いつくままに書いてます・・。笑
令和7年12月6日の二時間瞑想
今日は、思考から今ここへの
切り替えがスムーズだった
今ここを意識すると自然に思考が止まる
骨盤底筋もその都度意識した
姿勢の崩れは回数を重ねる毎に
少なくなっている
調子が良かった
自分の内側の想いを
思考で捉えるのではなく
ただ感じた
不安、心配
何を大切にしたいのか聞いた
どんな風に生きたいのか聞いた
答えは言葉ではなく感覚やイメージで
ふわふわと巡った
しばらく、ただ感じた
静けさと何もない空間が訪れた
残り30分を切ると残り時間が気になった
少し疲れてくるが、今日は割と調子が良い
令和7年12月7日の二時間瞑想
今日は茨城に行くので早めに家を出る
時間が短い分、しっかり集中しよう
そう思って眠気をこらえて座った
けど眠い。背中が丸くなる。
うーん、いまいち調子が出ない。
できるだけ静かにしている。
・・・それでは、この辺で失礼します。
お読みくださいまして、ありがとうございます。

