
私達は、時々、不十分な気持ちになって、
より多くの知識を集めようとしたり
たゆまぬ努力を継続しようとします。
それは悪い事ではなくて
むしろ大切なことだと心から思います。
それによって、身に着くことがあるから。
一方で、誰かとの比較の中で
自分のダメさを痛感したり
あるいは、あの人よりは出来ているとか
そんなことに囚われてしまったり。
それも、自然なことですし、
そんな風に感じてしまう事が私自身もあります。
ただ、そんな苦しみの中で
気が付いたことがあります。
それは、優れた存在になる必要は
特になかったということ。
・・・?
どういうこと?
優れてた方がいいんじゃないの?
と、思われるかもしれません。
ただ、思い返してみると、
例えば、誰かに話を聴いてもらいたい時に
求めていることは、
必ずしも聞き手が優れていること
ではないんですよね。
具合が悪くなったら
医師のところに行くように
専門家に意見を聴きたいときもあります。
専門的な意見が欲しい時は、
専門家のところに行きます。
だけれど、そうじゃない時もあります。
辛い出来事があったとき、
ただ、受け止めてもらうことで
安心できたりすることもある。
お説教とか解決策とか求めてない時もある。
感情がぐちゃぐちゃで意味不明の時も。
そんな時は、ただ、
隣で静かに聴いてもらうことが
一番、有り難かったりします。
私は、人の上に立つのは苦手なので、
上でも下でもなくて横がいいと感じてます。
そんな風に感じる人は、
多分、他にもいるはずだし、
そんな感覚に共鳴できる人同士では、
優劣なんて関係ないんですよね。笑!
そういう人は、そういう場にいた方が
気分が軽くなると思います。
答えは内側にあるから
その人にとって最善の道は、
その人の内側に答えがあります。
客観的に見て、周囲の人たちが優れた意見だな
と思うような話を聴いたとしても、
取り入れるかどうかはその人が決めること。
合わなければ役に立たないこともあります。
だから、その人の内側に在るものを知るために、
ただ、静かに話を聴くって必要だし、
大切なことです。
その人が自分で答えを見つけるために。
真剣に聴くということは、
意外とできそうでできない難しいことです。
特にこの忙しい社会の中では、
じっくりと聴くことは、
ちゃんと事前に約束をして時間を作らないと
難しいことだったりすることもあります。
なかなか時間がとれない現実もあります。
それに、本気で聞こうと思ったら、
言葉の意味の理解だけじゃなくて
その言葉を発する真意も感じ取らなければならない。
言葉になる前の想い、
形になる前の無形の意識状態。
そこに真意がある気がするから。
そんな、空気感も感じ取りながら、
意識を集中させて聞くというのは、
とても価値がある作業だと感じています。
あなたはこれまで、どれだけ人に
自分の話を真剣に聴いてもらいましたか?
ちゃんと、意識を向けて
余計な口出しをせずに、
沈黙になっても、次の言葉を急かさずに
時間をかけてじっくり耳を傾けるって、
簡単そうだけど、実は難しい。
できる人は、あまりいないかもしれません。
理解するというのは、本当に難しいです。
その人自身が気づかなかったことにも
気づけるように、
ただ、理解することに努める。
聞き手が理解すると、
話し手にはそれが無意識に伝わり、
話しながら何かを閃いたりするような
そんなことが起こったりします。
安心感の中でないと、
閃きは降りてきにくいから、
そんな時は、嬉しくなります。
人が話をする時、本当に求めているのは、
そんな時間なのではないかなと思うのです。
否定や批判、比較や競争、
良いとか悪いとかの判断とか、
そんなことに囚われずに、
ただ、ありのままの思いの丈を聴く。
汚い部分、隠したいこと、弱いところ、
愚痴、その裏にある想い、
行動の理由や背景、
なかなか人には言いにくいこと
そんなものも安心して見せられるような
そんな場では、心が少しずつほぐれていきます。
人はかっこいい面だけではなくて、
ダメな部分も必ずあります。
それを伝える場にいるのなら、
必ずしも、人より優れている必要はない。
そんな風に感じたのです。
多分、人間としての自然な在り方は、
そっちなんじゃないかな、と。
もともと、縄文時代のような大昔には、
そんな風に人間関係はできていて、
今よりも時間にゆとりがあったり、
学歴だとかの物差しもなくて、
人の優劣を気にする意識もあまりなかった。
所有している物もあまりなかった。
得意なことは、それぞれにあって、
必要な時に必要な人の力を借りて、
助け合っていた。
なにか、失敗して落ち込んだら、
誰のところに行ったのだろう?
多分、そんな時には
同じように失敗した経験のある
痛みを知ってる人の隣に行ったんじゃないかな。
完璧に見える人には失敗談を話しにくかったり、
話したとしても共感してもらいにくい
感じがしてしまうから。
そんな時は、馬鹿だと思われないように
飾ろうとしてしまうような部分が
出てきてしまうこともあるかもしれません。
なので、特になにも持ち合わせてない
等身大の私だからこそ、
お話ししやすくなることもあるかも・・?
知りませんけどね。笑
アホなことを言って、笑ってるのもいいし、
ただ、黙って静けさを味わうのもよし。
いつの間にか瞑想しててもOK!笑
竹川さんもマイペースですし、私もそう。笑
いや、竹川さんは、気を遣ってないように
見せるのが上手なのかもしれませんが。
多分、隣にいても全然違うことを
考えてたりすると思いますし、
あんまり気を遣う感じじゃないので、
変なことを言っても受け止めてもらえます。
私自身も、内側の修行として、
意識的に、人を見下す思考回路は
働かせないように日頃から気を付けてます。
なので、口には出さなくても、本当は・・
とか、疑う必要もないです。
見えない部分の修行は、
気づきと日常の思考パターンの
書き換えが大切になりますし、
とっても地味な修行を積み重ねてます。
日常生活での心がけが基礎になるので、
日々、魂を磨くために精進していきます。
と、そんなわけで。
必ずしも、優れていることが
すべてじゃなくて、
ものごとには必ず両面あるので、
ありのままで足りてますよって
少しでも伝えられていたらいいな・・と。
お読みくださいまして、ありがとうございます。


