
時々、感じることがあるのですが、
私は、自分で考えて書いているようで
書かされていることがある気がしています。
それは、書いた時には分からなかったのですが、
後から振り返った時に
あ、あの時の記事は・・って気づかされるというか。
人は、知らないうちに
宇宙の望む方向に誘導されていて
それは運命と呼ばれるものかもしれない
そして、運命は意図して変えることも
自分の内側を変化させることで
可能になっていく
変化はいつも内側から起きる
そして、「私」の世界では
いつも「私」が中心で
宇宙はそれに応答する
無限の可能性があるから
それぞれが別の世界線の
「私」を見ているのかもしれないし
「私」の世界線では他の人とは違う
「その人」を見ているのかもしれない
そんな風に考えると
自分の生きたいように自由に生きていい
他の人もそれぞれに
自分の望む世界を生きているから
そんな風に思える気がしました。
人は自分のことしかどうにかできない
自分を幸せにするのも
不幸にするのも
自分が選んでいる
本当の望みを生きることは
魂にとって自然なことだけど
他人の目とか常識とか評価とか規範とか
そうさせないような仕組みが
この世界には施されていて
まるで見えない鎖があるみたいに
本当は効力がないものに
自分の思い込みが力を与えていて
それを振り払う力はあるのに
ないと思い込まされている
まるで鎖が外されていても
逃げない象のように
学習された思い込みという
呪縛があることに気づかないまま
人は日常を繰り返している
人と違う道を歩むことは勇気がいること
他人の目を気にしないくらい
自分の軸が強くないとできない
批判や否定、傷つく言葉・・
そんなのを浴びせられたら
落ち込むのは自然なこと
だけど、そんなの本当の自分の価値には
なんの影響もない幻想だってことに気づいたら
私は結構、楽になった
誰かに意見を真っ向から否定されると
その瞬間は、少しムカつくけど
切り替えることを練習してきたので
今は、立ち直るのが昔に比べて
ずっと早くなった
相手に対する怒りや憎しみを
長時間持ち続けるという
体に悪いこともしなくなりました。
冷静になって考えてみると
怒るほどのことでもなかったりするんです
いつも反応するのは私の小さな自我で
それも大切ではあるのだけど
そこに焦点を当てると
自分が小さくなってしまうんです
本体である魂は誰がなんと言おうと無傷で、
別の次元から現実という映画を見ている。
そんな風に想像すると分かりやすいかな。
視点を魂視点に変えると
あー、小さな私が傷ついたなと観察する。
けど、大丈夫。
そんな些細なことで
私の価値は何も変わってない。
その出来事が起こる前の私と
起きた後の私は
一体何が違うのだろう?
何も違わない
ただ、他人からの評価が下がったことで、
自分の価値が低くなったという
新しい思い込みを持ったかどうかの
違いでしかない
思い込みの幻想に取り込まれたことに
気づくことができたのなら
半分、解決したようなもの
あとは、自分の価値を
自分で信じることができれば
それだけで十分なんです。
相手には相手の想いがあって
必ずしも合致するとは限らないし
私に自由があるように、
相手にも私を嫌う自由がある
それでいい
自分にとって都合がいいことだけを
受け入れることしかしなければ
人はストレスへの耐性を失っていく
だから、人から嫌われたなら
それをただ、受け止めればいい
それを自分の価値と混同しなければ
傷つくことはないから
頭で考えただけではできなくて
必ず、感覚と一緒に味わいながら行う
自分には価値があるって
理由なんてなくていいから
無条件に抱きしめる
この世に生まれてきた
それだけで十分な価値
自分と他人の境界線
テレパシーの使えない社会では
言葉の説明に頼る部分が大きくて
真意を伝えるのは困難なことも多い
だからある程度仕方ない
いちいち説明してたら日が暮れてしまう
他人の評価は、その程度のものだから
私は気にしない
どう感じるかの責任は、
感情を感じている当人にある
境界線を引くことは大切なことで
それができることで
自分らしく生きやすくなる
自分の望む選択をすることが容易になっていく
自己責任って厳しい言葉だけどさ、
見方を変えてみると、
他人の感情に責任を取る必要がない
ということでもあるのですよね
だからと言って他人を傷つけていいとか
そんなことではないです
(※念のため・・)
不要な罪悪感は持たなくていい
そんな風に割り切るのは
冷たいことのようでもあるのだけど
そんな結果を招いたのはどうしてかと考えてみたら
相手の中に責任があったこともあるのでは・・?
そこは客観的に見つめてみるところで、
自分で分からない時は人に聞いてみたりする
自分らしく生きる
自分らしい選択をする
自分を幸せにする
本当の望みを魂に聴いて見極める必要がある
自分に正直である必要がある
これって時には、
なかなか勇気がいることなのかもしれない
そんな願いは相応しくないとか
自分には無理だとかのリミッターも邪魔をする
生まれてから今まで
本当に余計な思い込みを
たくさん身につけてきたから
脱ぎ捨てる必要もある
ある意味、変人になる覚悟が必要なのかも。笑
だから、変人というのは、
私の中では褒め言葉にもなってる
そして、変な在り方の方が、
宇宙の流れに乗っかりやすいのかも?
今日も、勝手なことを言ってますね。笑
それでは、今日もお疲れさまでした。
お読みくださいまして、ありがとうございます。

