こんにちは、hanaです。
いきなり本題ですが、
高次元を感じるとか、そんな能力はホントは誰もが持っている。
そう。今これを読んでいるあなたにもある。
ただ、普段使い慣れない能力を
使うことに対する抵抗感や恐怖心や
不安で蓋をされていたりする。
「こんなこと言ったら変な人間だと思われる」のように
後天的な刷り込みから表に出さなくなり
奥に封印されている眠らされた
繊細な感性の存在。
それは、蓋をしたことも知らないほど
小さな頃のことだったかもしれない。
そこに蓋をしてない変わり者達が
昨日の記事に書いた
高次元を感じる会に集っていた。
それだけの話。
特別でもなんでもない。
多くの人が言うように
日本人の霊性の高さは
優れているのかもしれない。
外国にももちろん
霊性が高い人はいるし
特別視したいのではなくて。
一人一人に個性があるように
人種にもそれぞれに
特有の個性があっても不思議じゃない。
アフリカ人の歌や踊りの優れた才能に
特別なものを感じるように。
身体能力の高さに魅入ってしまうかのように。
それは、
ヨーロッパ人の生み出す絵画や音楽や
歴史的建造物に美的センスの
特別さを感じるように。
日本人の個性として
独特の魅力と感じるものは
霊性の高さだったということ。
それは、
空間に美を見いだし
余白を愉しむ
侘び寂びの世界
畳と障子
簡素な空間の中
見えないものを見て
聞こえない音に耳を澄ます感性。
日本を手中に収めたい・・・
そんな存在が迫りくる・・?
ここからは、しばらく物語として聴いてね。
昔、そんな霊性の高さを恐れつつ
日本支配を目論む存在がいたのだとか。
ただの、物語ですので、
気楽にお聴きになってくださいね。
もしも、支配を目論む側の立場なら、
一体、何を計画することでしょう。
日本人は働き者だから、
殺すのではなく、生かして働かせよう。
ただ、働かせるのではなく、
支配に気づかせないようにしながら。
反抗されると能力が高い分、厄介だから。
その優れた能力は、どこから来るものか。
彼らは隅から隅まで丹念に調べました。
文化の背景にあるもの。
信仰心の在処。
強さの秘密。
高潔さの源。
「・・・何?!見えないものを感じている?!」
その能力をいかにして
封じ込めてしまおうかと
彼らは作戦を練った。
見えない存在は美しく
智慧ある言葉を降らせ
天空の光で心の不安を灯す。
恐怖に陥れるには
彼らとの繋がりを断ち、
自分自身を疑わせるのが最も効率的でしょう。
・・と、言ったかどうかは、知りませんが。
「こんなこと、本当かしら?
私の勘違いじゃないかしら?
少し、おかしいのかしら?」
疑わなければ
その存在は、当たり前だった。
内なる感性は証拠など提示しない。
だから、そこをつく。
「証拠はあるのかい?
・・・ない?
じゃあ、それは非科学的なことだね。」
繋がりを切り捨てるように仕向けることは、
さぞ簡単なことでしょう。
クスクスと嘲笑う声・・
『どこまで自分自身を信じられるの?』
私達は問われている。
教育システムにより
科学こそ正しいという態度を
称賛するようしつける。
それが世界のスタンダードだと。
世代が進むごとに
疑問を呈する人も減ってゆく。
唯物論的な見方以外を
軽視するような価値観に仕向けるには、
「それ、本気で言ってるの?」
封じ込めの疑問詞は、
自己の感覚を疑うよう仕向ける。
それは、なんと
好都合なことでしょう。
「恐怖は高次元にはないから、
そこと繋がられると不都合なのよ。」
微かに漂う不穏な気配・・・
「だから、分離させるのが得意な左脳に
仕事をさせましょう。」
主に左脳が司る論理的思考は、
物事を分割して順序立てて整理する。
言語化もまた同じ。
こういうものだと名付けることで
決めつけて分離させる。
深く考えることがストップされるように。
機能自体に善悪はなく、
単純にそういう機能ということだが、
使い方により悪用もできるのね。
それに対して右脳は感覚的。
直感的に、
関係ないもの同士を結びつけては
瞬時に共通点を探し出す。
分離とは逆の方向。
片側の脳が優位に働いていると
対側の脳には抑制がかかる。
だから、分離の世界を作るには
左脳的にする方が好都合・・・。
・・そんな思惑を抱いた存在が
いたとかいなかったとか!笑
思考と感覚と感情と
感覚や感情は
思考より速度が速い。
そのようにグルジェフという人が言っていた。
これは、感覚的に分かることでもあって、
サッカーのシュートは
いちいち考えてたらタイミングを逃すように、
ボールの動きに集中して感覚的に捉える方が速い。
思考は遅いし
複雑化すると迷子になりやすい。
税制度のように専門職を
配置しなければならないほど
都合の悪い事柄は、
複雑化して煙に巻くには丁度いいのかしらん♪
だからと言って、
もちろん思考が劣るとか
そんなことが言いたいのではなくて。
感覚や感情が
置き去りにされがちな世の中に感じるのは、
ただの気のせい・・?
あまり使われずに放置され、
その重要性に気づく人間の数も
徐々に少なくなった。
こんな風に考える存在が
いたとしたならば
私達はまんまと罠の中・・・
そんなことは、もちろんお花畑の夢物語。
物語はここで終了です。
瞑想は、思考を止め今ここに引き戻す。
思考を止めることが大切だと気づき、
世界中のセレブ達や成功者が
瞑想の価値に目をつけて
実践しているのは、
そこを知っているからじゃないかと思う。
え、どういうこと?
そう、思考というツールよりも
感覚は優れた情報を
もたらしてくれることがよくある。
感情もそう。
感情は比較的感じやすいから使える人は多い。
それでも中には、
合理的に処理することで
感情にも蓋をする人がいる。
全部が必要で欠くことのできない機能。
思考も感覚も感情も。
どれが優れていて、どれが劣るとかじゃない。
これはエニアグラムの
合理(頭)、フィーリング(胸)、本能(腹)
という分類から
ヒントを得て書いているのだけど。
どの機能が
どの場面で用いられることが有用なのか?
ということを、
考えることも大切だけれど
とりあえず使ってみる。
見えない世界を感じてみよう。
今ここ、にあることを感じて。
全ては今にあり
今にいなければ繋がれない。
このブログに興味を持つということは
そういう素質があるということ。
そうでなければ、ご縁は頂けないもの。
虫の音を声として聴くことができ
草木と会話ができる。
この高い感性の持ち主が
人を刺せると思う?
無理だよ。
虫の音を声として聴くって・・・
ただ、
ミーンミンミンとか
コロコロコロコロとか、
文字として表現できるというだけじゃない。
そこに情緒的理解が自然と働いてる。
世界が映し鏡だと
いつの間にか捉えているから
虫の音が悲しく聞こえたら
自分の内側にあった
悲しみの存在に気づく。
そんな感性。
小説家が主人公の気持ちを
風景の描写に例えることは、
当たり前のように行われているけれど、
これもきっと、感性からくるもの。
猫や犬も興味がなければ、
ただの猫や犬でしかなく、
表情も読めなかったけれど、
毎日触れ合って顔を見ていると
少しずつ
楽しそうとか悲しそうとか
感じられるようになる。
感情をじっくりと味わうからこそ
相手を想い、感謝が生まれ、
礼節が自然に育まれる。
感覚が働くから
虫の知らせを受信でき
シンクロニシティという言葉がなくても
日本人はそこに
意味を見出していたのだと想う。
その感性が
自分たちにないものなら
きっと恐れるでしょう。
理解できないことを人は恐れる。
支配したいと思うなら
そこを封じ込めて
分離させて不安を利用する。
思考でこねくり出して
考えられることは如何程のものか。
誤解しないで欲しいのは、
思考が大事じゃないなんてことを
言いたいのではなくて、
思考は当たり前に大事なのだけれど、
ただ少し、
価値基準が偏っている気がしたのです。
もちろん全てがじゃない。
思考だけじゃなく
感覚や感情からしか得られないような
大事なことがあるから
そこにも目を向けた方が
世界が広がる予感がする。
それが瞑想の実践で
思考を止めることにより
得られることでもあると思う。
世界を変えるような発明とか
多くの人の心を
鷲掴みにするような音楽とか
天才的なものは
宇宙からのダウンロードで
作られてるよね。
それだけでも感じない?
思考だけじゃなく
感覚や感情を使うことの重要性。
自分の小さな脳みそと宇宙の叡智。
どっちが優れているか?
なんて、比べるまでもないよ。
うまく使ってたんじゃないかな。
私達のご先祖様達。
精神的余裕や時間的余裕が
どれほど大切なものかが感じ取れる。
余白から生まれるもの。
無から生まれるもの。
そこには、無限の可能性がある。
余白がないと感じにくくなる。
自然と触れ合う機会も、
いつの間にかどんどん少なくなり、
季節の行事では、
お月見や七夕は何かに埋もれていき・・・
ハロウィンやクリスマスが
若者を中心に浸透し
海外の影響が目立つようになった。
もちろん、そんなことをこだわりなく
楽しめちゃうのも日本人の
素敵な素質だよね!
・・・寛容さはとても大切な資質。
ただ、背景にある影の存在を感じ取る感性。
あなたにもあるよね。
気づかないふり作戦ならいいけどさ!笑
私達は見えないもの達と
一緒に暮らしてきた。
自然の中に神を見ていた。
そうだよ。
内側の感覚で覚えているはず。
呼び覚ましてみて。
あなたの中に眠るやつ。
現代の日本人は、
世界でも珍しいほどに
休暇が少なくて、睡眠時間が短いという。
こんなに忙しく働かされて・・
これも作戦だったらどうする?!
というちょっと、笑えない冗談。
前回の記事を見て
自分とは違う人種だと勘違いして
hanaさん、自分のこと
特別視してんじゃないよとか思ったら、
それ、勘違いだからね。
そう。つまりあなたも同類ってこと。
嫌がっても、誤魔化しは効かないよ。^^
日本人が元々持っている
感性の高さを感じ
閉じられた蓋よ、開け。
「おかえりなさい」
『ただイマ』
イ マ・・・今・・・居 間
イ 間に 居る マ
日常の挨拶に宿る言霊は、
さりげなく語りかける・・・。
それでは、今日はここまでです。
お読みくださいましてありがとうございました。