心を込めて伝えた言葉と心の負担。その向き合い方。二時間瞑想の記録

辛くても伝えるべき時のこと

時に、耳の痛い言葉を

伝えなければならないことがある。

伝えたあとは、相手の気持ちが乱れるし

私の気持ちも重くなる。

すごく心に負担がかかることだから、

普段からするというよりは、本当に必要な時にだけ。

辛い。

元々の感受性の強さで、

相手の気持ちが自分のことのようになってしまうことがある。

体そのものが相手の反応を模倣するように

辛くなって、気持ちが重くなる。

そんな時は内側に向かう。

深呼吸をして体の反応を落ち着けて

心を静寂に導く

今、目の前では何も起きてない

静かに呼吸している

今ここに集中する

辛い出来事から距離ができる

今にいる

心の波が静まっていく

海の底は硬く動じない

本当の私はなんの影響も受けていない

ただ、静かに見ている

そこにつながる

静かな深い呼吸とともに

波は落ち着いていく

真の私は傷ついていない

ただ、眺めている

揺るぎない価値がそこにある

穏やかな気持ちで出来事を見つめる

そこにあるのは現実という幻に

立ち向かう自分の姿

冷静に見つめる

その出来事はそんなに大事なことなの?

自分に問う

距離を置いて見つめていくと

渦中にいる時に見えなかったことが見える。

落ち着いて判断するためには

距離が必要になる

そのためには、

静かな時間と静かな場所があればいい

心が掻き乱される時には

こんな対処法があります。

普段から瞑想を続けることで

心を静かにする感覚は

つかみやすくなっていくので

小さな出来事に一喜一憂することから

距離を置くこともできるようになります。

感情の波乗りを感じることもできるし

疲れたら休ませることもできる。

心を自在に扱えることは

人生を過ごしやすくしてくれます。

令和7年9月6日の二時間瞑想

5時40頃から座り始めた。

眠たいけど軽く体をほぐす。

足の苦痛は、そういえばあまり感じなくなってる。

最近、ちょこちょこ小さな嫌なことがあって

イラッとしたり落ち込んだり多少の波がある。

仕事関係のちょっとした嫌なことは

他者の評価と自分の価値は違うし

嫌われてるのかと思っても

それはそれで構わないと流して終わらせる

他者の負の感情は背負わない

それは相手の問題として

自分の中に入れない

最近、次々にいろんなことが起こるから

気持ちに余裕がなかったのだと思うけど

昨日は少し落ち込みやすかった

そんな時もある

多分、神様に試されている。

だって、次々に問題が出てくるから。

まるでテスト期間のよう。

この問題は対処できる?

じゃあこれは?と。

体調の波も不調の時で

今回はなかなか容赦ない。

次のステージへの試練と思っておこう。

下の子が最近元気がない

学校に行く時の表情が暗い

学校楽しい?と聞くと

「楽しいよ」と答えるけど・・

注意を向けてあげると

なんとなく嬉しそうにしている

いろいろあって頭の中が忙しくなってる

集中が続かず思考に飲み込まれていく

悩んでる状態の渦中にいるのと

それに飲み込まれずに眺めてるのは

明らかに違う

両方の視点から眺める

神様のテスト期間はいつまで続くのだろう

合否とかあるのだろうか・・・

令和7年9月7日の二時間瞑想

暑さで体力を消耗してるのか

体が怠い、眠りが浅い

夜中に目が覚めてしまって

あまり眠れないまま朝を迎えた

背筋を伸ばしてるのが持続できない

なんとか保とうと努力する

最近の出来事が繰り返し想い出されて

思考が囚われてる

わだかまっている

それを眺める

根本の原因を辿る

根本にあるのは恐怖の感覚

自動的に特定の刺激で体を強張らせる

これは多分ご先祖様から

受け継がれてきた遺伝的な要素

この呪縛を解き放つには

どうしたらいいのだろうか

多分、父の影響を受けている・・・

私はどちらかと言うと

父に似ているところがある

同じことで苦しんできたんじゃないか

言わなくても伝わる

家系に伝わる影響を思う

親子でも似ているとぶつかることは

割とよくあるのだろう

父はとても穏やかな人だけれど

私はそんな父にイライラすることがあった

妹の方が父とは気が合うようで

父も気楽そうにしていたけれど

私といる時はどこか緊張した雰囲気があったし

私も嫌いじゃないし大切な人だけど、

いまいちくつろげなかった・・

多分、似ているからだと思う

恐怖と向き合う・・・

父と私を苦しめたこの呪縛

これ以上、苦しむ必要はないと思う

それでは、今日はこの辺で。

お読みくださいまして、ありがとうございます。