誰かとの比較の中じゃなくて、世界にたった一人の自分として在ること

こんにちは、hanaです。

お立ち寄りくださり、ありがとうございます。

体調いかがですかー?

夏は蒸し暑い・・・

湿気はちょーっと苦手ですが、

今のところ、なんとか体調を保ってます。笑

なんとかって、

これからが、本番だよね・・・。

大丈夫??! 笑!!

ところで、昨日は少し辛口の話しだったから、

今日は、少し心の温まる話をしようかと思います。

周りとの比較に惑わされない

私たちはつい、周りにいる人との比較の中で

自分の立ち位置を探そうとしてしまうことがあります。

そして、比較の中で

優越感を感じて上から目線になったり

劣等感を感じて卑屈になったり

その中にあるのは苦しみです。

優越感の中にも苦しみはあって

それは追い越されるかもしれない不安や

自分の無知を忘れるという落とし穴だったり

周りの人を苦しめていることへの 

無関心という冷たさだったりします。

人と比較することは、 

自然にしてしまうことでもあるので、

勝手にそうなっている意識状態を

攻める必要もないのですが、

気づいたら手放していく

囚われない

こんなことも、苦しみから自分を解放するために大切かなと思います。

比べて落ち込んだり、天狗になったりしても

そんなことになんの意味があるのかなって

私は思います。

そんなことからも、学びはあるし、

得意なことを見つけたりする

きっかけになるなら良いのかも知れない。

でも、それが分かったら、

手放して良いのではないかなと。

視点を変えて自分を見つめる

それよりも、今ここにいる

私という存在そのものの面白さがあることとか

そんなことにかけがえのない価値や

愛しさを感じられることの方が

とても大切なのではないかなと。

同じ人は、この世に誰一人としていない。

こんなに沢山の人間がいるのに。

これこそ、奇跡的なすごいこと。

その違いの一つ一つは小さなことかもしれない。

似てるけど違う程度のものかもしれない。

だけど、ここがこうだから好き

というのがある。

例えば、お菓子も似てるけど違っていて、

「白い恋人」は好きだけど、

別のラングドシャはチョコレートの厚みが少し分厚いから、

やっぱり白い恋人が好き!

という友人がいます。笑

似ているけれど、代われない存在。

例えば、大好きな人がいたとして、

ある日突然、あなたの前から、

その人が消えてしまったとします。

あなたは、その大好きな人に

もう一度会わせてくださいと

神様にお願いしました。

神様が、

「それは無理だけど、

できるだけ似たような人に会わせてあげよう」

と言ったとします。

けれど、どんなに姿が似ていても、

話し方が似ていても、趣味が同じでも、

・・・なんか違うって

なるような気がしませんか?

やっぱり、あの人じゃないとしっくりこない。

ってなると思うんです。

そんな、かけがえのない

あなただから好きになる人はいて

あなたでなければ持てない特徴があって

それは小さなことかもしれないけれど

あなたでなければできないことがある。

あなたにしか出せない味がある。

それは納豆みたいに臭みがあるかもしれない。

だけど、それだからいい。

多分、山籠もり仙人として

竹川さんが私に教えてくれたのは

そんなことだと感じています。

(ちなみに、宗教じゃないのでご安心を。

竹川さんは、実在する私の大先輩です。)

私自身も励まして頂いたので、

この記事を読んで下さっているあなたにも

唯一無二の個性があることを感じて欲しいし、

自分らしさを大事にしてもらえたら嬉しいです。

それは、誰かとの比較に苦しむ生き方ではない、

唯一無二の自分を愛するという世界の生き方です。

今日はいい記事書けたなー!!

って、自画自賛しちゃった。笑

それでは、今日はこの辺で。

お読みくださいまして、ありがとうございました!

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