思い返せば、いつも人間関係に悩んでいた

小学4年生の頃、

いつも一緒にいた仲良しの二人から仲間外れにされた。

ある日突然、私は学校の中で居場所を失った。

理由は分からなかった。

仲間外れは、数カ月間続いた。

いつもの教室。

休み時間は苦痛の時間になった。

感じたことのない不安で、心がいっぱいになり、

自分がすごく、みじめで価値のない存在に感じられた。

ちっぽけになった私は、元々の引っ込み事案も手伝って、

今まで遊んだことのない子達に、

今さら、「遊ぼう」と声をかける勇気も持てなくなってしまった。

休み時間には、あまり人のいない教室で、

椅子に座っていると目立ってしまうから、

立ち上がるのだけど、うろうろしても行き場がない。

仕方ないから、何かやることを探した。

教室の後ろの、みんながグチャグチャに投げ入れた、

新聞紙で作られた図工用の下敷きの山を、

1人で整理整頓して過ごした。

涙を必死でこらえていた。

ある日、先生が教室の後ろの棚がキレイになっていることに気づき、

みんなの前で聞いた。

「誰か、後ろの棚をキレイにしてくれた人は?」

・・・手をあげられなかった。

だって、それは、キレイにしたいからじゃなく、

居場所のない私が、

なんとかその場にいることが自然に見えるように、

居場所を作るためにしたことだから。

とくに誇れるようなことじゃなかった。

むしろ、私にとって恥ずかしいことだった。

それで、黙っていた。

先生は、「隠れて整理整頓するなんて、

見えないヒーローがこの教室にはいるんですね。」

なんて、褒めてくれたけれど。。

そんな出来事があったせいか、

それ以降、仲間外れにされる恐怖に敏感になった。

人に嫌われたくない。

1人になりたくない。

どこかのグループに所属しなければ。

という不安感にかられるようになった。

人間関係の悩みは、中学でも、高校でも尽きなかった。

自己中な友達に振り回されて、

嫌だなと思いながらも一緒にいたり

嫌味な事を言われても、

上手に言い返すことができなかったり

なぜか、張り合ってくる美人でスタイルの良い友達が、

私と同じ洋服を学校に着てきて、

それが自分よりも似合っているからと腹が立って嫉妬したり

おとなしい性格で、人から利用されることもあったし、

平気で嫌がらせをしてくる人間に、

ものすごく腹を立てていた時期もあった。

いつも、人間に対する恐れ、不安感がつきまとっていた。

行動の原動力は、ほとんどいつも不安だったかもしれない。

人からどう見られるのか、

受け入れられるのか、

友達と接する中で、いろいろと失敗から学んだ。

こんなことを言ってはいけない。

こういう場面では、こういう風に振る舞わなければならない。

ある意味、それは、社会を生きていくのに必要な

常識を身に付けることだった。

けれど、ますます、「こうあらねばならない。」が追加されていき、

ずるく生きられるほど賢くもなかったから、

結局、社会で生きていくには、いい人になりきるしかないと、

さらにガチガチの型にはまった。

こうあるべき、こうあらねば、

自分の気持ちよりも他人を優先し、

「私のことはいいですから。気にしないでください。」

こんな風に、いい人の仮面を身に付けることに慣れ、

それが当たり前になり、

そうでなければ、生きていけないと感じていた。

なんだか、いつもピッタリサイズのスーツを着てるみたいに

堅苦しくて、息苦しくて、

たまらなくなった。

つづきへ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする