学校が嫌いってことは、才能あるかも。
ある有名な人物がこう言っていた。
学校が優秀なサラリーマンを育てるための教育をしているって。
ちょっと考えてみて
私たちは小さな頃からあたりまえに学校に通わされる。
社会の事をほとんど知らないうちに。
人生の中で、一番感じ取る力が強くて、
学びとる力がたくさんある、
大切な、
本当に大切な時期を
最低でも9年間
国の法律のせいで学校に行かされる。
そして、そこで見たり聞いたりして、
感じたことを元に
「常識」(周りに合わせること)を身につけて
集団の中で
飛びぬけた個性(自分らしさ)は
「周りの目」により排除される。
集団にうまく馴染めない子は、
まるで自分が「ダメな人間」みないな感じがするし、
中には不登校になる子もいる。
そう、残念ながら個性を無視した教育になっている。
子供のペースより、決められた規則に合わせた授業の進め方。
(先生が悪いのではなく、法律のせいというのが大きい)
狭い教室に押し込められ、
その中で合う友達がいなくても、
なんとか居場所を見つけなければならない。
一人でいる事は、孤立することみたいな。
なんのためか?
そう、サラリーマンになるために。
そう、サラリーマンと同じ。
毎朝、同じ時間に通勤して
ある時期までに決められた仕事をして、
同じ空間にいる人間とは好き嫌い関係なく、
うまく立ち振る舞うことを求められ、
はみ出さないように生きる。
こんなことを教えられているという事に、
私は学生時代、全く気づかなかった。
それはまさしく教育という名の洗脳。
こういうと、恐ろしいことみたいだけど、
洗脳というのは日常に溢れている。
普段意識しないだけで、特別なことじゃない。
洗脳っていうと凄いことみたいだけど、
気づかぬうちに身につけた「思い込み」みたいなもの。
ファッションの流行とか、どんな人が美人かとか、時代によって変わるし、
それはある一部の人達によって作られたものでもある。
善意か悪意かは別として。
気づかないだけ。
そう、気づくって
そういうものから、一歩下がって、
外側から物事を眺められるっていうこと。
今、辛い気持ちを抱えながら、
毎日を生きているあなたに
この気づきがあれば、
少し離れた場所から自分の置かれた環境の意味を
理解する助けになると思いました。
そして、よく考えてみてほしいです。
学校に適応する必要性があるのか。
サラリーマンになるしかないのか。
私達のいる時代は、インターネットによって確実に変化しています。
親世代の常識で、
生活していける保証はありません。
むしろ将来の方向性によっては、
個性を殺すことは、
将来を殺すことかもしれません。
創造的に生きるという選択肢もあります。
(義務教育の間は学校に行かされますが)
個性は本当は宝なんです。
隠れた才能がきらめいている可能性もあります。
自分らしさを大切にしてください。
受験を重要視する教育の中で、
テストで良い点を取れる事が、優劣の基準になっています。
それは、人間の持つ、記憶力や理解力といった一部の能力を測る道具に過ぎません。
もちろん、それを鍛えることも無駄ではありません。
サラリーマンに幸せを感じる人もいます。合っている人はそれでいいのです。
大切な事が見えにくくなっています。 また、友達が競争相手となり、競い合わされています。
社会に出ても同じです。
同期はライバルです。
入社してすぐは仲良しでも、
常に比較対象です。
そんな社会、魅力的ですか?
未来を創るのは子供達です。
創造的であるためには想像力が必要です。
想像してください。
大人たちには見えていません。
この変化の激しい時代に、本当に必要なこと。
だから、気づいてください。
目を覚まして、世の中を見渡してください。
ひとりひとりが、大切な存在です。
心は道しるべです。
自分の心と向き合ってください。
心と向き合うとは、
感じている事に「気づく」ことから始めます。
楽しい気持ち、怒り、悲しみ、喜び、
一つ一つに、
あなたにとっての意味があるから出てきました。
「あ、今怒っている。」
これが気づき。
じゃあ、なんで?って考える。深く考える。相手の立場とかも考える。 いろんな見方がある。他人は驚くほど違う見方をする事があるから、人に話しても発見がある。
それから、できれば友達とは競争でなく、
協力してください。
その方が、多くの良いものを生み出せる可能性があることは、
小学生でも分かるのに、ね。