ティクナットハン、NHKこころの時代より
前回、他者と争わない実践的方法というタイトルで、NHKこころの時代という番組のティクナットハン師の回をまとめましたが、今回はその続きとなります。
ティクナットハン師の特集は2回シリーズで放送されました。前回の内容は第1回目の放送内容からの抜粋でした。
今回は第2回目の放送内容から、心に響いた言葉の数々を紹介していきたいと思います。
悲しみや怒り、寂しさとの付き合い方
悲しみや怒り、寂しさを感じるとき、どんな風にしたら良いのかをティクナットハン師が語ってくれました。その言葉を抜粋していきます。
悲しみ、寂しさを感じるということも悪いことではありません。
私たちは誰もが時には寂しくなります。
誰もが迷いますし怒ることもあります。
悲しんだり怒ったり見失ったりすることは悪いことではありません。
でも寂しいとき怒っているとき悲しいとき自分自身に立ち返って
自分の悲しみ怒り恐怖を抱けるように練習してください。
素晴らしい実践です。
寂しさを抱きしめることで、あたたかく心地よくなります。
押しのける必要はありません。
寂しさを受け入れて、息を吸って吐いて、そこに居て抱いてあげます。
とても優しいことです。
ときには一人で寂しさを抱いていたいことがあります。
自分のためにいてあげられたら、他の人を必要としません。
自分の面倒をみる力をつけます。
次に怒ったり迷ったり寂しくなったりした時に試してみてください。良い機会です。
自分に立ち返る。そして自分の痛みや苦しみをいたわることを身につけてください。
引用:NHKこころの時代 禅僧ティクナットハン(2)ひとりひとりがブッダとなる より
心が優しくなる言葉です。
今ここにいるというのは、とても大切なことだと思っています。
「いてあげる」ということは、ただ、そこにいるというよりは、その瞬間にどこに意識を向けているかということを指すのではないでしょうか。
子供が寂しくて、親の気を引こうとすることがあります。
その時に、「そこ」に一緒にいても、意識が家事や仕事に向いていたら、子供にはすぐに分かってしまいます。
子供は、自分に注目して欲しいのです。顔を見つめて、笑いかけて欲しいのです。
自分と対峙するときも同じではないかと思います。今、ここに戻るために、呼吸に意識を向ける。それが、自分に立ち返るきっかけを作ってくれるのだと思います。
自分で自分の面倒をみれるようになるとは、私にとっては憧れの境地です。
マインドフルネス-いま、ここへの気づき-
ブッダが悟りに至った瞑想について、ティクナットハンは世界中に広める活動を行っています。
以下はティクナットハンの言葉です。
マインドフルネス(いま、ここへの気づき)には幸せと喜びをもたらす作用があります。
自分に立ち返ると体や心にあるストレス・緊張・痛み・つらさに気づくでしょう。
マインドフルネスには体と心と感情を認識して受け入れる力があります。
そうすれば心身の痛みは減ります。母親が赤ちゃんを癒してあげるように
苦しみは減ります。
これは「苦しみの技術」です。
苦しみ方を知っていれば、ずっと減らすことができます。
引用:NHKこころの時代 禅僧ティクナットハン(2)ひとりひとりがブッダとなる より
マインドフルネスという気づきの瞑想は、ティクナットハン師の教えの中でも代表的なものではないかと思います。
気づきには、不思議な効果があります。そこにあることに気づくこと、扱い方を知ることで苦しみが変容していく。
人に迷惑をかけることなく、お金もかけずに一人でどこにいても行うことができるところが魅力です。
忙しい生活の中で忘れていたもの
さらにティクナットハン師の話は続きます。
自分の人生を味わう時間が必要です。
自由が必要です。
多くの人がその自由を持っていません。
日常生活の質が良くないのです。
いろいろな物を買っても幸せを感じることができません。
自分や周りの人を愛する、美しい朝日を眺める時間もありません。
命の奇跡は満ち溢れています。
雨、木々、鳥の声、散歩の小道を楽しめるはずなのに忙しくて時間がありません。
目覚めることが大切です。
「目覚めるんだ、こんな生き方ではダメだ。変わるんだ。」と
昔、ブッダの呼びかけに応じて多くの若い人達が僧侶になりました。
ブッダの時代に若い人々がしたように
もっと自由に命を味わって生きていけるようなシンプルな生活を選ぶことが大切です。
出家しなくても誰もができることです。
引用:NHKこころの時代 禅僧ティクナットハン(2)ひとりひとりがブッダとなる より
これらの言葉は、私が最も共感した部分です。
現在の日本では、共働きの家庭が増えています。
子育てしながら働く女性は息つく暇もありません。
サラリーマンの過労死も問題視されています。
自殺者の数も多く、いじめの問題もはびこっています。
こんな心を無くした現代社会だからこそ、ティクナットハンの言葉に心から共感できる人も多いのではないでしょうか。
時間が欲しいというのは、多くの人の願いです。
よほど意識を変えない限り、現状の生活は続いていくでしょう。
実践するには、仕事や生活のスタイルを大きく変える必要があるかもしれません。
集合的エネルギーの危険性
ティクナットハン師は、集合的エネルギーの危険性についても話しています。
以下にティクナットハン師の言葉を記します。
過去の苦しみが絶え間なく上映されている心の暗い一面には戻らない
あなたは暗闇にもどってしまった人を 脱出させいまここに存在できるように導くこともできます。
「意識」には「集合的な意識」というものがあります。
(例えば)怒り・暴力・恐怖に満ちた場所に住むことになれば
あなたは多くの「毒」を吸収してしまうでしょう。
怒り・恐怖・絶望が集合的なエネルギーになると大変危険です。
そういう場所だと気づいたらすぐにでも移るべきです。
他の人を助ける前に、まず自分を守らなくてはいけません。
憎しみや怒りという集合的なエネルギーは非常に破壊的です。
「集合意識」という栄養の摂りかたに気をつけてください。
瞑想合宿に来て一緒に鐘の音を聞くたびにマインドフルな(いまここに気づく)呼吸や微笑みがあれば集中と慈悲が生まれ
集合的な平和と慈悲のエネルギーは私達にも子供たちにもよいものです。
反対に怒りと恐怖に満ちた集合的なエネルギーは有毒です。
サンガ(慈悲による共同体)の仲間とともに行くことが
彼らを助けるおそらく最善で唯一の方法でしょう。
集合的なマインドフルネス(気づき)・平和・慈悲の力には「治癒力」があるのです。
引用:NHKこころの時代 禅僧ティクナットハン(2)ひとりひとりがブッダとなる より
私たちも、学校や職場、地域の活動や趣味のサークルなど、様々な集団に属することがあります。
属する場所ごとに、そこに存在する人達が作る独特の空気感が存在しています。
集団の仲がよく、雰囲気が良い場所はとても居心地が良く元気になりますが、悪口や噂話が絶えない場所では、居るだけで疲れます。
集団のエネルギーは目に見えないものですが、確実に存在し私たちに影響を与えます。
暗黙の了解のようなものもあります。
危険な場所からは離れる。勇気がいることですが、その方がメリットが大きいと思います。
傷が浅いほうが治りが早く済むように。
自分自身が動けなくなってしまっては、元も子もありません。
悪い影響のある集団から出たときに見える景色は、全然違うものです。
きっと出てきて良かったんだと思えると思います。
あなたを大切にしてくれる集団に属することが大切だと思います。
愛する人との別れについて
人は誰もが、悲しい別れを経験しなけばならない時があります。
そんな時に聞きたい言葉をティクナットハン師が語ってくれました。
炎のための条件がそろうと火がつきます。
(ライターを持っている)最後の条件は私の指の動きです。
このロウソクから他の火を作り出すこともできます。(火をつけたロウソクを持っている)
炎に訪ねます。「どこから来たのですか?」
炎は答えます。「どこから来たのでもありません。」
「東・西・南・北どこからでもありません。条件が揃ったから現れたのです。」
これは真実です。炎はどこからも来ません。
南アメリカからでもアジアからでもありません。
炎の本質はどこかに決まったものではありません。
愛する人についても同じことが言えます。
あなた自身についても同じです。
炎に尋ねてみましょう。
「かわいい炎さんどこに行ってしまったの?」
「私にはあなたが見えません。」
愛する人を亡くした時には泣いて「どこに行ってしまったの?」と聞くでしょう。
すると炎の声が聞こえます。「私はどこにも行っていません。」
「アジアにもアフリカにもオーストラリアにも」
「北・南・東・西どこにも行きません。」
「私はどこにも行かない。どこから来るのでもない。」
「条件が変わったからこの現れかたをやめたのです。他の形となって現れるために」
雲の本質も同じです。雲は「無」にはなりません。
新しい形で雨や雪として再び現れるのです。
雲は絶対に死にません。あなたの愛する人も死ぬことはありません。
見慣れた姿で現れるのをやめただけです。
深く見つめれば別の姿で現れた彼女の姿を見つけられます。
雲は雨となってあなたに呼びかけます。
「ダーリン!私は死んでいないよ。まだここに生きているの、私が見える?」
雨という新しい姿になった、大好きな雲の姿に気づくことができれば
もうあなたは苦しまないでしょう。
引用:NHKこころの時代 禅僧ティクナットハン(2)ひとりひとりがブッダとなる より
死とは、現れ方が変わること。
心を深く見つめる実践を行うことで、現れ方が変わった愛する人に気づくことができる。
有難い言葉だなと感じます。
目に見えないからといって、存在しないわけではないというのは嬉しい言葉でした。
生も死もない
人の生死についてもお話されています。
ティクナットハン師の話はどれも素晴らしいですが、特に大切な話に感じました。
キング牧師、ガンディー、J・Fケネディ、イエスキリスト、彼らを殺したのは大きな「苦しみ」を抱えた人々でした。
大きな怒り、恐怖、暴力を抱えていました。
彼らは無明で間違った認識によって「いのちを絶つことができる」と考えていました。
しかしキング牧師を殺すことはできない。殺そうとすれば、より強くなって帰ってきます。
彼はいま、(亡くなる)前より強い存在となっています。
「誰かを殺そう」という破壊的は意志はその人自身を苦しみに追い込みます。
「生も死もない」命の本質を知っておくべきなのです。
また自分のいのちを絶つことも苦しみを生みます。
自分のいのちを絶とうと思っても本当に絶つことはできない。
試みることによって、自分と周りの人々を苦しめます。
人は「死ぬ」ことも「殺す」こともできません。
ガンディーはいまも私たちの中で強く生き続けています。
キングもイエスキリストもブッダも同じです。
ブッダの時代、多くの人が彼を殺そうとしました。
「殺そう」という意志は「苦しみ」の現れです。無知・怒り・暴力から生まれたものだからです。
現代科学にも(いのちについて)ブッダと同じ考えがあります。
何者も殺すことも消すこともできない。
「何も生み出されることも無になることもない すべては変容である。」
引用:NHKこころの時代 禅僧ティクナットハン(2)ひとりひとりがブッダとなる より
人は一人で生きることはできません。
私がいま生きているのは、育ててくれた親や先生達の力だけでもありません。
ご飯を食べられること、服が着られること、生活の全てに会ったこともない人たちとの見えないつながりがある。
ティクナットハン師の話から感じたことです。
一つ一つを深く見つめることの大切さに気づかせて頂き、ありがとうございます。
→気づきの瞑想、マインドフルネスというページにティクナットハン師の瞑想についてまとめています。