2時間瞑想したことからの気づき

こんにちは、hanaです。

昨日の予定通り、

早起きして2時間瞑想をしました。

長時間の瞑想は、

時間がとりにくかったことと、

ちょっと怖いこともあり、避けていました。

(詳しくは、こちらの過去記事にあります。)

けれども、

「いや、やっぱりした方がいいな。」

という気持ちが自然に出てきたので

チャレンジすることにしました。

終えてからの感想

結構きつかったです。

1時間の瞑想と2時間の瞑想って

全然違いますね。

何がきつかったかと言うと

姿勢です。

とにかく体が痛くなる。

長時間瞑想するのがきついと言うのは

大半がこの座ることに対する

苦痛ではないかと思いました。

1時間程度の瞑想であれば、

ある程度の筋力があれば姿勢は保てたのですが、

2時間ともなると、筋力で支えきれるものではなく

いかにバランスを安定させるかと言うところが、

体の苦痛を和らげることにつながる

ポイントだと感じました。

姿勢とバランス

瞑想の途中で70分経過した当たりから、

座ることに苦痛を感じはじめたので、

どのように座ることが最も苦痛が少なく済むのかを

分析しながらの瞑想になりました。笑

そして、安定したバランスを保てると、

心が平安な状態になる。

と言うことも感じ取ることができたので、

ここから先は有料級の情報と言っても

差し支えないかと思いますが(笑)

少し書かせて頂きます。

(職業柄、姿勢とバランス、

それに関連する知識がありますので、

それに基づいて考えました。)

人体はテンセグリティ構造

筋骨格系は、テンセグリティ構造をしています。

テンセグリティというのは、

tenshon(張力)とintegrity(完全性)の語からの造語です。

テンセグリティ構造は、

例えば、ヨットを思い浮かべてもらうと

マスト(柱の部分)に帆が取り付けられているように

柱(圧縮材)に帆(張力材)が

組み合わさって構成されています。

このように張力材と圧縮材を

組み合わせてある構造が

テンセグリティ構造になります。

筋骨格系も同様に骨(圧縮材)と

筋肉や筋膜(張力材)から成り立っていて、

筋緊張(張力)の加減を調整することによって

姿勢や動作の調整が行われています。

骨に対して、筋肉の緊張度により

釣り合いを取らせることによって、

姿勢やバランスが作り出されています。

(神経系の関与もありますが、

分かりにくくなるので、ここでは、

物理的な側面のみで話を進めます。)

座位姿勢での苦痛を和らげるには、

筋緊張の状態をいかにコントロールするか。

そのためには、

骨格のどこに圧力を分散すればいいか

と言うことを考えました。

姿勢と心の状態と言うのは、

やはり連動していて、

不安定な姿勢では心も安定しないことが

今回の体験で如実にわかりました。

(痛かったらそこに意識が向きますよね。)

疼痛の原因分析

では、具体的に何が辛くて

どこに気をつけたのかと言うと・・

瞑想して70分ほど経過した頃、

右肩の痛みがめちゃくちゃ辛くなってきました。

肩というより、首ですね。

右の僧帽筋の上部繊維(上の方)が

突っ張って痛かったです。

僧帽筋(上部繊維)は、

主に首(背骨と頭蓋骨)と肩甲骨をつなぐ筋肉ですが、

右だけが痛くなるという事は、

重心がわずかに左に偏っていて、

それを首の傾きにより左右のバランスを

釣り合わせて筋緊張を上げている状態。

長時間、同じ姿勢を続けることによって

筋疲労が蓄積し、痛みを生じている状態だと

推測しました。

これは左右の接地面(座面からお尻に加わる圧)の

アンバランスから来るものと思い、

左右の坐骨(お尻の骨)に、

きちんと圧力が均等に分散されるように

意識して座るようにしました。

これまで私は、結跏趺坐(けっかふざ)

という坐禅の最も安定する座り方ができないので

半跏趺坐で座っていました。

(結跏趺坐は、こういう足の組み方です。)

(結跏趺坐は、関節の柔軟性が必要で、

骨格が原因で出来ない場合もあるようです。

私自身、結跏趺坐をしたいと思って

ストレッチなどを頑張った時期もありますが、

膝を痛めそうだったのでやめました。

関節を壊したら元も子もないですよね。笑

できる方は、結跏趺坐がバランスが安定しやくて

集中できる理想の姿勢だと思いますので、

チャレンジしてみられると良いと思います。)

半跏趺坐というのは、結跏趺坐の片側版で、

片足のみを太ももに乗せる座り方ですが、

乗せた方のお尻が浮き上がりやすくなり、

片側の坐骨に圧が偏ってしまいました。

左右の坐骨に均等に圧を加えるには

適さない姿勢なのかもしれないです。

(骨格や柔軟性など個人差があると思いますので、

個別に評価する必要はあると思います。)

私の場合は、短時間の瞑想であれば

半跏趺坐で楽に座れましたが、

長時間になると上記のような状態になりました。

(普通の胡坐よりは、骨盤が前後への揺れるのを

防いでくれる感じがあるので、

痛みがなければ良いと思います。)

今回の瞑想では、辛くなったので、

途中で半跏趺坐から胡坐の姿勢に

途中で切り替えました。

そうしたことで、

左右の坐骨に均等に圧力を分散しやすくなり、

時間をかけて少しずつ、

右の僧帽筋の痛みは軽減していき、

最終的には肩周囲の緊張がとれて楽になりました。

長時間座り続けるという事は、

多少なりとも苦痛を伴うものですが、

覚醒状態が下がることにより、

まどろみの中で気にならない程度の苦痛と

耐え難い苦痛の2種類があって、

足の痺れや痛みはそれほどでもなく

痛みはありますが耐えられる程度でした。

僧帽筋の痛みは耐えがたい程の痛みでした。

姿勢のコントロールに気をつけることにより、

この耐え難い苦痛が消えたことで、

心の状態も保ちやすくなりました。

前後のバランスと左右のバランス

また、バランスに関して感じたことは、

前後のバランスを取る方が、

左右のバランスを取るよりも難しいことでした。

と言うのも、前後のバランスを取るには、

腕の位置も重要だということに気が付きました。

前後のバランスを取るには、

両坐骨と地面についている足部にかかる

圧力の分散だけでは不十分で、

背の高い上半身を支えるには、

体幹の筋力に頼るだけでは長時間は困難。

どこかで限界がくると思います。

背部の筋緊張はある程度保ちつつも

使用する筋力が少なくて済むように

腕の位置を上手に調整すると

楽に座ることができることに気づきました。

(腕は、支えに使用するというよりも

肩の力を抜いてリラックスした状態で自然に

膝の上に軽く乗っている状態で、

背骨の前後方向への揺れを緩衝する。

重さを感じず安定できる位置を探る感じ。

とはいっても難しくて探り探りです。)

集中力を培い、心を鎮めるには、

長時間の座位の瞑想が効果的だと思いますが、

一方で、様々な映像が見えたり、

恐ろしげな姿をしたものが現れたり

といったことも今回はありました。

そこには焦点を合わせず受け流していたので、

あまり影響は受けませんでしたが、

そのようなときには、

私は太陽を思い浮かべたり、

高次の存在を呼び護りの力を信じることに

焦点を合わせるようにしました。

不安や恐怖でなく、

感謝することを意識して

恐ろしげに見えるものも、

自分が生み出しているものとして、

光で包み込むイメージをしました。

そうすると、いつの間にか

気にならなくなっていました。

(私の場合はそんな感じでしたが、

不安な時は無理に続けず

一旦中止して良いと思います。

暗闇では行わないなど、

安心できる環境設定にするのも

良いかもしれません。)

体の状態も、心の状態も安定して、

体の苦痛が気にならなくなるまでに、

1時間40分程度かかってしまいました。笑

長時間の瞑想には慣れていないので、

今回の瞑想での気づきは、

役立てられるものとして

活かしていきたいと思います。

次回チャレンジする時は、

もう少し苦痛なくできるかな・・?

頭で理解しても実践しないとですね。

とにかく、練習が大事だと思うので

また、時間を見つけてチャレンジしてみます。

それでは、今日はこの辺で失礼します。

お読みくださいまして、ありがとうございました。

※長時間の瞑想はリスク管理が困難なので、

講座に組み込む予定はないです。

取り組む場合は、自己責任でお願いします。

私自身は、自分の修行目的で行っています。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする