自分を受け入れた分だけ、他者も受け入れられる

こんにちは、hanaです。

少しずつ日が長くなりました。

季節が巡り昼と夜の時間が変化するように

楽しい時と辛い時もその時々で

刻々と変化していて

長く同じ状態が続くように見えても

よくよく見ると変化は起きている。

昼が長い方が良いことだと思うと

夜が長いことが嫌になる

何かが良いと思うと

そうでないことが受け入れにくくなる。

思い込みや執着と言われるもの。

それを手放すと

こだわりが少なくなって

夜が長くてもいいと思えるようになる。

良い悪いの思い込み

偏見や執着、身を守るための反応から

不安がよりどころを求めるように

良い点数じゃないと

友達がたくさんいないと

片付けないと

力をつけないと

・・・

悪い点数もいいね 

友達がいないのもいいね

片付けなくてもいいね

力がなくてもいいね

何がどうあっても

本当は「こうでなければ」なんてことはなかった。

例えば、

「こんな自分じゃダメだ」

なんていうのも思い込みで

そんな自分もそのままで愛されていた。

宇宙は、そんなことにこだわるほど

ちっぽけではなく

こんな私に制限を設けているのは

私自身の勘違いな思い込み

人間関係の中では

悩みが起こりやすく

気をつけなければならないことはある。

最近、思うことは

見返りを求めるのでなく

慈悲の心をもつことの大切さ。

期待があると失望がある。

人を嫌いになるのは

「当然こうあるべき」という

勝手な思い込みを相手に押し付けて

それが叶わない時なのかもしれない。

そんな風に感じた。

私のあたりまえは

相手のあたりまえではない。

頭ではわかるけど、現実の出来事の中では

時々、分からなくなる。

私だって完璧でないのだから。

相手の不完全さを受け止めて

愛するということが大切。

頭では分かるけど実践するのは大変だ。

価値観の違いは絶対に存在する。

どちらが正しいかを

示そうとすれば喧嘩になることもある。

人は皆、自分が正しいと思ってる。

そんなことないと思っても、そんなことはある。

個と個の世界では

どうしても比較や競争に囚われやすく

意識が小さくなりやすい。

だから個を超えた視点で

損得や勝ち負けを超えた視点で見なければ

そこからは抜け出せない。

慈悲の心は相手に何も求めない。

これは損をしているように見える。

見返りを求めずに愛を注ぐというのは、

普通はできない。

個の意識は小さいから

すぐに枯れてしまう。

大きな愛というのは存在していて

本当は自分にもそんな要素がある。

もちろん、あなたにも。

そして、すべての人にある。

ものごとに惑わされずに

幼子が親を無条件に慕うように

批判することもなく

純粋な意識で愛することを

大人になった自分ができるとしたら・・?

それはすごいことで

もしも、そんな人を見つけたら

その人を傷つけたり

裏切ったりはしたくないと思うだろう

親が子供を愛するのは

親が優れているからじゃなく

子供が批判せず純粋に親を愛するから。

優れているのは子供の方で、

親が子供を愛するのはそのため。

純粋な愛を感じると

きっと、自分も同じように

愛したいと感じるものなのだろう。

子供を想うとそんな気がする。

出したものが返ってくるなら

そうした方がいい。

頭では分かるけど実践するのは至難の業。

それを全ての人に行うのは、まさに神の業。

赤ちゃんはそれができる。

大人になるほど、できなくなる。

魂の修行は目立たないけど

本質を大切にするとはそういうこと。

人は神になる必要はない。

そうだけど、近づこうとすることは尊いこと。

そして、そんな意識がこの地球を支えている。

聖者の愛はそのようなものであり、

存在自体が尊い。

キリストも釈迦も

事実として、神の化身となった存在。

自分勝手さは自らを滅ぼし

この星にとっても負担になる。

自分の内側の光を求め、その光で自分を満たす。

外に求めるから奪い合いになる。

欠乏が欠乏を生む。

求めるものは自分の中にあるから、

そこにたどり着くために

心の中の不要なものを取り除いていく。

純粋になるごとに、

内側のパワーに近づいてく。

理想と現実

この違いを埋めるには

大きな源につながる必要があって

小さな自分にできないことをできるようになるには、

大きな力を自分の中に流すことなんだ。

すべては起こる。

その原因は流れてくるエネルギーにより

コントロールされているのだという。

エネルギーの質を高めることが大切だけど

不要なものが付きやすい。

大きな力とつながるためには

エネルギーを純粋にしていく。

自分の中の不純なものを取り除いていく。

内側を見つめる地道な作業。

御魂磨き。

すべては「私」の中に。

今日はここまでで失礼します。

お読みくださいまして、ありがとうございました。

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