
考えても考えても
どうしても分からないことがある
見えないことは推測するしかない
分からないことは不安を生む
そんな状態があった
瞑想してきて
気づいたことがあります。
思考について瞑想の中で気づいたこと
それは、思考が湧いてくる理由
静かになる時とならない時
思考は、感情と同じように
自分の中をバランスしようとしています。
考えることで整理したり
結論づけることで安心しようとしたり
だから、分からないことがあり
不安になる時は
静かにならず探ろうとする
そんな心の働きがあって
考えること自体が
落ち着こうとする働きだということ
だから無理に抑えようとしても
抑えられないし
静かになろうとしない
目立たないけど
思考の動きは感情の働きと連動している
一方で、なんの意味もない雑念の時は
静かになる
そこには意味がない
ただの再生
流れておさまる
整理され残した記憶
これも静けさに
戻ろうとする前の働きだから
放っておけばよくて
それは、それ自体が
どうすれば良いかを知っている
意識的にどうにかしようとすると
逆に混乱を招く
思考は自分の意思とは
無関係に湧いてくる
無意識の領域から
何かの作用で必要なことが
選別されているのか
あるいは自分の
その瞬間の周波数に呼応した情報に
アクセスする仕組みなのか
ただ、周波数が合い共鳴するものに
というのはとても合理的で
納得しやすい説明で
自分の中の何かに
無意識の何かが呼応して
そんな思考を呼び覚ますのかもしれない
個と宇宙
とにかく、個人よりも大きな何かの中で
起きている作用なのだと思う
それは、この宇宙自体が
大きな1つの生命体である
流れの中にあり循環して巡っている
その中には
明確な法則があり秩序がある
今は理解できないことも
何かの理由が存在し
因果やフラクタルや時空間や次元や共鳴
いろんな要素で組み合わされてる
意識体はその流れに沿っていて
体が何かの刺激に反応するように
思考を受信してる
個人はただ1人で存在するのでなく
多くの目に見えない存在も含めた
意識体の海の中にあって
今ここに在る
個人の意思がどこまでなのかは
いまいちよく分からない
けれど、選んでいるようで
選ばれされているとか
自分で決断してるようで
環境や状況により決断させられていたり
周りの影響がなければ
個人の意思も動かないのかもしれないし
そんな意味でも
考えると混乱してくるような
自分ってなに?みたいな
疑問が出てくるけど
周りと自分は隔てられてるようで
切り離せないもので
そんな中でもきっと
個人の意思は存在してる
魂と心
魂には、源に還りたいという
悟りを目指す帰省本能のようなものが
備わってる気がする
一つ一つの雨粒が長い旅をして
いつか海に還りゆくように
心を取り巻く意思には、
本能や感情や思考が絡み付いていて
積み重ねてきた経験や記憶
培ってきた才能
カルマや持ち合わせた性質
そんなものが関係してるのかも
循環
宇宙の意志と個の意志
魂の示す方向と心の示す方向
すべてが連動している。
雨粒は、ただ目の前の行く手を見てる
それでいて、大局的には海に向かっていて、
それは、無意識に行われているのかもしれない。
海の流れは地球の大きな流れや
月や地球の重力に影響されていて
宇宙の動きに呼応している
水は生命の中を巡り情報を伝えてる。
そんな風に考えると、
「私」という自我自体が幻みたいなもので
ただ、循環する流れがあるだけなのかもって
気がしてくる。
・・・だけど、もし、
個にできることがあるとすれば、
意識的に何に共鳴したいのかを
選ぶことなのかもしれない。
それが、行き先を決めていく。
自分が行きたい方向に意識を向ける。
思考は、何に影響されて現れるのか・・
大きな流れと個の流れ
その中に存在している。
それでは、今日はこの辺で失礼します。
お読みくださいまして、ありがとうございます。

