いじめといじり、紙一重の違い。

いじめといじり、それぞれの経験談。

私は、学生時代どちらかと言うと、いじられキャラでした。

そして、思春期の頃には、

「あれは、いじめだったよな。。」と感じる経験をしました。

まずは、どのような経験だったかを、

少しだけ、

負担にならない程度に簡単に書かせて頂きます。

いじめといじりの違いについては、

後ほど書かせて頂きますね。

いじられた経験談

これは、あくまでも主観での区分ですが、

私自身が、「いじり」だと感じたことは、

わざと軽く、こちらが怒るようなことを言われるのですが、

私が嫌がると、

「あー、ごめん。もうしない。」とすぐに謝るような雰囲気。

軽い冗談で、それ以上しつこくされないものだったり、

仲良しの子や、先輩の前で

わざと変な事を言ったり、ふざけたりした時に、

「まあ、hanaだから、しょうがないよ。」

などと、ちょっとけなされるのですが、

受け入れられている感じのある言葉。

こういうのは、いじりかな、と思います。

いじめられた経験談

今回は、いじりといじめについてなので、

言葉のやり取りの中で、いじめだと感じたことについて書きますね。

3人グループで行動している時に、

いつも一人が私以外のもう一人の味方をして、

2対1になっている状態だったことがありました。

些細な事でも、なぞの上から目線で

「え、知らないのー??これ、有名だよね。」

「ねー。」

みたいなやり取りばかりが繰り広げられる状態や、

体育でバレーボールをした後に、

自分の腕に小さな内出血が

いくつも出来ているのに気が付いて、

「あれ、内出血してる。」と言ったら、

「内出血??!内出血だって!!大げさー!!」

と、なぜか馬鹿にされたり。

いつも一つに束ねていた髪の毛を

低めの位置で二つに束ねて行ったら、

「私、その髪型、ちょっとダメかも。」

「私も、、ちょっと無理だな。」

のような感じで、

なんのフォローもなく、

平気で心が傷つくような言葉を言われたり。

当時の私は、いじめられているとは認識していませんでしたが、

複数対一人というのは、力関係の強弱が生まれることからも、

いじめの部類に入るのかなと思ったりしました。

される人の視点から、「いじめ」と「いじり」の微妙な違いとは。

実際に上記のような経験をしてきた中で思うことは、

いじりやいじめをされる方は、

相手の気持ちを感じているという事です。

私が考える「いじり」と「いじめ」の境界線は、

相手を大切に想う気持ちがあるかないか、ではないかなと思います。

「いじり」は、

単純に相手と仲良くしたり、楽しく会話したいだけ。

いじられキャラって、素直に反応するから面白いのでしょうね。

ただ、楽しい時間を過ごしたいだけで、

相手が嫌がっていたら止めるし、

傷つけてしまった時には真剣に謝る。

こういう「いじり」の場合は、いじられている側も楽しいものです。

一方で、「いじめ」の場合は、

相手を大切に想う気持ちがありません。

傷ついたことや止めて欲しいことを伝えても、

笑っていたり、

そのことをさらに面白がったりしている。

相手の自尊心を傷つけて、

それを強さだと勘違いして優越感に浸っていたり、

相手を傷つけても、自分さえ良ければ良いと思っている。

このような状態であれば、それは「いじめ」に

分類されるのではないかと思います。

ちなみに、文部科学省によると、

いじめの定義は昭和61年から変遷をたどり、

平成25年度からの最新の定義では、以下のようになっています。

「いじめ」とは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人間関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こった場所は、学校の内外を問わない。

「いじめ」の中には、犯罪行為として取り扱われるべきと認められ、早期に警察に相談することが重要なものや、児童生徒の生命、身体又は、財産に重大な被害が生じるような、直ちに警察に通報することが必要なものが含まれる。これらについては、教育的な配慮や被害者の意向への配慮のうえで、早期に警察に相談・通報の上、警察と連携した対応を取ることが必要である。

文部科学省ホームページ:いじめの定義の変遷【児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査における定義】より

文部科学省の定義を見ても、

いじめられる側が心身の苦痛を感じていることが

いじめの定義として定められていることが分かりました。

ちなみに、平成6年度に改定された昔の定義では、

この調査において「いじめ」とは、「①自分より弱いものに対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。」とする。

文部科学省ホームページ:いじめの定義の変遷【児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査における定義】より

上記のようになっていて、

私自身、「いじめ」というのは、

私が体験してきたものよりも、もっと内容が酷いものでないと、

当てはまらないと思っていました。

同級生の嫌がらせを「いじめ」として認識していなかったのも、

この定義の変遷によるものかもしれないと、調べてみて思いました。

まず、上の定義の①で言う、

「自分より弱いものに対して」という部分でも、

相手が同級生で、体格差もあまりない場合、

自分が相手より「弱いもの」に当てはまるのかどうかも微妙ですよね。

この定義の変遷を見て、

今の子供世代の方が、親世代が子供だった時に比べて、

この行為は「いじめである。」と

言いやすくなっている印象を受けました。

いじられる(いじめられる)人が、いじめだと感じたらアウト。

「いじめ」なのか、「いじり」なのかは、

された立場の人が一番よく感じられると、

自分自身の体験から思います。

している方は、軽い気持ちなので、

自覚なく言葉を発していたりします。

実際に、

「やめてよ。もう、いい加減にして。」と真剣に伝えても、

「やだやだ、そんなに真剣にならないでよ。

楽しくしてるだけじゃんねー!」などと言ってきます。

けれど、不愉快さを感じている相手に対して、

失礼な言葉だなと思います。

一緒に居て楽しいか、不愉快か。

この主観的な感覚が、「いじり」と「いじめ」の

一番の指標になるのではないかと思います。

される方が、「嫌だ」「不快だ」「辛い」と感じたら、

いじめなのだと思います。

そこに、友達として大切にされている感じがしないのですから。

不快な状況から抜け出すには。

私が、2対1で嫌がらせを受けていた時、

苦しい状況を変化させたのは、自分自身の行動でした。

具体的に何をしたかと言うと、グループから抜けました。

やり方としては、

まず、同じクラスの他のグループで話せる人に、

その時の状況を相談しました。

状況を理解してもらう事で、

他のグループに受け入れてもらいやすい環境を作ります。

相談する相手は一人で良いです。

そして、3人で一緒に行動することをやめました。

移動教室やトイレなど、一緒に行くのは他のグループの人。

具体的に行動に起こした時、

いじめをしてきた3人組の2人の態度は急変しました。

なぜか、必死で引き留めてきます。

「hanaちゃん、本当にごめんね。私たちが悪かったよね。

私たち、hanaちゃんがいなくなって、悲しくて、

トイレの中で二人で泣いたの。

もう嫌がることはしないから、お願いだから一緒にいよう。」

と言われました。

(このセリフ、衝撃的すぎて忘れられないんですよね。汗)

当時の私は甘かったので、一度は二人を許してしまいました。

けれど、案の定、

2人はすぐに図に乗って、同じような事を繰り返します。

それで、さよならしました。

相手の性格は、そう簡単に変わるものではありません。

簡単に許さない方が良いです。

思い切って縁を切った方が良いと、伝えさせて頂きます。

その方が、心穏やかな日々を過ごすことができると思います。

あなたのことを大切にしない人を、

あなたが大切にする必要なんてありません。

悲しいけれど、そういう人もいるのだと

割り切ることが必要な時もあることを知りました。

何かのお役に立ちましたら幸いです。

お読み下さり、ありがとうございました。

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