虫の知らせは、軽視しない方が良い。

虫の知らせと言う言葉がありますね。

意味を調べると、

何の根拠もないのに、よくない出来事が起こりそうだと心に感じること。

Oxford Languages より

とあります。

なんとなく、嫌な予感がするとか、

そう言う事って、感じたことがある人も多いと思います。

私が体験した中で、虫の知らせを

最も分かりやすく感じたのは、

伊勢神宮に参拝に行ったときのことでした。

ちょうど、式年遷宮が行われた年に、

伊勢神宮に参拝に行ってきました。

鳥居をくぐると、もう、空気が違う。

やはり、伊勢神宮は特別な場所だな、、と感じました。

異世界に入ったかのように、

空気がシーーーーーーンと静かで

澄み渡っている。

音がしないとか、そう言う事ではないのですが、

肌に触れる空気の感覚が違っている感じでした。

透明の美しくて冷たい水の中に入ったかのような感覚。

両側に生えている大木達も

凄いエネルギーを発している。

一歩一歩、歩みを進めながら、

周囲を見渡すと、

木に抱き着いている人がいます。

「わあ、木の音が聞こえるのかな。」

私もやってみたいな、と思い、

恐る恐る近くにあった木に近寄って、

手で触れてみました。

と、その時、、、

手を当てた、ほんの2センチ先に

5センチ位のムカデが、、、!!!!

「ウワッ!!!」

思わず飛びのきました。。。

ちょうど、木と同系色で、窪まった場所に

居たので見落としていたのですね。

こ、、、これは、いけない。

やるなと言うことだ。

私は、それ以上、

木に触れるのは止めておくことにしました。

もう、伊勢神宮ともなると、

生えている木は、全てご神木と思えるくらい、

風格があります。

失礼があってはならないのだな、と思いました。

実際に、伊勢神宮から帰ってきた後に

気になって、伊勢神宮の木に抱き着いても

良いのかを調べてみたのですが、

木に抱き着くと、その後、足を骨折する人が多い

と言う記事を読みました。

本当かどうか、分かりませんが、

やはり、あまり触れたり抱き着いたりは

しない方が良かったのだな。

と思いました。

まさに、虫の知らせでした。

もしかしたら、

虫は、神様の使いなのかもしれません。

多くの虫が、植物と一緒にいます。

植物は、私たちの命を支える神聖な存在です。

虫たちは、様々な情報を知っているのかもしれません。

虫には様々な形態のものがいて、

他の動物にはない位、姿形が、それぞれに違います。

役割に応じた姿なのかな、、と。

虫もその他の動物もそうですが、

人間には感知できない何かに従って

行動している印象があります。

蜂のダンスや、アリの行列、

渡り鳥がまとまって飛ぶ様子、

小さな魚の群れがまとまって泳ぐ様子、、

一体、何で動きを感じ取っているのだろう、と。

アリは、お尻から何かを出して地面に印をつけているとか、

イルカは超音波で交信しているとか、

いろいろな方法があるようで、

人間にはない機能を有している。

私たちが感じ取れることが、

すべてではない。

そんな情報を虫は知らせてくれているのかな、、

とも思いました。

虫は、物言わぬ植物の守り手でもあるのか、、?

虫は、どうしても、

見た目が苦手で嫌ってしまいやすいのですが、、

何か、邪心の少ない、清らかな生き物という

側面もあるように感じるのは気のせいでしょうか。

そう思うと、あの異常に多い足の数や

急に凄い速さで飛び回る身体能力や、

木からブラーンとぶら下がって急に現れるクモも、

植物を守る護衛隊だと考えると、

攻撃的な容姿にも納得がいくような、、、笑

そんな、ユニークな虫たちは、

私たちの住む環境に欠かせない存在であることは、

間違いない。

そして、彼らの中に、

食用に適したものと、そうでないものが居るのは、

必然的なこと。

これまでの人類の歴史の中で、

食糧難に直面する機会は、

きっと、たくさんあったでしょう。

食べられるなら、

食べられていて、本当に体に良いものであれば

継承されていると思うのです。

それを、よくわからずに、

「良いものだから。」と、突然、

大量に食べ始めるという

コオロギ食の不自然な行為は、

一体、この先何を生むのでしょうか。

原因不明の難病とか、

今までなかった、アレルギー体質とか、

おかしなことにならなければ良いなと、

祈るばかりです。

自然の守り手である、虫たちの

怒りを買いませんように、、、

今日も、お読みくださいまして、ありがとうございました。

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