思考と感覚のバランス ー性格分類について思ったことー

こんにちは、hanaです。

普段接している人について考える時、

いつの間にか「分析する」という癖がついているな、

という事を感じることがありました。

それは、単純に、

「この人の性格、なんとなく猫っぽい。」とか、

「犬っぽい。」とか、

大して深く考えている訳でもないのですが、

ふと気づいたことは、いつの間にか、

「人を型にはめてみようとする」癖がついているのかも、、

ということでした。

この癖は、理解を助ける一方で、

大切な事を見落とすのではないか、

という事も感じさせてくれました。

私のブログにも記載している

エニアグラムや一霊四魂の考え方、

あるいは、ブログには書いていませんが、

ユング心理学での

思考型、感覚型、直感型、感情型など、

世界には、人間の内面を理解しようとする

さまざまな試みが

昔からなされてきたことが分かります。

体型や外見がそれぞれに違うのと同じように、

性格にも傾向が存在していて、

似た傾向を持つ人が存在することが分かります。

自分を理解するためや、

相手を理解するため、

悩みを解決するために、これらの知識を

活用することは、とても参考になると思います。

一方で、型に当てはめる作業を行うことで、

自分の持つ、表の型とは違う部分や、

当てはまらない部分などが、

少なからず存在することを感じることもあります。

エニアグラムの分類ではタイプ1なのだけれど、

ロマンチストな一面もあるなど、

必ずしも教科書通り当てはまるほど、

単純ではないのが、それぞれの個性で、

中には、どれもしっくりこないような

人がいても不思議ではないな、、と思います。

頭であれこれ論理的に考えて

理解することができる部分もあれば、

実際に相手から発せられる雰囲気や

表情などから感じ取ることで理解できる

非言語的な理解もあります。

人を理解するということは、

本当に難しい作業で、

経験からくる思い込みにより

歪められたりしやすかったりもします。

型にはめて決めつけてしまうことは

理解を助けてくれる一方で、

「いや、もっと、幅広いものだよね。」

と思う事もしばしばです。

中には、人生の出来事を境にして、

性格が変化するということが

起こることがあります。

例えば、実際に見たり聞いたりした範囲では、

「あの出来事を境に、昔は社交的だったけれど、

表に出てこなくなってしまった。」

「昔はいじめられっ子だった人が、

年を取ったらグループのリーダー格になっている。」

「昔は、ワンマンで人の意見に全く耳を貸さなかった人が、

今では、穏やかで大人しく、自分の意見よりも他者の意見を

尊重するようになり、まるで別人みたい。」

というようなことがあり、驚くことがあります。

こうした事例を見ると、

人間は、今持っている性格が

必ずしも一生続くものでもなく、

変化する可能性を秘めた存在であることを感じます。

「もう、年だから変われない。」

と言うのも、一種の幻想なのかもしれません。

「三つ子の魂百まで」という言葉があるように、

生まれながらに変わらない部分もありつつ、

年齢を重ねるごとに、むしろ年を取ってから、

経験を通して価値観が変化し、

人との接し方に変化が出てきて、

まるで別人のようになることもある。

本当は、そんな可能性を秘めた多面的な存在が、

人間なのだろうとも感じています。

また、様々な人を見て思う事は、

いろいろと難しいことを考えない人の方が、

人付き合いは上手に見えることがあるということです。

頭で考えるよりも、感覚的に捉える事。

「なんとなく」この人って、こんな感じ。

うまく言葉にできないけれど、

そういう感覚を上手に使える人は、

握りしめているこだわりも少なく、

お話しの内容も相手に上手に合わせて

相手に寄り添っているな、、という

印象があります。

楽観的で、あまり深く悩まない。

そういう人は、不思議と気楽さや安心感を

相与えてくれる印象があります。

また、違う場合もあるとは思いますが、

私が今まで出会ってきた、

95歳以上の長寿の方には、

そんな方が多いような気もします。

いろいろと頭を使って悩むことは

決して無駄なことではないし、

それで、道筋が見えてくることも

大いにありました。

なので、そんな部分も活かしつつ、

実際に触れてみて感じ取る経験や、

頭の中で型にはめることなく、

ただ、「ありのまま」を素直に受け止める。

そんな在り方も大切にしたいなと感じます。

そして、自分が相手からどう見られるか

ということを考えた時には、

「あなたのタイプは〇〇タイプだから」

という理解も参考にはなるし、

為になるのだけれど、

それ以上に、実際に「私」という存在を

ありのままに感じ、受け止められた時の方が、

唯一無二の自分を受け止めてもらえた

という感覚が持てると思う事もあります。

ただ、単純に「hanaは、hanaだよね。」

という言葉にならない感覚。

誉めるでも、けなすでもなく、

ただ、ありのままを知ってもらえたような、

そんな感じがするな、、と。

実際に自分の家族など、

とても身近な存在ですら、様々な面を持ち、

一方向的には決めつけられない存在だと感じます。

特に、子供に関しては変化が大きい時期で、

様々な可能性を秘めている存在なので、

型にはめることなく、

ただ、目の前の「この子を受け止める。」

という在り方が、私も楽だし、

この子にとっても良いのかな、、と感じたりします。

接し方に悩んだ時には、

きっと、性格分類も参考にすると思います。

そして、接し方など、有効な視点を提供していることも

確かなのだと思います。

ただ、思考に偏らないようにの

バランスが大切で、中庸であることや

客観的視点を取り入れながらの在り方を

意識していく事が必要なのだろうな、

と理解しています。

その上で自分自身の在り方を見つめ、

コントロールしていく努力を、、と思いますが、

続けても続けても、

きっと、失敗したり、悩んだりするのでしょう。

それでもあきらめずに続けていく

という修行が人生なのかな、、と。

ただ、個人的には、

周囲の人と仲良くしようとして、

誰かにとって、都合の良い人になることが、

ゴールではないし、

自分の道をただ突き進む中で見えてくるものが

何なのかを楽しみながら

考えたり感じたりしていけたら、面白いかなと

思っています。

というわけで、

性格分類は、あくまでも一つの目安という感じで、

付き合っていけたら良いかなと思っています。

今日も、お読みくださいまして、ありがとうございました。

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