闇を知らずに後悔した話。ー本当の意味で愛や光を実践するためには、闇を知る必要があるー

こんにちは、hanaです。

最近、辞書みたいに分厚いけれど、

読んでみたい本に出合ったので、

中古で安くなっているのを見つけて、

思い切って買ってしまいました。

ワクワクしながら、読み進めています。

今日、これからするお話しは、

hanaの想像を膨らませた思想が含まれています。

少々、いえ大分かな、、宗教っぽいと

感じさせてしまうような内容も含まれていますので、

それでも読んでみたいな、、と想ってくださる

素敵な方にお読みいただけましたら、嬉しい限りです!

突然ですが、あなたは、

「なんでここに生まれてきたのか?」という事を

考えたことはありますか?

hanaは、人間は何のために生まれ、

死んでいくのかということについて、

昔からなのですが、

「知りたいな」という想いが自然に出てきます。

これは、単なる個人の想像なので、

気楽に読んで頂けたらと思うのですが、

きっと、魂の成長を促すためだったり、

経験を通した学びを深めていくため

なのではないかなと思っています。

死んだら、全てが終わるのではなく、

死後にも続いていく世界が存在する。

もちろん信じなくて良いのですが、

個人的にはそんな風に考えています。

そして、何についてを学ばなければならないのかと言うと、

それは、愛についてなのではないかと思っています。

全てに対する愛という、

広義の意味での愛のことです。

それは、言葉を変えれば、光だったり、

神だったりするのかもしれません。

(※hana自身は、どの宗教にも属していません。)

多分、人間は、創造主に近づいていく存在で、

そういう能力を与えられているのではないか、、?

と想像を膨らませています。

その力を活かすか活かさないかは

個人の選択に任せられている。

その上で、もしも、この世界が、

平和で病気になることもなく、

悲惨な事件もないような、

理想的な美しい世界だったら。

美しい世界のことは理解できたとしても、

それしか知らなければ、

その真価は、きっと理解できない。

なぜ、愛が尊いのか。

なぜ、光の世界を望むのか。

なぜ、そちら側を選択するのか。

その理由を答えるためには、

愛でないこと、光ではないことを知らなければ、

本当の意味での理解とは言えないし、

大事な場面での選択で、迷いが生じてしまう。

それは、

「何気ない日常生活が、いかに恵まれたものであるか。」

という事を理解できるのかに似ていて、

風邪を引いて動けなくなって、

しばらく家で寝ていなければならなくなった時に、

「ああ、普通に学校に行けることって、

有り難いことだったんだな。」と

感じることに似ているのかもしれません。

もちろん、正解なんて分かりようもないです。

単なる想像だと言われれば、そうなのでしょう。

けれども、この世界に闇が存在するのは、

学びを深めるため、と言う

それなりの理由があってのことなのだと思います。

だからと言って、

闇の存在を許し続けることとは違います。

この地球上では悲惨な事件が起こっています。

具体的には書きませんが、

とても、許せるものではありませんし、

それは、償われるべきことです。

そして、この世界に起こることが

私たちの内面を反映したものであるとしたら、

これも決して他人事ではなく、

自分の中にある見て見ぬふりをしている

恐ろしい部分である可能性だってあります。

例えば、私たちは動物を食べて生活しています。

食べるために、鶏や豚や牛を育てています。

養鶏場の鶏の9割は、

狭いケージに閉じ込められて、飼育されます。

卵を産むために育てられ、産めなくなったら、

麻酔も使わずに羽を抜かれ、

ストレスを与えることで、

卵を産むように仕向けられることもあるそうです。

そして、鳥インフルエンザになれば、

集団で殺処分・・。

もし、これが人間だったら、、?

狭い檻の中で

子供を産むために育てられていたら・・?

そんな悲惨な世界を継続させたくないと思います。

見て見ぬふり。

もしくは無関心と無知によって、

この残酷な状況に

「安いタマゴを選ぶ」と言う形で加担している・・。

辛い現実です。

卵を生産する人が悪いのではなく、

それを選択する消費者に責任があります。

すべては、他人ごとではない。

このことを見つめることは、とても辛い事だし、

すぐに変えていけることではないかもしれない。

けれど、できることとしたら、

買い物は投票と同じだと考えて、

安いタマゴより、

高くても平飼いタマゴを選ぶ。

平飼いタマゴでないと買わなくなったら、

平飼いタマゴの需要が増えて、

平飼い農家さんが増えていく。

そして、過酷な環境で飼育される鶏が減っていく。

日差しの下で元気に走り回れて健康的に育ち、

人間にとっても、より健康的な食事につながる。

少し話題が移りますが、

ペットの売買についても、繁殖させるためだけに

狭いゲージで繁殖させるブリーダーが存在する。

私がそれについて知ったのは、ほんの数年前でした。

知っていたら、

ペットショップで犬を買うことはなかった・・・。

本当にショックで、後悔しました。

考えてみたら、

「可愛がるためだけに生き物を売買する」

という事自体どうなのかなと、、。

そんなことにも気づけなかった自分が

情けなくなりました。

保護犬の存在も、犬を飼った後に知りました。

それまでは、ほとんど犬に興味がなかったのです。

子供が犬を飼いたいと、粘り強く懇願したため、

根負けして、ペットショップに行きました。

こんなことからも、

無関心であることそのものが、

罪の温床になってしまうのだと分かり、

悲しかったです。

そういえば学生時代に、

ペットショップでアルバイトをしていた

動物が好きな友人に、

可愛い動物に囲まれていて、幸せなのでは?と想い、

「仕事は楽しい?」と聞いたときに、

暗い表情をしていて、

あまり多くを語りたがらなかったことを

後になって、思い出しました。

マネー第一主義という拝金思想は、

あまりにも身近に浸透していて、

私たちの生活に影響を及ぼしています。

なぜ、こうなったのか、、?

私達は、闇について目を向けなければ、

自分たちの健康さえも

守れないところまできています。

この状況から何を学び取り、選択していくのか。

こう言う事を、問いかけられています。

闇と戦うのではなく、

ただ、事実を知って、選択する。

このことが、求められているのではないかと思うのです。

そして、関心を持つ人が増えることで、

世の中は変化していく。

お金がないから、平飼いタマゴを買う余裕はない。

それもよく分かります。

私も、現状できません。

平飼いタマゴは、種類にもよりますが

質の高い環境で育てられたものは、

10玉で500円以上するものがほとんどです。

スーパーなら200円程度で10玉買える。

悔しいけれど、余裕のある時に、

買うくらいしか、今はできない。

だから、お金なんて無くなれば良いと思いますが、

それは、現実的ではないので、

自分で稼ぐための努力から始めています。

毎回、平飼いタマゴを買えなくても

完璧じゃなくて当たり前だし、

今できる範囲で、

行えばよいのだと思っています。

それぞれに事情はあるし、無理したり

出来ない自分を責める必要はない。

そして、知っていることで、

何かの役に立つこともある。

今できることを出来る範囲で。

自分を責めることなく、行っていく。

それに、人生は自分次第で変えられる。

そう、思っています。

思考は変容させることができるし、

行動も変化させていくことができる。

人生を創るのは自分です。

そんなことを、言霊瞑想ではお伝えしています。

もし、興味がありましたら、

こちらのリンクからご覧になってみて下さい。

今日も、お読みくださいまして、ありがとうございました。

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