無私の領域で眺めていく

こんにちは、hanaです。

春ですねー。

とても過ごしやすい時期ですが、

新しい出会いと共に、

人間関係の悩みも出てきやすい

そんな時期でもありますね。

「自分のため」の世界の中は生きづらい

相手の態度に腹を立ててしまう。

なんかイライラする。

落ち込む。

モヤモヤする。

そんなこともあるかと思います。

競争や比較の世界では、

そのようなことが起こりやすいですね。

学校制度の影響もあり、

競争意識を自然に持たされるような

環境下で育てられるので無理もありません。

会った瞬間から、

「この人はどの程度の人物か」

と値踏みするような見方で相手を見たり

どうしたら相手より

優位に立てるのかと計算をしたり

自分が上であると

態度や行動で示そうとしたり・・・

ピラミッド社会では

上の地位を目指すように

振る舞うことが

当たり前のような風潮もあり

そこに行きたいという願望を

抱いている人も多いので

そのようになりがちで

そのような中から

苦しみも生まれてきます。

例えば、喋るのが得意な人は

会話の中で主導権を握ろうと

まくし立てるように話をして

自分のペースに持っていこうとしたり、

相手の弱みや苦手なことを

瞬時に見抜き

いざとなると弱みを指摘したり

ライバルよりも自分の方が

優れていますというアピールを

行動や発言の中で示そうとしたり

・・・された方は、

不快になりますよね。

けれども、

組織にとって都合が良ければ、

そんな小さな葛藤は

お前も頑張れ、負けるなという感じで

いちいち寄り添って

話を聞いてくれるような

雰囲気や居場所も 

見つけにくかったりします。

それぞれが、

「自分のために」生きていて

「自分のために」行動している社会

そういう風になりやすいのが

縦型社会なので

組織の在り方自体が

人間関係の軋轢や競争を

生み出しやすい仕組みになっています。

そんな中にいると

ライバル意識や競争意識から

同期や先輩、後輩の中で

認められたい、好かれたい

良いポジションにいきたい

という欲求から、

それぞれの立場の中で

様々な計算がなされます。

上司の性格に問題があったりすると

嫌われるだけで

居場所を失う危険性さえはらんでいる

厳しい場所にもなり得ます。

誰にも心を許せない

と、感じるかもしれません。

苦しみを生み出す「私」への囚われ

では、どうしたらいいの??

あなたの苦しみの原因を

探ってみたいと思います。

あなたは、イライラしたり

モヤモヤしたり、落ち込んだりを

誰のためにしていますか?

それは、

「自分のために」

ではないでしょうか?

もちろん、それが悪いとか、

言いたいのではありません。

そうなるのは、自然なことです。

みんな、そうです。

みんなが

「自分のために」

でいることから、

苦しみが生まれている。

あいつにこんなことを言われた。

嫌味かしら。

当てつけかしら。

なんで言うことを聞かないんだ。

あいつだって、できてないじゃないか。

・・こんな具合に、

相手のことを低く見ようとしたり

できてないところに意識が向いたり

そのようになるのは、

自分を守ろうとする心理的な機能が

働くためだったり、

安全欲求や愛情欲求、承認欲求

といったものに

瞬間的に反応しているためだったりします。

全てが自分に都合よくいくわけがないし、

その価値観の中にいれば

苦しみから逃れることはできません。

それでは、どうしたらよいのでしょうか?

では、そこでです。

「自分のために」から

離れてみるのはいかがでしょうか。

自分のためから離れるだって?

何を言ってるのだ、

そんなことは無理に決まっている。

だって、自分を無くすわけには

いかないじゃないか。

と、思うかもしれませんが

いわゆる「私」と言うものに

囚われているからこそ、

大事なことを

見落としてしまうことがあります。

損得だとか

ポジションだとか

好かれたいとか

そういうことから

離れた目線で物事を眺めてみると、

その大事なことが見えてきます。

周りの様子を感情的にならず

冷静に見ることができるようになる。

そうすると、

自分以外の周りの人たちの

必死さや苦しみや不安が

見えるようになり、

無私の心から

「相手のために」手伝おう

「相手のために」知らせよう

「相手のために」安心できる言葉を使おう

そんな風に変化が起こります。

そうすると、

都合よく利用してやろうなんて

酷い人間もいたりしますが、

伝わる人には伝わるのですね。

昔の同僚の話し

私が昔、一緒に働いていた人に

そんなことが自然体でできる人がいました。

彼女は私よりも1つ年下でしたが

彼女がなぜ、

周りの人達から好かれているのか、

当時の私には

よく分かりませんでした。

けれども、私も彼女のことが好きでした。

もちろん、変な意味ではなくて

彼女と一緒にいると

理由はわからないけれど、

なんとなく、居心地が良くて話しやすい。

何も飾らなくて良いし、

相手も心地よさそうにしている。

言葉にするとそんな感じなのですが、

彼女のすごいところは、

競争意識が強い同期や

癖のある先輩からも好かれていて、

彼女と接する人達のほとんど全員が

彼女に魅了されていくかのようでした。

それは、彼女が特別に面白い話をできるとか、

そういうことでもなくて、

むしろ、一見、言葉を発するのが、

不器用そうに見えるにも関わらず、

そうなのです。

1つ言えることがあるとすれば、

彼女はいつも自然体で

とても素直でした。

そこには、無駄な計算がない。

認められたいとかも特にない。

おかしいなと思えば

率直に意見を伝えることもあるけれど、

それは、客観的に見て

どう考えてもおかしいよね。

という時でした。

時々、感情的になることもあるけれど

基本的に冷静で無表情。笑

無表情だけど、怖い感じではなくて、

ただ、「無」でいるという感じ。

もしかしたら、瞑想していたのかな・・?

そして、彼女自身にも好き嫌いはあるけれど

立場の上下関係なく、

誰に対しても敬意を払っていたし、

子供が相手でも礼儀正しく接していました。

そして、物静かに見えるけれど、

積極的で行動力がある人で、

そんなギャップが

面白さを感じさせていたのかもしれません。

彼女といると居心地が良いので、

自然に周囲に人が集まる。

そんな人でした。

きっと、私利私欲抜きに

純粋な愛と言うものに、

近い状態でいられる人だったのかなと

今は思います。

彼女自身が

どこまで考えていたのかは分かりませんが、

賢い人だったことは

たまに垣間見える発言から

ハッと気付かされることが

あったことからも感じ取れました。

その賢さというのは、

勉強のできる賢さとは、

また違う種類のもので、

人間力とでもいうのでしょうか。

そういう種類のものだったと思います。

苦しみと向き合うには・・

その苦しみは、

誰のために悩んでいるの?

そんな問いかけをしてみると、

ハッとして

「私」への囚われに気づけたり、

「自分のため」から離れた視点で

物事を眺めるきっかけに

なるかもしれません。

「自分のため」は、

とても大事なことでもありますが、

人間関係の苦しみは

そこから生まれるものでもあります。

自分を大事にするとは、

「自分のためだけ」に生きるとは

異なっています。

人間関係の中に身を置く時、

我慢ばかりするのでもなく

自分のためだけになるのでもなく

自分というものを離れた視点から

物事を眺めて

心の奥底にいる魂に

あなたはどうしたいですか?

と、本心を問いかけてみると

ヒントが得られるかもしれません。

深い部分で、人は繋がっています。

相手にしたことは、自分にしたこと。

そんな仕組みとも言えるかもしれません。

「自分のため」だけでも

「相手のため」だけでもない

全体を俯瞰した状態での視点から

答えが見つかるかもしれません。

感情的反応や自己防衛でないところから、

一歩引いた視点で眺めてみる。

損得勘定や、こうあるべきという自分視点は、

一度、脇に置いて、

もう少し純粋な奥底にある想いを

じっくりと感じとってみる。

答えは、いつも自分の中にあります。

1人でできるので、

リラックスできる時に

良かったらやってみてくださいね。

違う視点を持つことで、

イライラやモヤモヤ、落ち込みが

少しでも軽くなることを祈っています。

それでは、

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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