小さな自分と大きな自分

こんにちは、hanaです。

最近、人とお話しすることが、

楽しいなと感じられることが

多くなっています。

今までは、楽しくなかったのかと言うと、

そういうわけでもないのですが、

そうするための心得みたいなものが、

自分の中に感じられているので、

書いてみたいと思います。

人と関わると、楽しい事も

嫌な出来事も両方起こりますよね。

そして、嫌な出来事の方が、

インパクトが強くて、

自己防衛の本能のせいなのか、

気になってしまったりします。

どうしても、嫌な事って起こります。

それは、突然、やってきたりするので、

予測できない事も多いのですが、

そんな中で、なぜ、

楽しいと感じられているのか。

それは、小さな自分でなく、

大きな自分で見ると言うように、

視点を変えて眺めるように

意識しているので、

嫌な事が起きても、気にしない工夫が

できるようになってきたからかなと思います。

嫌な事に囚われてしまうのは、

いつも、小さな自分です。

小さな自分は、

幼いころから現在までに、

自分の中に作り上げた思い込みの自分像で、

実は、実態のない思い込みの塊です。

「私は、ダメな人間」とか、

「私は、意気地なし」とか、

「私は、〇〇」というような、

思い込みの塊です。

あとは、経験の中で培ってきた

自分だと思うこと全てかもしれません。

体だったり、経歴だったり、成績だったり、

目に見える物差しでの

比較の中で作り上げられてきた自分像。

それが、イコール自分自身だという思い込み。

体はさすがに自分でしょうと思うかもしれません。

けれど、「体がある」ということすら、

思い込みだったらどうでしょう。

「在る」と感じるのは、

見えるから、触れられるから、匂いがするから、

音がするから、味わえるから、

確かにそうかもしれません。

けれど、これらは、

体を走る神経による電気信号であって、

ただ、その信号によって、

あるように感じているだけなのかも

しれないと考えたら、

実態があると思っているものすら、

思い込みでしかない可能性だってあるのです。

突き詰めてみると、それほどに

曖昧な世界に住んでいる可能性だってあります。

ただ、そこまで考えてしまうと、

現実世界で生きていくには

混沌とし過ぎてしまうので、

そこまで知ろうとする必要もないというか、

ここから先は、

個人の趣味で楽しむ世界かなと思います。笑

社会で生きていくために必要なことは、

この世界は、実はとても曖昧な世界で、

自他の区別すら、あるようで

ないのかもしれない、

くらいの認識で良いのかもしれません。

話を戻しますと、

小さな自分に囚われている時は、

自分が大切にされていないように感じると、

落ち込んだり、怒ったりします。

自分の経歴が自分だと思っていたら、

経歴を馬鹿にされたら怒ったり、落ち込んだり。

自分の体が自分だと思っていたら、

体の特徴を指摘されて気にしてしまったり。

そして、他人のことだと馬鹿にされても、

気にならなくて、

お笑いのネタのように

笑える事すらあるかもしれません。

小さな自分は、周囲の発言や

「自分がどう見られているか」に敏感で、

いつも比較の中で自分の立ち位置を探り、

一喜一憂しています。

けれども、

そんな小さな自分への囚われから抜け出すと、

大きな自分が存在することに気づきます。

大きな自分は、体だけが自分ではないと知っています。

そして、経歴に優劣をつける必要がないどころか、

すべての経験に価値があることを知っています。

大きな自分につながると、

自分の悩んでいたことは、

大体の場合、

小さな自分の狭い視野と低い視点で見た時の

悩みだという事が見えてきます。

そして、自分と他人の区別すらつける意味がなく、

全てが繋がりをもって、存在していて、

小さな自分を嘲笑してしまっている

他者だと思いこんでいる別の小さな自分がいて、

その他者について俯瞰してみることで、

なぜ、嘲笑しているのかと言うと、

実はそうしなければ

ならないような理由が存在することも

見えてきたりします。

そうすると、他者に対しても、

理解して受け止める気持ちを

持ちやすくなったりします。

このように見ていくと、

自分と他者を区別する意味や、

分け隔ての原因となりやすい

比較や競争の視点よりも、

助け合いや協力していくことの

大切さが見えてきます。

命を持つ、すべての者たちが、

もともと一つの存在であるとしたら・・

体に例えるなら、

例えば、自分が心臓で、他者が肝臓だとしたら、

心臓と肝臓がお互いを比較して

優劣や価値を競っても意味がないし、

競争しても良い事はなさそうです。

それよりも、お互いの違いや役割を理解して、

協力して助け合う事で、

全体が上手く機能するようになる。

低い視点では、バラバラのように見えるけれど、

本当は、一つの存在だとしたら、

そんな在り方が良いように想えます。

大きな自分の視点で見ると、

小さな自分の悩みは、

「大したことではない。」

「どうでもいいようなことだった。」

ということがほとんどです。

客観視による視点の切り替えによって、

大きな自分と繋がることができるようになります。

言霊瞑想では、この客観視の能力も

鍛えることができるので、

人間関係の悩みが、小さくなり、

大きな自分視点で見ることにより、

人間関係を俯瞰して、

楽しむことができるようになってきます。

調子には波があるので、

うまくできたり、できなかったりの

波はありますが、

練習することで慣れていきます。

hanaも毎日練習しています。

言霊瞑想に興味を持って頂けましたら

嬉しい限りです。

もしよかったら、

一緒に言霊瞑想をしてみませんか?

案内は、こちらにあります。

今日も、お読みくださいまして、ありがとうございました。

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