こんにちは。
言霊瞑想をお伝えしているhanaです。
今日は、誰もがふと疑問に思った事が
あるのではないかと思う、
「本当の自分」について考えてみたいと思います。
日常生活の中で、
私達は、いろいろなことを思ったり、考えたりしています。
そして、感情や気分も、その都度変化していきます。
そして、接する相手ごとに変化します。
両親の前の自分、子供の前の自分、
友達の前の自分、先生の前の自分、
同僚の前の自分、お客様の前の自分。
様々な自分がいて、接する相手によって、
話し方や態度も変化します。
変化の中に身を置いていると、
一体、どれが本当の自分なの??
そんな風に思う事が出てきて、
まるで、迷子になったように感じるかもしれません。
どんな自分も、
自分であることに違いないのですが、
本当の自分について考える時、
おそらく、あなたが求めている答えは、
確固とした何かだったり、
あるいは、自分の中心とも言えるような
ものを探しているのかもしれません。
揺れ動き、変化する世界では、
つかみにくい何か。
昔、どこかで知っていた気がする何か。
それは、どこに見つけられるのでしょうか?
答えは、自分の中に。
どんな時にも、自分と共にあり、
自分の本体と呼べるものがあります。
それは、自分の中を見つめた時に、
見つけることができます。
本当の自分は、体ではありません。
体の中に宿っているエネルギーです。
言葉を変えれば、魂と言ったり、
大いなる自己と言ったり、
ハイヤーセルフや、内なる自分と
言ったりする存在です。
言葉は違っても、
大体、同じようなものを表わしています。
本当の自分は、とても静かです。
存在するのかしないのかも感じ取れないような、
微かな雰囲気なので、普通に生活していたら、
まず、その存在には気づきません。
それは、日々の出来事に反応して、
怒ったり、笑ったりしている心とは、違っています。
心は、出来事に反応し、外側を見ています。
やるべきことを考えたり、
計画を立てたり、
現実世界に則したことを行っています。
比較したり、嫉妬に駆られたり、競争心を燃やしたり、
様々なことに囚われやすい側面があります。
別名、エゴや小さな自分、外なる心などと
呼ばれたりします。
常に変化し、動き回る世界の中で、
動きを止め、思考を止め、
立ち止まって心を無にして
観察する中でも存在しているもの。
静かに立ち止まる中に、
答えは見えてきます。
消えゆくもの、変化するものは、
本当のあなたではありません。
それは、ただの反応です。
怒りも、悲しみも、喜びも、
いずれは消えゆくもの、
移り変わるものです。
肉体も、常に代謝し、
入れ替わっています。
究極を言ってしまえば、
体すらも、本当の自分ではない。
誰かと競争して、勝ち負けを争い、
勝ち取った地位や名声も、
本当の自分ではありません。
それは、肉体を脱ぎ捨てた時、
捨て去っていくものです。
本当の自分は、
そういう心に囚われない、不動の存在です。
そんな自分の状態を観察している観察者です。
本当の自分は、瞑想をしていると、
少しずつ感じ取ることができるように
なっていきます。
「怒っている自分」を見ている自分。
「悲しんでいる自分」を見ている自分。
「お腹が痛くて苦しむ状態」を観察している自分。
瞑想が上達してくると、
「今、ここ」の状態を観察している存在に
気づくようになっていきます。
そして、本当の自分は、
静かな観察者であることに
気づいていきます。
ただ、観察することを止めると
本当の自分は、眠ってしまいます。
そして、現実世界の出来事に埋没して
本当の自分を忘れていきます。
本当の自分を探している人は、
瞑想にチャレンジしてみては、いかがでしょうか?
もし、言霊瞑想に興味がありましたら、
こちらから、お越しくださいね。
今日も、お読みくださいまして、ありがとうございます。