
こんにちは、hanaです。
いかがお過ごしでしょうか?
このところ、感情の暴走に
振り回されながら書いた記事を振り返りました。
改めて、自分の弱さやダメさを
痛感していたのですが
辛いけど悪い時間ではなく、
むしろ、ブログに出すという形で
自己を客観視するきっかけにもなる。
書くこと自体が吐き出す事でもあって、
そんなに大したことじゃないと
深刻になりすぎることを
防ぐことができる感じがしました。
負の感情は、
誰にでもある当たり前のもの。
出す時は、勢いとか勇気とかいるのですが、
出してしまうと、
壊れそうに感じていた何かは、
思ったよりも大丈夫なのですね。
読んでくださった方、
受け止めてくださった方、
本当にありがとうございました。
押さえ込み蓋をし続けるよりは、
出してあげることが大切だということを
改めて確認する機会にもなりました。
1人で感じ切るでもいいし
出せるなら思い切って
人前に出してしまうと
より軽くなることを感じました。
少し前の記事で
人付き合いを避けることについて
自分の在り方を振り返り、
自分は周りの人に対して
失礼なことをしているのかなと感じました。
もう少し、職場の人にも
関心を向けて関係を築くことも、
大切にした方がいいのかも・・・。
時間も労力もないけれど、
その中でもできる範囲で
少しだけしてみようと思いました。
私の職場で委員会活動というのがありまして、
何かしらしなければならないのですが、
私は感染対策委員というのをしてます。
ええ、ちっともやりたくありません。
みんなやる気なーし!の委員会です。笑!
勝手に決められただけ。
コロナの時には、コロナの勉強会とか
開催しなきゃならなくて・・・
まあ、そんなことはいいや。
それで、同じ委員に40代の主婦が
私の他に2名いるのですけどね。
委員会の後には、
いつもなんとなく雑談が始まるのです。
(他に男性が2名いますが、
彼らは用が済んだらとっとと帰ります。笑)
面白そうな話をしているなと思いつつ、
早く帰りたいので仕事の片手間に
適当に返事するという感じでしか
参加してなくて・・・。ふー。
そのうちの1人は、
この前少し記事にしたお局さまなのですが・・。
高熱の時に、私に仕事させた人ね!笑
お姉様方を相手に
真面目に話聞いてない私って、
ある意味怖いというか・・。
(そんなに年齢は違わないけど。)
いい度胸してるなと思われてたかも??笑
案外、大丈夫なんだけどさ。
改めて、
職場という身近な人達との在り方も
見直した方がいいのかなと。
そんなことを感じたので
この前の委員会の後の雑談には、
仕事は後回しにして関心を持って話を聞き、
自分の話も腹を割ってさせてもらいました。
今までプライベートな話は
ほとんどしなかったけど、
ちょっと心を開いてみたのです。
そうしたら、ママ同士だからできる
赤裸々トークがたくさん出てきた。笑
ママ友なんかいなくて
私もぼっちしてるーだとか
フルタイムのワーママに対して
PTAの風当たりが強くて居心地悪い話とか
旦那に対しての許し難いエピソードとか
お互いにいろんな話が出てきて、
なんだかんだ笑いました。
だってさ、
「子供のイビキは許せるけど、
旦那のイビキは許せなくない?!!
もうさ、鼻と口塞いで
『息すんな!!』って言ってやるんだ!」
とか言い出す始末。
もう、衝撃的だし面白すぎた!
「息すんな!!」って・・・
鼻と口塞いだらまずいでしょー!!笑
ほんの15分程度だけど、
中身の濃いこと・・。笑
旦那と喧嘩して家出したけど、
1000円しか持ってなかったとかさ。
みんないろいろあるんだね。
私も上の子が生まれて数カ月の時に
赤ちゃん抱っこして、
夜中に家出したことあったなー。
それにしても、話題が濃い。
女性同士だから遠慮なく話せる。
よく短時間でここまで話せたな。
結構、話すとスッキリするし楽しかった!
この時間で癒されてるって、
1番喋る特攻隊長みたいなママが言ってた。笑
最後は、たまには飲みに行こうねーって
感じで終わりました。
自分もさらけ出したことで気分が軽くなり、
孤独感に苛まれてたので有り難くて。
同じような悩みを抱えて、
孤独を感じてるママが
他にもいることを感じて救われました。
みんな仲良さそうに見えて
意外と孤独を感じてるし、
ストレス抱えてるよね。
ちょっと話しただけだけど良かったです。
こういうのも大事ですね。
ここに来る人とは、
さらにいろんな話をできるだろうから
そんな日を楽しみにしてます。
それじゃ、前置きが長くなりましたが、
二時間瞑想のことを書きたいと思います。
令和7年4月12日のニ時間瞑想
今日のニ時間瞑想は雑念だらけで、
頑張って集中しようとするけれど、
いつの間にか思考にとらわれてしまっていた。
昨日の記憶とか、
印象に残った出来事とか、
次々に記憶が蘇って再生されて
それについて考えて
のような感じでうまくいかない。
瞑想をする人が山に籠るのは、
日常生活そのものの刺激を減らすことで
雑念の種になること自体を減らして
集中しやすくする意味も
ありそうだなと感じました。
残り30分程度のところで
上の子が寝坊した!と慌てて起きてきて。
今日部活があったのに
寝坊してしまったらしい。
そう言えば、部活だったの確認してなかった!
遅刻の連絡を入れて!と言うので、
先生に電話してから、
また、瞑想を再開しました。
そんなことがあると余計に集中できなくて
もう今日はダメだと思って、
5分前に終了にしました。
集中を持続するって至難の業ですね。
令和7年4月13日のニ時間瞑想
昨日参加してきた座禅会での話を
思い出して瞑想してみました。
座禅会の話は、改めて書こうと思っています。
そこでのお話で、瞑想中は、
「ぼーっとしたい時にはぼーっとする」
「何か考えたい時には考える」
「数を数えたい時には数える」のように、
切り替えがしっかりできることが
大切だという話をお聞きしてきました。
自分の意思でコントロールできること。
観察者の自分と一体でいることが
大切だということだろうと理解しました。
この状況をできるだけ長い時間維持すること。
自分自身の主人でいること。
あちこち外側の情報に振り回されて、
移ろいやすい心の手綱を自分が握る。
それは自己実現の上でも大切なことだと思う。
グルジェフが言っていた馬車の例えのように、
御者と馬と馬車が乗客の意思に沿って動いていること。
この状態を作れるようにする
練習なのかもしれないと感じました。
乗客(神的体、ディバイン)が
馬車(肉体)、御者(思考)、馬(感情)からの
情報を受け取り観察するという状態になるのかなと。
ところで、魂の座は
脳の松果体にあると言われます。
松果体は、視床と隣接していて、
視床は、嗅覚以外の五感を司る神経の通り道。
外界からの刺激を受信する場で、
肉体からの情報はここに集まる。
私の本体は、
ここを通して観察しているような気がする。
湧き上がる思考や感情や体感を
ただひたすら見つめる。
見つめていることに気づいている。
まだ、短時間しかできない。
数分間でも効果があることは知っていますが、
これを少しでも長くできるように
練習してみようと思います!
それでは、今日はこの辺で失礼します。
お読みくださいまして、ありがとうございます。