植え付けられた自虐史観からの脱却。自己肯定感を取り戻し、日本人に眠る侍魂の覚醒を。

こんにちは、hana です。

日々、暗いニュースが次々と流れ、

辛い気持ちになることがありませんか?

私は、そういう時があります。

そんな時には、忘れ去られた

日本人の良い側面をみつめていくことで、

未来に希望が見いだせるかもしれません。

というわけで、今日は、

自虐史観と日本人の真価ということを

テーマにお話ししてみたいと思います。

今回は、日本の魅力について焦点を当てて書いています。

海外には、また異なる魅力があり、

それぞれに素晴らしい部分があることは、

先に述べさせて頂きます。

日本人に植え付けられた自虐史観

第二次世界大戦(大東亜戦争・太平洋戦争)後に行われた

極東国際軍事裁判(東京裁判)で、

日本は侵略戦争をしたとされています。

東京裁判について

ポツダム宣言第10項を法的根拠とし、連合国軍占領下の日本にて連合国が戦争犯罪人として指定した日本の指導者などを裁いた一審制の軍事裁判のことである。

wokipediaより

ポツダム宣言は、日本への降伏要求の最終宣言です。

東京裁判の法的根拠とされる第10項は、下記の内容です。

吾等ハ日本国民ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスル意図ヲ有スルモノニ非ザルモ我等の俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪二対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民の間二於ケル民主主義的傾向ノ復活強化二対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝二基本的人権の尊重ハ確立セラルベシ

(我らは日本国民を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せしめんとする意図を有するものに非ざるも我等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪に対しては厳重なる処罰を加えらるべし日本国政府は日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし言論、宗教及び思想の自由ならびに基本的人権の尊重は確立せらるべし)

Wikipedia ポツダム宣言内容より

この裁判で、日本側の指導者は裁かれました。

裁判を担当した判事11名は、

全て戦勝国側の人間で占められていました。

そして1人を除いて、

全員が有罪という判決を日本に下しました。

この裁判で、当時日本の首相であり、

被告人として裁かれる立場にあった東条英機は、

「私はあくまでこの戦争は自衛戦であり、

なんら国際法に背反せぬ戦争であることを主張する。」

と述べています。

この主張は、受け入れられることはありませんでした。

日本側の無罪を主張したのは、

インド人のパール判事のみでした。

パール判事は、平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪の

3つの罪のうち、平和に対する罪と人道に対する罪は事後法で、

罪刑法定主義にに反するとして、

平和に対する罪で訴追されたA級戦犯の全被告人は無罪だと主張しました。

罪刑法定主義:いかなる行為が犯罪となるか、それにいかなる刑罰が科せられるかは既定の法律によってのみ定められるという主義。刑罰権の恣意的な行使を防ぐ人権保障の表れで、近代自由主義刑法の基本原則 

参考:Oxford Languagesより

日本人の指導者を裁くために、

極東国際軍事裁判所条例が制定され、

この事後法の中で、

平和に対する罪、人道に対する罪は裁かれています。

戦勝国側により、日本側の指導者は犯罪者として扱われ、

日本が侵略戦争をしたという主張が通った裁判でした。

これ以降、日本は平和主義を貫き、

戦争を二度と繰り返さないように

念入りに指導されてきました。

一方で、日本に原爆を2発も落とし、

空襲で焼け野原にした、戦勝国側の罪が

裁かれることはありませんでした。

大東亜戦争で日本人が目指したもの

大東亜戦争で日本が唱えたスローガンは、

大東亜共栄圏でした。

当時、欧米の植民地になっていたアジアの国々を解放し、

独立国として共に助け合おうとするものでした。

日本は、侵略戦争をした罪で裁かれましたが、

積極的にアジアを侵略したいと

考えていたのでしょうか?

当時の日本は欧米諸国から資金を凍結され、

石油や鉄鉱石などの輸出を制限され、

経済封鎖をされていました。

近代的な海軍力を維持できなくなる。

致命的な状態にありました。

開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃に関しては、

早急に開戦すべきでないという意見もあり、

国内でも議論が分かれていました。

当時の状況として、国際的に緊迫した状況があり、

これは自衛戦争だったと、

当時の首相が述べた通りです。

1951年5月3日のダグラス・マッカーサーによる

米上院軍事外交合同委員会での発言では、

「彼ら(日本)が戦争に飛び込んでいった動機は、

大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。」

と述べられています。

このように見ていくと、

東京裁判での侵略戦争をしたという判決は、

正しかったのか。

ただ、1つ言えることとしては、

実際に戦地に赴き戦ってきた

日本の軍人の魂には、

大義である大東亜共栄圏を掲げ、

誇り高く戦ったという事実があったこと。

その強さは、欧米諸国を凌ぐものだった。

攻撃の精度の高さにしても、

飛行機一機を正確に撃ち落とす技術など、

他を圧倒していた。

その背景にあったのは、

勤勉さや真面目さという美徳により

作り出された質の高い製造技術や、

侍の時代から引き継がれてきた

強さを持つことに対する責任感、

大義のためなら命を懸けることも厭わない

勇敢さがありました。

アジア解放のために戦った

日本軍の振る舞いは、

自虐史観で言われることとは真逆のもの。

ソロモン諸島での日本の駐留軍は、

自分達への食料供給が途絶えても、

現地の人の食料を奪う事は決してせず、

飢え死にしていったという

エピソードもあったそうです。

日本軍はあまりにも強かったため、

米国は直接対峙することを恐れ、

攻撃能力の低い食料供給船を襲った。

日本は、欧米のように

植民地として搾取することを目的とせず、

独立した対等な関係性の中で、

辛い時には助け合えるよう、

共存共栄を図ろうとしていた。

これが、多くの日本兵の姿だったのではないでしょうか。

そのような、真の強さと崇高な精神が

私達日本人には内在しています。

このことについて考える時、

本当に大切にすべきもの

私達のご先祖様が

体を張って示してくれたものを知り、

受け継いでゆくことができます。

歴史に対する認識は、

自己の確立に直結する大切なもので、

自分は何者なのか、ということに影響します。

だからこそ、戦勝国側は、

二度と立ち上がれないように

日本人から誇りを奪いたかった。

その恐るべき精神性を破壊したかった。

(精神への攻撃は、今も続いています。)

それが、東京裁判で突きつけられた自虐史観であり、

一方的な「反省しろ」と言う圧力でした。

自虐史観から抜け出し、

ご先祖様が命がけで守ろうとしたこの国を

大切に、誇らしく想う気持ちを取り戻していく事は、

自分を大切にする気持ちを持ち、

自分との関係を構築するという

人間関係の基礎に通じるものがあります。

日本が本当に独立国として自立していくためには、

国に対する誇りを、ひとりひとりが取り戻し、

本当に大切な事は何かについて、

想いを巡らせる必要があるのだと思います。

自分達を愛し、誇らしく想うこと。

日本人とは、

どういう民族なのかを見つめなおすこと。

自分を大切に想うことや

自分に誇りをもつことは、

意外と忘れられがちだったりします。

忘れがちなので、敢えて言わせて頂きます。

日本人は、とても優秀な民族です。

優秀だからこそ、

大東亜戦争でめちゃくちゃに叩かれました。

めちゃくちゃ強いからです。

相手を怖がらせるほど強かった。

だから、相手は正当な手段で勝つことができず、

卑怯な手を使われました。

それでも、アジア解放の大義は果たすことができた。

その意味では、この戦争に負けていません。

自らの犠牲を払っても、

他者と助け合い、

戦い抜く強い精神性を持つ民族です。

私たちの根底には、思いやりや優しさと言う

真の意味での強さがあるのだと信じています。

それは、自分さえ良ければ良いという

他国から奪ってでも自国の利益を優先する在り方とは、

真逆の価値観です。

優しいという字は、優れているとも読みます。

まさに、文字通りです。

日本人には、YAP遺伝子という、

別名、思いやり遺伝子とも言われるものを

持つ人が多く存在すると言われています。

他の民族とは、

異なる起源をもつ可能性があります。

私たちの体に刻まれている力は、

今も、私たちの中にあり、

様々な攻撃を受けた中でも受け継がれています。

精神性は、全ての基礎です。

何故かと言うと、

この世界は、意識で作られているためです。

意識の現れる世界であるからこそ、

精神性の高さを保つことは、

良い世界を創っていく上で必須です。

私達は、最高の精神性をもつ民族として、

自らを誇り、互いに対等な関係性の中で、

支え合う仲間として存在する能力を有しています。

相手を蹴落とす、負かす、影響力を行使する、

支配すると言うのは、

本来の私達の在り方ではありません。

尊重する、理解する、思いやる。

自分の想いを押し通すのではなく、

相手の気持ちという

見えないものを尊重する。

そして、想像力豊かに、空間の中に美を見い出し、

自然の中に神を感じ、畏敬の念に想いを馳せる。

こう言う事ができる民族です。

この厳しい時代の中で、

どのように在ることが現状の打開につながるのか

考えることがあります。

私たちには、その力があると感じるからです。

次は、日本の時代だと言われています。

私たちの力をどう用いていくのか。

確実な事は、

怒りに任せて集団で抗議をするとか、

攻撃するとか、

そういう在り方ではないことです。

力を振りかざす在り方は、

都合よく利用されてきた過去があります。

攻撃は制裁を科す理由にされます。

真珠湾攻撃もそうです。

支配の理由を、相手に与えるやり方は、

すでに時代遅れです。

もう、私たちはそれを学びました。

繰り返す必要はありません。

相手の土俵に飛び込んで戦うのではなく、

自分たちの土俵で

優しさを忘れず、誇りを取り戻すこと。

ご先祖様に恥じない行動を取ること。

罪のない人を痛めつけたり、

他者から搾取したりすることはしない。

たとえ、それが軍隊の中で、

上司の命令であっても、

人道に反することには従わない精神。

これが、私たちの最大の強さです。

けしかけられても争わない。

精神性を養い、先を見通す力があれば、

それが良い結果をもたらさないことは分かります。

魂を売り渡さず、自らを主とする生き方。

それが、侍から引き継がれる精神性だと感じます。

一人一人が、「自分さえ良ければ」から抜け出すこと。

小さな自分に囚われるのでなく、

大きな自分の視点で眺める事。

それが、今回の檻から抜け出すキーポイントに

なるのではないかと思います。

地位や名声、権力や多額の資金を手にすると、

つい、自分の立場を守ろうとする心理が働くように感じます。

それらの力を手にした人には、必ず責任が伴います。

力を何に役立てるのか。

そこで、精神性が大切になります。

リーダーになる人に求められることは、

小さな自分のためではなく、

大きな自分の視点でものごとを眺め、

他人もまた自分の一部であることを知り、

全体の利益になることをしていくこと。

日本人は、こういう事が

自然にできてしまう特性を

持ち合わせている。

個人でも国でも、自虐史観を見直し、

良きところにも目を向けていき、

自分らしさに誇りを持ち、

自然体で力を発揮することで、

良い世界は開かれて行くのだろうと思います。

戦いは、勝っても負けても虚しいです。

戦勝国の兵士も心に傷を負っています。

戦う精神からは卒業して、

真の強さである精神性を覚醒させる時だと思います。

それが求められている時代です。

精神性を高めるとは、

自己の非を見つめ、向き合うことであり、

卑屈にならず、優しさの下に受け止めることであり、

深い理解力と洞察力を養うことであり、

自己に対する責任感をもつことであり、

広い視野で俯瞰しながら、

自他の区別なく愛することで養われていく。

その精神の下であれば、良い世界が現れてくる。

想像力豊かで、空間の中に可能性を見出す、

そんな豊かな力を私たちは持っています。

日本人であることは、誇らしいことです。

最後に

歴史認識に関する話は、様々な見方があります。

私自身の見方が絶対に正しいとも思っていません。

もし事実関係が違っていたら、素直に謝りたいと思います。

その上で、出来事に対する主観的な解釈に関しては、

様々な見方ができるものであり、

正解などないのだと思っています。

自由に発想を膨らませることが、

良い学びにつながるし、そういう教育を

昔の日本ではしていたのではないかなと思います。

今回は、とーっても日本への

愛を込めた目線で書いたので、

ちょっと偏っているかもしれません。

ですが!

これまでも、現在も、

攻撃され続けている状況があるので、

これぐらいの書き方でバランスが取れて、

丁度良いかなっと思っています!笑

言論の自由を行使して、

今日も好き勝手に書かせて頂きました。笑

良かったら、次の記事も読んでみてください!

最後までお読みくださいまして、本当にありがとうございました。

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