どうして闇から光へという感覚になったのか、言葉を変えたら闇から光になるような話

私はその頃、職場全体から孤立していましたが、

その中でも嫌味な事を言う副主任がいました。

言霊瞑想を実践する前は、嫌われてしまった事に傷つき、

辛さや不安を感じたり、

何故、ここまで冷たくされるのだろうかと思っていました。

そして、言霊瞑想をしていく中で、

嫌味な事を言う副主任に関しての気づきがありました。

副主任は、初めから私を嫌っていたわけではなく、

本来は、思いやりのある優しい人で、

最初は主任とうまくいかない私を助けようとしてくれていました。

私は、教育担当だった副主任に、

主任に言われた注意点について

どのように対処したら良いかなどを相談していました。

副主任は、私と主任との間に入って、

業務内容を調整しようとしてくれたのですが、

うまく行きませんでした。

そんなこともあり、主任からはますます良く思われなくなり、

直接、主任室に呼び出されて怒られる日が出てきてしまいました。

「なぜ、きちんと報連相をしないの??

あったことは、全て報告するように、この前言ったよね。

なんで、しないの?」ときつい口調で、思い切り睨まれました。

あまりの恐さに涙が出ましたが、

「なぜ、泣くの?そういうの、やめた方がいいよ。」とも言われました。

泣きたくないのに、こらえようとしても出てしまうのです。

どうしたら涙が出なくなるのか、私も知りたいです。

そして、一方で

「残業はしないで、できるだけ早く帰るように。」

とも言われていました。

けれど、臨床業務のノルマもあり、

実際に業務時間内で全てを終わらせ、

その全てを報告している時間などありませんでした。

主任に報告と言われても、主任にも仕事があり、

いつでも話を聞いてくれるわけではありません。

私と主任の板挟みになった副主任は、

もともと主任と仲が良かったのですが、

徐々に私の仕事のミスや出来ていないことばかりを見るようになり、

次第に冷たく、嫌われていくのが分かるようになっていきました。

このような出来事を、日々、瞑想しながら振り返り、

視点を変えたり、俯瞰していく中で、

後から気づいたことがありました。

上記のエピソードに関する気づきは、

「主任としては、私が副主任に相談するのではなく、

直接主任に対して、注意されたことなどを相談して欲しかったのだ」

ということが見えてきました。

主任は私に対して厳しかったですが、

私を嫌っている訳ではなかったのだと、

心の片隅では、知っていました。

私は、主任のことが恐かったので、

直接対峙することを極力避けてしまっていました。

主任と直接対峙しない私に対しての怒りが、

私の悪口に変わり、それが副主任に伝わっていった。

副主任に嫌われてしまった原因も、実は自分で作り出していて、

現実になったことだった。

ということが理解できるようになりました。

これらのことから、

主任に対して感じていた怒りといった心のごみは解消され、

副主任に対しても、素直に「すみません、ご迷惑をおかけしました。」

と言える心境になりました。

時間はかかりましたが、

時薬という言葉があるように、

何事もない、平穏な日々の繰り返しの中で、

少しずつ、私の心に穏やかさが取り戻されて行きました。

主任や副主任とは、距離がありつつも、冷たい感じから、

当たり障りのない日々を繰り返す中で、本当に少しずつですが、

冬の氷が少しずつ解けていくように、

ゆっくりと時間をかけて穏やかな時間に変化していきました。

数年後、主任は他の場所に行く事なったのですが、

お別れの時には、個人的にも温かい挨拶の言葉を

交わすことができるようになっていました。

この出来事から数年後、

別の職場での出来事で、私は、長年心に積もらせていた

根深い劣等感と向き合う事になる出来事がありました。

私は、仕事を始めてからずっと、

自信を持てたためしがありませんでした。

客観的な評価の中で、褒められることもなければ、

他者と比較して、「自分なんてまだまだだ。」と思う事が沢山あり、

ずっと、心の中に雲が覆いかぶさるような気持ちを抱えていました。

ある日の事です。

上司との面談があり、(先程のエピソードの上司とは違う人物です。)

業務終了後に個室で話をしていました。

患者様の治療に関しての話をしていたのですが、

ある治療のことが良く分かっていなかったのに、

「分からない」と言うことを

プライドが邪魔をして言えなかったのです。

けれど、上司から見れば、一目瞭然ですよね。

軽く鼻で笑われました。

そして、文献を教えてもらい、勉強するように言われました。

私は、悔しさと恥ずかしさと根深い劣等感を刺激されたことで、

涙が止まらなくなりました。

その上司が、自分よりも経験が浅く、

けれど、知識は自分よりもある人で、

時々、患者様に関しても偉そうに話をしていることがあるため、

あまり、心から尊敬できる感じではなかったせいもあったと思います。

努力して、知識が沢山あることは、とても誇れることだと思います。

けれど、それを鼻にかけている姿が、好きになれませんでした。

私は、面談の後の帰り道で、

必死に涙をこらえようとしましたが、それでも出てきて、

電車の中でもハンカチで目をふさぎ、鼻を啜り、

家に帰ってからも、

何も手につかない位、涙があふれてきて、

2,3時間、異常なくらい泣き続けました。

その時のエピソードだけでなく、

過去に感じていた積もり積もった何かが、

栓が外れたように流れ出していました。

もう、流れ出るまま、止めることもできませんでした。

しばらく、一人きりで部屋にこもり、

涙が流れるにまかせていました。

過去の出来事が走馬灯のように、頭の中を巡っては消え、

巡っては消え・・・

次から次へと通り過ぎて行きました。

もう、押さえつけることができないほど、

覆いかぶさっていた劣等感の塊が、出てきた時でした。

私は、ひたすら自分の内側と向き合いました。

情けない自分、勉強不足の自分、ダメな自分、

全て、自業自得でした。

それが分かりきっているからこそ、向き合う事から逃げていました。

見つめることが、恐ろしかったし、

大切な何かが壊れてしまうと思いこんでいました。

壊れるって、何が??

実際に見つめてみると、

心そのものが壊れてしまうと思う程、

恐れていたものの正体は、

ただの、小さなプライドでした。

それが、私の守ろうとしていたものでした。

馬鹿みたいですよね。

はっと、気づきました。

こんなもの、つまらない、どうでも良いものだった。

こんなつまらないものなんて、

いっそ、壊れてしまえばいい。

そう思いました。

私が、こんなつまらないものを握りしめている限り、

成長を阻害する。

本当に大切な事は、患者様のために

分からないことは、分からないので教えてくださいと言えること。

ちっぽけなつまらないプライドを守ることよりも、

純粋に、患者様のために恥を捨てて、

分からないと相手に伝えること。

自分を守っているうちは、

つまらないプライドに縛られている状態が続く。

心の中に溜まった劣等感の塊を出し切った時、

気づきは訪れました。

勇気を出して、自分の中に巣くっていた

醜い部分、表に出したくない部分を見つめたら、

心の中にある雲の隙間に光が差しました。

意識は光でもある。

こう感じた瞬間でした。

闇を見つめて、出し切ると、

心が明るくなる瞬間が訪れます。

そして、光は気づきをもたらしてくれます。

治療者は、単純に知識や技術だけでなく、

人間性も大切であること。

人間を比べる物差しは、1つではないこと。

何をもって、優れていると判断するかは、

患者様が決めることであり、

治療者同士の比較で決める必要はないこと。

そもそも、比べる事自体、無意味なこと。

競争よりも、協力する気持ちを持つことで、

空気感が良くなるし、

恥を捨てやすい雰囲気も作れるようになるだろうということ。

それは、結果的に患者様に利益をもたらすこと。

そんな風に、考えられるようになった時、

劣等感という、私の中で最も深く巣くっていた

心の中の闇は、光の中に消えていきました。

意識は光であり、自分の本体でもある。

雲に覆われていると見えなくなるけれど、

意識を向けることで、

本来の姿に戻る。

闇と向き合う事は、自分でないものを

消し去り、光に帰る過程とも言えます。

大切な事は、誰かに何と言われるかを気にすることではない。

自分が何を大切にしたいかということ。

これは、自分自身が味方になるか、

敵になってしまうかの違いとも言えます。

何を大切にするかで、

自分にかける言葉が変わっていくからです。

自分以外の誰かが基準で、他者からの目を気にすると、

「もっと、こうしなければ。」「自分が悪いのだ。」

「ダメな自分をなんとかしなければ。」

こんな思考になり、自分が敵になって、

自分を攻撃する言葉を発してしまいます。

けれど、自分が基準になると、

「誰だって、失敗はある。」

「私にだって、良いところはある。」

「そもそも、人間は一つの物差しで比較できるほど、単純な生き物ではない。」

「本当に大切にしたいものを大切にする。」

「恥をかいたって良い。仕事で大切な事は、患者様の役に立つこと。」

「誰かに馬鹿にされても関係ない。馬鹿にする人は、本質が見えてないだけ。」

こんな風に変化します。

このような考え方の変化は、私を強くしてくれました。

上辺を飾るだけのプライドではなく、

軸となる考え方ができました。

辛い出来事は、一見災いをもたらしますが、

その中から得た学びは本物の強さを与えてくれました。

ですので、闇と向き合う事は辛い事ですが、

その先には光があるとお伝えしたいと思います。

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