良心の行方

これまで、大手メディアの報道姿勢に対して、

疑問を感じることが多かったですが、

その中から、ふと感じたことがありました。

良心はどこに行ってしまったのだろう?

ということです。

もちろん、番組を制作する時には、

スポンサーの意向も踏まえてとか、

いろいろな事を考えて作られるのだと思いますが、

指示を出す人間が「こうするように」と言った

方向性を示した時に、

反対する人は居なかったのか、、?

組織の中に居る人も

身動きが取れない状況にあることが想像できます。

もちろん、生活がかかって仕事をしていますから、

ワクチンの情報が間違っていようが、

ジャニーズで恐ろしい犯罪が行われていようが、

自分の身を守れれば、構わないのかもしれません。

これは、多くの人がそうなる可能性があって、

「正しくあること」や「良心に従うこと」よりも、

「安心であること」や「安全であること」を

選択している結果です。

それは、マズローの5段階欲求の階層で言うと、

生理的欲求の次に求められる、安全欲求に当たるもので、

マズローの5段階欲求の図

そこが脅かされることは、

耐えがたいことだからです。

「正しくあること」や「良心に従うこと」は、

それよりも上位の階層にあるため、

放置されてしまう。

そして、そんな自分を納得させるために、

「良心に従う」なんて、馬鹿らしいこと。

「そんなことを考えていたら生活できない」

と言った理由をつけて、

合理化しているのかもしれません。

ここで、江戸時代の侍を思い浮かべてみたいと思います。

侍の仕事は、刀を振るい、命を懸けて戦う事です。

それは、守りたい誰かのためだったり、

貫き通したい信念、誇り、忠誠心、に従っていた。

つまり、己の魂に従っていた。

本当に命を懸ける人達は、

そういうものを持っていたと思います。

こういう人達が存在したからこそ、

守られるものがあり、

その存在が発する気は、邪気を退け、

弱き普通の人々に、

何か指標となる道しるべの様なものを示すことができる

存在だったのではないかと思います。

特に、男子が剣道などの武芸を身に付ける時には、

その生き様や、背中から、

本物のかっこよさを感じ、

心から見習いたいと思わせるものを

持っていたのではないかと思うのです。

この存在が持つ、魂の高潔さに、

日本の国は守られていたのではないかと思います。

「侍」という言葉が、

海外の人達からも、敬意を持って扱われるのは、

その崇高な思想や、己の魂に従う生き方に対する

ものだろうと思います。

「有り難い」存在で在ること。

こういう、現代の人達が、

「そんなこと、言ってられない。」と

切り捨てている何かは、

侍の目から見たら、

命がけで守らなければならない、

大切なことであったかもしれません。

そう言う事を、命がけで行う人が、

今の日本にはいなくなってしまったのでしょうか。

いいえ。その勇気を持てる人は、

とても少数ではありますが、存在します。

それは、地方議会でワクチンの危険性について、

必死で訴えている地方議員さんだったり、

培ってきたキャリアを捨てる覚悟で、

立ち上がり声をあげる、本物のお医者様であったり、

勇気を出して、ジャニーズの闇を告白した人達だったり。

自分の保身や目先の利益に惑わされずに

真実と向き合い、真実を語り、

気づきを促してくれる

「有り難い」人々の中にこそ、

日本が誇り、世界が恐れつつも敬意を払う、

「侍魂」が受け継がれているのだと感じます。

ごく一般的な人達は、

自分の身の安全を考える、という

ごく「当たり前」の判断を下している中で、

知らず知らずのうちに、

日本を衰退させる方向に加担しています。

ほとんどの人が自覚なく、そうしています。

精神性の衰退は、国の衰退そのものです。

良心の行方は、魂の行方です。

魂はいつも、行きたい方向を指し示してくれます。

特に、あらゆる種類の「力」を持つ者は、

その影響力の振るい方に

十分な注意を払う必要があります。

魂の声を無視することが

「当たり前」になると、

そして、多くの人がそうであると、

社会全体の方向性がおかしくなっていきます。

意識的に、何を選択しているのかに気づくこと。

一人一人が、自分の選択に責任を持ち、

各自の持ち場で、やるべきこと、

なすべきことを、

自分の魂に問うてみることが

求められているように思います。

私達には、ご先祖様から受け継いだ

「侍」の血が入っています。

いや、うちの先祖は農民だから、とか、

そう言う事ではありません。

農民だって、

一揆を起こして戦った時代がありました。

何も、刀を振り回せとか、

戦えと言いたいのではありません。

生活を捨てろと言いたいのでもありません。

一人一人が、

自分の在り方に目覚め、

自分の事だけでなく、

社会にも目を向けていく必要があり、

真剣に考える必要がある。

特に、今の日本では

それが強く求められていることを感じます。

あなたは、どのように感じますか?

今日も、お読みくださいまして、ありがとうございました。

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