これって過干渉?それとも放任?親子の距離感に悩みながらも前進している話。

こんにちは、hanaです。

遊びに来てくださってありがとうございます。

今日は再び子育てのお話しです。

子育てって、悩みが尽きないですよね。

正解がある世界でもない気がするし。

それは、仕方のないことだから、

むしろ、悩めることに感謝しながら

書かせて頂きます。

放任すると非行に走りやすくなり

過保護、過干渉だと自己肯定感が低くなりやすい。

子育てに関して、

こんなことが心理学では言われているそうです。

こう聞くと、

放任する親と過保護な親という

二つの種族がいるかのように感じてしまい、

真逆の親を想像したりするんですけど

実際は、放任と過保護が

混在していたりする気がしていて

簡単に一括りにできない

複雑さがあるような気がしています。

うちの子の話。

以前、書いたことがあるのですが、

(過去記事はこちら。)

上記に当てはめて、

自分と下の子の距離感は

どうだったのだろうな・・と、

改めて考えてみました。

放任・・だったのかな?

下の子は、すごくママっ子です。

私が朝起きると一緒についてくる。

毎日抱っこを求め、

毎日一緒に遊びたがり、

毎日一緒にお風呂に入るといい、

寝る時もいつもそばにいて欲しい。

一方で、

私は、お風呂ぐらい

1人でのんびり入らせて欲しいし、

自分の時間が欲しいので

もう1人で寝てくれよと思うし、

遊び相手が面倒くさいって思うこともあって、

人間だから当たり前だけど、

ご要望に答えてあげられないことも

ちょくちょくありました。

そんなこんなで、

寂しい思いをさせていたのかなって。

周囲の人に相談したりしながら、

気づいたんですよね。

「かわいい時期は、

あと、ほんの数年だよ。

そのうち、甘えてなんてくれなくなる。

忙しいのは分かるけど、

今のうちに、もう少し甘えさせてあげたら?」

なんて意見をもらったりして、

「あー、そうだよね。

寂しい思いをさせてたのかな。」

って反省しました。

可哀想なことしちゃってたね。

ごめんね。。。と。

自分が子供の頃は、

4年生くらいの時には、

子供だけで寝ていたと思う。

友達の話を聞いても

「寝かしつけ?『おやすみー』って言えば、

もう後は適当に自分達で寝てくれるよ。」

という感じだったりで。

とかって、

勝手に比較しちゃっていたけど、

あたりまえだけど、

みんな違うから人それぞれだものね。

過干渉、過保護のこと

そして、それとは逆に、

過干渉、過保護というところでは、

先生からお願いされている

連絡帳の確認は必須だし、

プリントは出してもらわないと

必要な連絡が分からなくて困るから

自主的に出さない時は

声をかけるとしても、

宿題を全部

隅から隅まで確認するとか、

明日の持ち物が

全部揃ってるかの確認とか、

そこまでしなくても、

もう小学校も4年生なのだから、

ある程度失敗しながらでも

毎日声をかけたりせずに、

自分でやらせていいのかなって思いました。

今の状態では、

忘れ物は確実にすることでしょう。

それでも、

子供が失敗する機会を奪ってはいけない。

これは、学ぶために必要な

大切なことだった。

先回りして、失敗を防ごうとしていた。

分かってるつもりだったのに

自分の子にはできてなかったな。

でも、それでいいんです。

親だって、完璧じゃなくていい。

どこまでが放任で、

どこからが過干渉や過保護なのか。

なかなか難しくて

よく分からないけど、

できるはずのことまで先回りして、

子供の課題を解決するしようとするのは、

違うなと思ったのです。

細かいことまで口を出してしまうことは、

子供に完璧さを押し付けるような

在り方だったかもしれないと思ったし。

それは、つまり下の子の中にある力を

信じてあげてないというメッセージを

無意識のうちに発して、

自信を奪っていたのかもしれないって。

じゃあ、どんな在り方をしたらいいんだろうと

考えてみたんだけど、

「親という字は、木の上に立って見ると書く。

結局、親なんて木の上から見守るくらいしかできないんだよ。」

ちょっと言葉は

間違えてるかもしれないけど、

そんなセリフをどこかで聞いたのを

思い出しました。

遠目で見ていて、

忘れ物をしたことは把握はしている。

それで、その後どうしたのかなって、

気にかけて見てはいるけど

余計な口出しはしない。

例えば、給食袋を取り替えてなくて

そのまま次の日も、

そのまた次の日も、

同じのを使っていたとしたら、

多分、それは

わざとそうしている時なんだけど・・

そのうち多分、

クラスメイトの誰かに

「汚ねー。」とか

言われてしまうかもしれない。

その時、この子は傷つくだろうけど

それを通して学ぶだろうし、

それはそれで良いのかなって。

自業自得ということも思い知る。

だけど、それだからいい。

冷たいようだけれど、

決してそうではなくて、

大切だからこそ、

敢えて、失敗を経験させる。

ライオンの親が

崖から子供を突き落とすというのは、

その子には、

這い上がってくる力があることを

信じているからなのだろう。

それは、

「お前にはその力がある。」という

メッセージを伝えていることに他ならない。

本当に相手を想っている時の厳しさは、

相手の力を信じることが前提になっている。

話しが少し逸れたけど、

もし、誰かに給食袋のことを

汚いと言われたら、

自発的に忘れないようにしようと

気をつけるようになるかもしれないし、

それでも、無頓着なままで、

そうはならないかもしれない。笑

完璧な人はいないから。

それはそれでいい。

命を亡くしたり、

一生を大きく左右するような

取り返しのつかない失敗でなければ、

自由にさせてあげたらいい。

とはいえ、

実際には以外と難しくて、

ついつい口出したくなっちゃうことも

あるんだけど。笑!

勉強のこと

それから、勉強のことなんだけど、

私は、なんだかんだ

学校教育の問題点も書いたりしてたけど、

小学校の勉強って、

生活レベルで役立つことも

結構あるとは思っています。

例えば、

電流の知識とか知らなかったら、

なんで電池でモーターが回るの?

とか謎すぎるけど

教えてもらうことで、

電子なんてものがあるんだとか、

世界が広がるから

純粋に面白いなと思うし。

もしも習わなかったら、

電子の存在なんて一生知らずに

過ごしたかもしれないよね。笑

だから、何でもかんでも、

とにかく将来のため(進学のため)に

やっとこうではなくて、

生活の役に立つという視点や、

知らないことを知ることの

純粋な面白さや楽しさ、

できなかったことが

できるようになる喜びを体験を通して

知って欲しいと思いながら隣にいます。

ただ、頭ごなしに暗記させるとかは

つまんなすぎるし、

やる意味も分からなくなる。

どうせやるなら

遊びながら楽しくやるし、

この知識を何に活かせるのかとか

どうするともっと理解できるのかとか

一緒に確認しています。

テストで見せたくない点数取ってきても、

「それでオッケーよっ!」て

軽く受け止めてます。

以前は、甘え過ぎていて

なんでも許されると思っていた

境界線の緩さがあったという問題点と、

もう少し甘えたいのに

満足できるほどかまってもらえない寂しさが、

なんとなく子供を負の方向に

向かわせていたのかなって思うところがありました。

そこは、何度か強く叱るということを

しっかりしたことで、

ある種のケジメがついたようです。

なかなか言うことを聞かなくて

イライラしていたけれど、

今では、ほんの一言

「連絡帳は?」と声をかけるだけで

素直に「はい!」って持ってくるし、

そんなに叱る必要がなくなりました。

しっかり強めに叱ることで、

親が主導権をきちんと示すことって

大事なんだなと改めて感じました。

これまでが、どちらかというと、

放任で非行の傾向だったとするならば、

あと数年、

できるだけ甘えさせてあげよう。

けれども、

ダメなことはしっかりダメだと

線引きはしっかりと持ちつつ。

ただ、この子が生きていく力を

持っていることを信じる。

あまり口出ししすぎず

失敗を許し、なるべく自由にさせてあげる。

何かあったらケースバイケースで

周りの人達と相談して対処していくこと。

親としての役割は、

絶対にしてはいけないことの

線引きをしっかりと示すことと、

まだ、目を離さず、

何をしているのかは、

きちんと把握はしておくこと。

だけれど、できるだけ

自由にさせてあげること。

今は、こんな感じなのかなって

思っています。

子供のために時間を作ることに対して

「あー面倒、大変」って、

思ったこともあったけど

(ごめんね・・)

今はそうでもなくて、

むしろ、交流している時間こそ宝だなって、

改めて感じているんですよね。

純粋に楽しんでます。

誰よりも1番、

素の姿を安心してさらけ出せる相手。

そんな存在が、大切でないわけがない。

私、大切にするものの

優先順位間違えてたなって。

その時は、

ブログを書くことが楽しくて

そっちに夢中で集中したかったんだよね。

そんなこんなで、優先順位や

時間の使い方を見直しました。

時間のやりくりも以前より上手くなり、

ブログにかける時間も、質を落とさず

以前より効率化できたので、

お客様のご相談を受けるゆとりも作ることはできる。

ものごとの優先順位や時間配分を調整することで、

自分のキャパシティは

ますます広がってるなって感じてます。

ここに来るまでには、

いろいろ時間はかかってしまったけれど。

考えてみたら、

子育てと仕事の両立だけでも

普通は大変なのに

さらに、ブログ書いたり、読書したり、

エニアグラムの勉強したりって・・・

改めて振り返ると、

私のしてること凄くないですか?!!

、、、すいません。

ちょっと調子に乗りました。笑!

でも、たまにはいいよね!

自分を褒めることって本当に大切だもの。

なんでできるかっていうと、

それはやっぱり、

「好きなことだから」の一言に尽きます。

「嫌いなことを仕事にできるほど、この世界は甘くない」って、

千聖さんが以前、記事に書いていたことを

思い出したんですけど、

本当に、その通りなんですよね。

というか、このセリフかっこよくないですか?!

もう一回、書いちゃおう。

「嫌いなことを仕事にできるほど、この世界は甘くない。」

さすがですねー!!

千聖さん。憧れます・・!

好きなことだから

ストレスじゃなくて楽しいんです。

だから、続けられるし

夢中になってしまう・・笑

もう、最高です!

それもこれも

瞑想で心を整えてる成果でもあるし。

(だって、いろいろあるからね。

心を整えてないと、集中できないよ?)

なんていうか、

家事や仕事は必要なことだから、

それはそれでいいし。

ルーティンワークは慣れているから

ほとんどストレスも感じない。

むしろ、私のリズムを作ってくれている。

忙しいのは分かりきってるから、

やるべきことはしっかりやるけど

手を抜いていいとこは

思いっきり手抜きもする。笑!

それでいい!!

家事の話

仕事から帰宅して夕飯作ろうって時にも

下の子はお構いなしに

「ママ、遊ぼー!」って来るんだけど、

遊んでる時間はないから、

「じゃあ、一緒に夕飯作ろっか!」

って言うと、

ただのお手伝いなのに

すごく楽しそうにやってくれる。

これってただ、

純粋にママと一緒の時間を

過ごしたいだけなんだよね。・・涙

それで、さらに嬉しいことは、

結果的に夕飯作りも

早く終わるようになったんですよ!

前は子供と一緒だと

教えなきゃならないから

余計に時間かかるし大変だなって、

1人でやる方が早いって思っていたのだけれど、

子供はいつのまにか

ちゃんと成長してくれている。

役割分担ができる。

子供がやりたそうな

メインの楽しい作業をやらせてあげると、

野菜を切るのも

炒めるのもニコニコやってくれる。

私は、助手のように、

使った調理器具を洗ったり

次に使う材料を出す係。笑

これは、私が子供の頃、

料理の面白そうなことを

あんまりやらせてもらえなくて、

つまらなかったことの教訓を活かしています。笑!

一緒に料理していると、

ちゃんと役に立つことができるようになってるんだ

ってことが分かったし、

楽しそうな顔を見ていると私も楽しくなる!

結果的に早く終わったので、

「ありがとねー!

おかげで早く終わって助かったよー!」

って言うと、ちょっと調子に乗って

「でしょー!!」

ってさらに喜んでいます。笑

なんか最近、良い方向に循環している感じです。

今日は、よい報告ができて良かったです。

それでは、この辺で失礼します。

お読みくださいまして、ありがとうございました!

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