二時間瞑想と頭・胸・腹の歯車

こんにちは、hanaです。

天候が変わりやすい時期ですね。

天気の良い日に外を歩いていると

風を感じて心地いいです。

自然の中では、癒しを感じます。

風は、木の葉を揺らし、

海を波立たせ、雲を流していく。

川の水は上から下に向かって流れていく。

炎は下から上に立ち上る。

大地と海と空気は密度の差で積み重なる。

自然界の法則があってその通りに在ることで

調和が保たれている。

風鈴に例えるなら

風が吹くから音が鳴るというように

外からの要因が連鎖して成り立ち、

すべてのものが連鎖の中に存在している。

機械的な反応とはこのようなもので、

人も、外界の刺激に対して反応している。

なんらかの心を揺らす出来事も

外界からの連鎖により起こり、

風鈴が鳴ることで、こんな音が出るのかと、

気づきや学びのきっかけになる。

それでは、今日も

二時間瞑想の記録を書いていきます。

令和7年5月17日の二時間瞑想

朝早く目が覚めて4:30頃から座り始めた。

いつの間にか朝日が早く昇るようになっていた。

先週の足の痛みはだいぶ良くなっていて、

今日は普通に胡坐で瞑想した。

比較的思考が浮かびにくく静かだった。

ちょっとした物音や風の音

足の感覚、腕の感覚

そういうところに注意が向きやすかった。

残り10分ぐらいで、

足の重だるさが気になってきたけれど

朝早かったせいか頭がぼーっとしやすくて

静かな状態になりやすかった。

令和7年5月18日の二時間瞑想

心を静かにすること、

そして魂を感じること

思考、感情、感覚、の3つから

選択しラベリングしていく。

思考は、言葉だけでなく、

映像で浮かんできたりする。

ここから焦点をずらす。

入り込まない。

流れていく。

思考がとらわれると、

そこでエネルギーを消費する。

エネルギーは使わず、そのまま流していく。

声が聞こえる。音がする。

生活の中の様々な音。

思考に囚われず感覚に意識を向けると

起こるという感覚になった。

考えようと思って、思考が浮かぶわけではない。

勝手に浮かび上がってくる。

聞こうと思わなくても、勝手に音が耳に入ってくる。

向こうからやってくる。

感情は、刺激に対する反応

痛みを感じると辛い。

大きい音を聞くとうるさい。

というように。

内側から自動的に感情が湧き上がる事は、

瞑想中はあまりない。

不安感や辛さを握り締めていたり、

ストレスが蓄積して、

溢れるほどになっていなければ、

感情は静かな状態を保っている。

頭、胸、腹に焦点を当ててみる。

何かを考えている時は、

頭の方にエネルギーが集まり、

ふわっと上に上がる感じ。

胸に焦点を当てると、温かさを感じる。

胸の中心に優しさを感じる。

腹に焦点を当てると、

重くて静かな感じがする。

頭は忙しい。胸は普通。

腹はゆっくりと回転する印象。

歯車の大きさが違う感じ。

動力が加わると、

大きな歯車はゆっくり回転し、

小さな歯車は速く回転することに似ている。

行動に結びつくのは、本能、衝動、本音。

腹の底から湧き上がるもの。

歯車が大きくて動力も強い。

胸は感じて受け止め、反応する。

エニアグラムでいう感情の中枢。

頭は計算機。理性。冷静。

大きさ順に歯車が重なっているイメージ。

動かすには下の土台が動く必要がある。

やらなければという思考だけでは、

行動に結びつきにくい。

こうしたいという感情も、

本音でなければ行動に結びつきにくく長続きしない。

腹の底からこうだと思った時に人は動く。

腹の底に本音がある。

思考と感情と感覚の波を静かにすると

ようやく腹の底から湧き上がるものを感じられる。

結構、難しい。

けれども、腹の底からの行動は腑に落ちている。

迷いがない。

力みや無理がなく自然体で疲れにくい。

腹の底からでないと消耗が激しくなる。

義務感で行うと疲れる。

今回の瞑想での気づきでした。

それでは、今日はこの辺で失礼します。

お読みくださいまして、ありがとうございます。

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