思考が止まっている時。内側に従うか外側に従うかで結果が異なる。

こんにちは、hanaです。

今日は、日常の中での気づきから

書いていきたいと思います。

このところ、あまり考えずに

「なんとなく」の感覚に従って

行動することが増えました。

ただ「なんとなく」

明確な理由もなく

「なんとなく」行動すると

なぜかタイミングが良かったりする。

そうすることの理由すらない。

本当にただ「なんとなく」

としか言えないくらいに

「なんとなく」過ぎて説明に困る。・・・笑

それくらい、なんの思考も

浮かばない状態で何かを決めたりする。

ただ、「なんとなく」

この日は休みを取りたい。

という微かな感覚を感じた。

その感覚に従って

なんの予定もないのに休暇を申請してみた。

そうしたら、

その日にピンポイントで

「この日空いてますか?」

とお誘いが来て

えー?!!ウソ!!

ちょうどその日、休みとってた!!

みたいなことが起こったりした。

「同じ考えない」でも

うまくいかない日もあった。

夫が仕事で私がお休みだった日のこと。

子供が高熱を出したので

病院に連れていくことに。

病院に連れていくのは夫の方が多かったので、

その時の情報を私に伝えた。

「病院は朝の9時に開くけど、

朝からすごく混むから

8時20分には受付した方がいいよ。」

ということだった。

「あー、そうなんだ。」と、

特に疑いもせず

その通りにしたのだけれど。

なんとその日は祝日でお休み。

せっかくこんなに早く来たのに。

駐車場は閉まってるし誰も来ない。

そうだ。勤労感謝の日だった。

そして新嘗祭・・。

あー、知ってたのにっ!!!

ほんっとに、自分は抜けてるとこがある。

いや、自分を責めるのは止めよう。

土曜日の祝日って、ほぼ普通のお休み。

振替休日もないし。

とりあえず、祝日でも確実に空いている

救急センターに行くことにした。

「ママ、まだ着かないのー?」って・・。

具合が悪いのに、

ぐるぐる連れまわしてごめんね・・。

この2つの違いはなんだろう?

どっちも思考してないのは同じ。

最初の行動は

自分の内側のなんとなくの感覚に従って動いた。

後の行動は思考停止して

人から言われた通りに動いた。

自分の感覚に従うのか

他者の言動に従うのか

という違いだった。

うーん。

単なる偶然・・・?

いや、やっぱり

内側の感覚に従うことが大切だ。

というか、その方が

主体的に動いた感じがする。

後者は受動的だった。

思考せず感覚に従う時は

それが内側からの感覚なのか

外側の影響なのかについて

一度振り返った方が良さそうだと感じました。

ああ、ちゃんと休診日くらい

確認すれば良かった。

と、思考の大切さも感じました。

思考停止が発動する時

人から言われると思考停止する。

そんな一面が人にはあるのかもしれない。

黙って従う。

この行動の癖は

言われた通りにしていれば間違いないという

「いい子」時代に身につけた

自動的な反応の癖だったのかもしれない。

考えない方が楽なことは多い。

思い返せば子供の頃は親に従い

学校では先生に従い

職場では上司と職場のルールに従い

その通りにすれば

「考えなくてもいい」になっていた。

老いては子に従い

という言葉通りにしている高齢者の姿を見ると

そういう人は

だんだん頭を使わなくなって

いくようにも見える。

人に従うことの弊害は

自分が受け取ることになる。

具体的な行動の指示は

思考停止を生む。

本当にそれで間違いない??

せめて、最終確認のチェックは

人任せにせず考えた方が良さそうだなと。

瞑想の影響

日常的に瞑想していると

必要ない時には

思考してない状態が多くなってくる。

そんな感じで、いつの間にか

思考でなく感覚的に反応することが

増えていたのかもしれない。

日常のルーティンの作業は

ほぼ自動的で感覚的に遂行されている。

洗濯物をたたむのも、食後の後片付けも

歯磨きをするのも、いちいち考えない。

お味噌汁を作るのも、

考えるのは材料を選ぶときくらいだ。

感覚的に反応する時には

内なる感覚に反応する時と

外からの刺激に反応する時の2種類がある。

外からの刺激に対しては

思考を入れてチェックしてみよう。

内なる感覚には

「なんとなく」従ってみよう。

これでしばらく過ごしてみることにする。

さて、どうなるかなー?笑

それでは、今日はこの辺で。

お読みくださいまして、ありがとうございました。

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