二時間瞑想と空間に現れる存在。

こんにちは、hanaです。

季節の変化を感じていますか?

外気が夏の空気に変わってきた。

沈丁花の香りが漂ってくる。

もうすぐ4月。

暖かくなり、春休みの時期でもあるので、

なんとなく緩みやすい。

日差しが日増しに強くなっていて、

すぐ暑くなりそうだなー・・。

それでは、今週の二時間瞑想の記録を

書いていきたいと思います。

今回は、少し不思議な感じになっていますが、

とりあえず、記録として残します。

令和7年3月22日の二時間瞑想

日の出前の暗い時間に、目が覚めて瞑想を始めた。

確か4時50分くらい。

座り始めて、少しずつ上半身の力が抜けて

意識がボーッとしてくる。

時々、思考が浮かぶ。

ボーッとしたはっきりしない思考は

そのまま流れていく。

はっきり言語化された思考は

言葉でラベリングして消していきます。

そうすると、そうめんを茹でた時に

沸騰して泡立ってきたところに

冷水を少量入れると

泡がスーッとひいていくように

思考もスーッと消えていく。

言葉は茹でる時の冷水のようです。

思考なら「思考」とラベリングします。

鼻を通る血液の感覚や

腕が弛緩して重だるくなる錘のような感覚。

筋肉に力が入っていないから

まるで麻痺したかのように、腕の重量を感じる。

皮膚感覚は変化して少しずつ消えていく。

体と私を取り巻く空間との境目が曖昧になる。

体の境界線が部分的に消えていき、

前腕の途中から先の感覚がない。

体幹も下肢も浮いているかのよう。

ふと指先を軽く合わせると

ビリビリする細かい振動を感じ

微弱な電流が流れたような感覚がした。

ああ、そうだよね。

皮膚刺激は微弱な電気信号だ。

体中、電気信号が流れてる。

神経だけでなく、血管にも流れを感じる。

生き物が生きているのは

この電気信号が流れてることだ。

これが止まることが死なのかも。

空間に呼気が流れていき

空間と私との境目は曖昧で

空間にも気が流れているのを感じる。

磁場と言ったら良いのだろうか

合っているのか分からないけど。

私から発されるエネルギーが空間を流れている。

ラップ音がした。

まただ。

誰かいる。

右上方。

私の様子を時々観察しているのを感じる。

まるでトマトの観察日記でもつけるかの如く、

時々、私の様子を観にくる。

誰かはわからない。

瞬間的に場所を変えるけど

基本の場所は右上方にいる。

私のエネルギー場に何かをしたらしく

今日はやたらと

この電気のようなエネルギーの流れを感じやすい。

その誰か分からない存在も

その場から入る微細な刺激で感じる。

あーそうか、

直感って空間から受け取ってるんだ。

と、瞬間的に理解した。

私のエネルギー空間の付近に

私以外の存在がいるとエネルギーを感じる。

生きた人間だけでなく

目に見えない存在も

気づいて欲しければ存在を示してくる。

その存在は、私の思考も観察していた。

「まだ、そんなことを。

電気なんて当たり前じゃないの。」

呆れたような思考が飛んでくる。

理由は分からないが

時々見にきてくれるこの存在は、

最近、瞑想以外の時間にも現れる。

思考を読まれていることに私が気づくと、

その存在は少し取り繕うような空気で

竜巻のイメージを送ってきた。

竜巻・・?

エネルギーの渦

人体を取り巻くトーラス状の空間を連想し、

私は、その竜巻を頭上に移動させた。

私の周りにトーラス状のエネルギーが

渦巻いているイメージ。

不思議と自然に背筋がまっすぐ伸びる。

「そんなことよりも

大事なことに気づきなさいよ。」

その存在は私に言葉を送ってきた。

その瞬間、顎から首にかけての

凝り固まったエネルギーに気づいた。

「何これ。すごい固まってる。」

「うわーひどい。」

「そうよ。あなた、

そんなことにも気づかなかったの。」

存在は、呆れた様子で語りかけてくる。

私は顎から首の上部にかけての

エネルギーに意識を向けた。

我慢してきたエネルギー。

忍耐のエネルギー。

これが食いしばって

筋肉も固まらせていたのか。

緩めるイメージをする。

柔らかくなる。ほぐれていく。脱力していく。

はじめは反応しないほど凝り固まっていたけれど、

しばらく続けるうちに少しずつほぐれてくる。

「あなた、思ったより

うまくやってるじゃないの。」

また、言葉が降ってくる。

こんな感じでいいらしい。

少しずつチカラが抜けて

もつれたエネルギーがほぐれてきたところで

2時間が経過した。

どなたか存じませんが、

お導きくださりありがとうございました。

言葉は少し偉そうだったけど、

私を導く存在だとわかるので、

観にきて下さって有り難かったです。

令和7年3月23日の二時間瞑想

うーん。今日の瞑想は、ちょっといまいちでした。

昨日、外出してたくさん歩き回っていたので、

少し疲れが出たのかもしれません。

まず、思考というより空想かな。

その中に入り込んでいる状態が長くなってました。

あんまり深く入れなくて

割と浅い意識に近い感じです。

そのせいか、感覚に意識が向きにくくて

姿勢の調整を間違えていたようです。

100分辺りまでは

そんなに辛くなかったのですが

残り20分のところで背中と坐骨に痛みが

久々に出ました。

坐骨への圧を左右均等になるように

意識することはできていたのですが、

前後のバランスが良くなかったようです。

坐骨の真上から圧がかかる時間が長すぎたみたいです。

緩めることも必要なことに気がついたので、

最近は、坐骨の少し後方に圧を逃して緩める時間と

前方向に重心を持っていく(坐骨の真上あたり)時間を

少しずつ交互に作るようになっていました。

今日は、後方に逃すのを疎かにしていました。

多分、筋力がついて痛みを感じず耐えられたから、

気づかなかったのかもしれません。

でも、後から痛みとして現れますね。

右背部も痛みが出てきました。

こういうのを繰り返して

上達していくから、これもまた役立ちます。

今回は、この位かな。

もっと、安定して時間を気にせずに

120分瞑想を完了できるといいな。

二時間瞑想を終えて

私が純粋に続けたいと思うのは

やっぱり瞑想なので

そこを磨いていきたいなと思っています。

人の体は発信機であり受信機でもある。

それが感じられるのは、

心を鎮めて感覚を研ぎ澄ます時です。

同じ部屋に誰かがいる時といない時では、

空間の静けさが違う。

たとえ、相手が音を発しなくても。

人が多くいる空間は、

飛んでくる情報量の多さに疲れてしまうので、

たまにシャッターを下ろしたくなるのかもしれません。

その時の調子にもよるかな。

空間を共有するということの影響は

何気に大きいのかもしれません。

相手から感じる雰囲気の変化も

自分に影響しています。

言わなくても伝わってくる空気感。

瞑想をしていると、

こういう情報に対する感度も変化するのかは、

まだよく分かりませんが。

自分の心がフラットな状態だと

割と冷静に相手のことを観察できるから

変化に気づきやすいとかは

あるのかもしれません。

食べ物などの物理的な影響も大事にしつつ、

思考だけじゃなく感覚や動作にも目を向けて

自分を知ろうとすることで

より多角的な視点で自分に対する

アプローチを考えられるようになっています。

そして、その情報は他の人に対しても

活かして行けるものになるのではと思うのです。

自分を知ることがはじまりのような気がするので。

それでは、今日はこれにて失礼します。

お読みくださいまして、ありがとうございました。

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