
人に対する印象とか、
出来事に対する解釈とか、
同じ物事に対してであっても
人によって見方は異なっていることがありますよね。
その見方が真逆だと、
こっちの意見が正しいとお互いに譲らず
対立構造ができてしまったり。
今日は、そんな対立構造になった時に、
どんな風に向き合うことが有効なのかを
考えていきたいと思います。
対立してしまった時の解決策とは・・?
真っ向から意見が対立してしまった時、
話し合っても溝を埋めることが
難しく感じることがあります。
そんな時、多くの人が陥るのが、
「相手を変えようとする」こと。
どうにか説得しようと、
たくさんの理由を並べたりして、
自分の正しさを証明しようとします。
それで、理解してくれる人もいるけれど
そうならないこともありますよね。
そんな時に何が起こるかを見ていくと、
向かい風が吹けば、抵抗を生むように、
負けまいと踏ん張ろうとするのが自然なことなので、
結果的に修正が難しくなったり
対立が深まってしまったり・・。
なんだか、あまり生産性がなくて
エネルギーばかり消耗する状況に
なることがあるかもしれません。
お互いに変わらないものは変わらないので、
そのまま受け止めるしかないこともあって、
そこにイライラしてもエネルギーを消耗するだけで
あまり意味がなかったりします。
背景を見つめる
意見の対立がなぜ生じるかを考えてみると
背景にある情報の違いとか
情報に対する解釈の違い
そんなことがあって、
そこから感情的な反応が生まれています。
例えば、四毒抜きについてどう思うか、
というテーマでも人によって意見が違う。
情報源や知識の違い、解釈の仕方の違い、
経験してきたことの違いがあって、
これらの違いが原因になっている。
「私はそう思っているけど、本当にそうなのかな?」
と見つめ直す余地を作ることで、
視野は広がっていきます。
そのような思考過程を経ることで、
必ずしも自分の信念が正しいとは限らないと
考えられる余地を作ることが
できるようになるのですね。
そのためには、信じていることや
正しいと思っていることの背景を見つめて
「他の可能性はなかったのかな」と
見つめ直すようなゆとりを持てると
「自分が絶対正しい!」という状態から
抜け出すきっかけができます。
私、思うんですよね。
自分が絶対に正しい!と信じている人ほど
他の可能性が見えてないだけなんじゃないかって。
もちろん、自分のことも含めて。
だから、自信満々の時ほど、
自分を振り返ることって大切なのだろうな。
歩み寄るために必要なことは、
自分の思い込みを見つめ直すための
気持ちのゆとりをもてること
なのかな・・って感じます。
隠れてる劣等感の影響・・
この場合の気持ちのゆとりは、
内側に劣等感を抱えていると
持つことが難しいことがあるので、
胸が痛くなるけれど
それでも自分の中の劣等感と向き合うことは、
自分の絶対は絶対じゃないかもしれないと
気づける可能性を広げてくれるから、
世の中の対立や争いを
相互理解や歩み寄りに
変えていくきっかけになっていく。
そしてこれは、
意識が拡大し成長することと同義です。
一人の人間が内側の闇と向き合うことは
社会の対立を減らしていくことにつながり、
大切な人と仲良くできることは、
自分自身の幸せにもなっていく。
話し合いの時に相手を説得しようとしても
抵抗を生み逆効果でしかない。
そんな時に・・・
実際、難易度が高くて
私もできないことがあるのですけど・・
「自分が間違ってるかもしれない」
という視点を持てるかどうかで
歩み寄りの度合いは変化するものなのだろうな。
知識量が違いすぎる場合にも、
相手に理解を求めても難しいことがあって
「これが正しいのに、なぜ分からないの」と
つい思ってしまうことがあるかもしれません。
そんなときは、自分と同じ考えを
受け入れられる人ばかりではないかもしれないと
相手を否定するより背景を理解する方向に
思考を切り替えていけたらいいですね。
それでは、今日はこの辺で失礼します。
お読みくださいましてありがとうございます。

