急速な変化と二時間瞑想の記録

最近、すごく質の高い動画を見つけて

これは、AIによるものだなと感じた。

人間の力だけで作ろうとしたら

知識を身につけるだけでも

数年はかかりそうな内容で、

要点を美しく簡潔にまとめている。

そういう世の中になっている。

脅威とも取れるけれど

面白いとも感じた。

知りたかった知識が

簡単に手に入るのだから面白い。

謎解きをしたいと思ったら

こんなに面白いことはないだろう。

ある意味、調べる手間

勉強する手間をすっ飛ばして

結論に到達できてしまう。

そんなことを感じた。

もちろん、深めるとか味わうとか

そういうことを楽しむには

自分でコツコツ勉強することが必要で

知っていく面白さを求めるなら

それもいいのだろう。

必要なものは

必要なタイミングにもたらされる。

AIも例外ではなく

使うべき時が来たから人類にもたらされた。

そのように考えられる。

ここ数十年の間に

人類にもたらされた変化は

これまでの歴史の中でも特別なもの。

別の領域に誘われるかの如く

時代は変化の速度を上げている。

トリコマレ ノミコマレルのか?

意識を命を生きるのか?

内を見つめ

内なる光とともにあれ

それでは、二時間瞑想の記録を残します。

令和8年7月4日の二時間瞑想

すでに空が明るい

4時半くらいから座り始める

心が穏やかで落ち着いている

眠る手前のような

半分眠ったような意識

ぼーっとしていて

何か見たような見てないような

ぼやけた中にいた気がする

足が冷えてきてお腹が少し痛い

姿勢を少し崩す

背中を丸くしないと

お腹がもっと痛くなりそう

仕方ないので崩した姿勢で座る

しばらくすると首が痛くなる

姿勢が悪いと痛みが出てくるのは

なんとなく知ってる

姿勢を調節する

今日は時間が過ぎるのが遅い

思考はぼやけていて

はっきりしない

令和8年7月5日の二時間瞑想

5時過ぎから始める

このところ暑さと湿気で体がだるい

なんとか座る

集中が持続しにくいと

なんのために座っているのだろうと思った

たとえ思考がたくさんあったとしても

それ自体が今の自分にとって

見つめるべき事柄であることが多い

だから思考は来るのであって

そのことにも意味があるのだと

ようやく思えてきた

それ自体も自分を見つめることで

自分との対話になってる

何よりも、

そんな自分と向き合うために

他のことよりも優先して

時間を作ること自体が

自分を大切にするということ

自分を大切にするとは、

自己中心的な考えをすることではない

向き合い見つめること

知ろうとすること関心を向けること

大切にしたいことを探ること

それはとても価値のある大切な時間

人生を大切に生きるためには

こまめに自分と対話することは必要で

それを自分にすることができると

他の人からどう扱われるとかは

あまり重要でなくなる

誰がなんと言おうと

私にとって私は大切な存在だから

私は時間を割くに値する存在だと

自分に行動で示している

二時間瞑想は

そんな時間になっていたことに気づいた

それでは、この辺で失礼します。

お読みくださいましてありがとうございます。