サーカスの象と自分らしさの檻

サーカスの象の話

サーカスの象は、子供の頃、

鎖に繋がれて過ごす。

小さいので、鎖を引っ張っても外すことができない。

そして、大人になり繋がれるものが

地面に刺さった杭につながれたロープに変わり、

簡単に外す力があるにもかかわらず、

外そうとしない。

「外すことができない。」という思い込みのため。

教育って、利用の仕方によっては、

恐ろしいものだと心から思います。

「自分は大したことはできない。」

「自分なんて、人と比べればどうってこともない。

もっと、すごい人なんてたくさんいる。」

「自分なんて、つまらない、ちっぽけな存在だ。」

こういう考えを持っている人は、たくさんいます。

まるで、こういう事が常識であるかのように。

これは、人と比較し相対評価の中で点数をつけられる教育、

自分の価値を先生の評価や皆からの称賛で決められる経験、

大勢の中で順位を競えば、1番になるのは一人だけ。

その他は、「たいしたことない人。」ってことになる。

大勢の中で、飛びぬけて優れた人だけが

称賛され、注目に値するかのような扱い。

ヒーローに憧れ、自分はその他大勢の一人という感覚。

多くの人が、

自分は、自分の人生の主役なんだという感覚が持てないまま、

自分の運命や自分の人生を切り開いていこうとする意欲を削がれ、

「そんなことできるわけがない。」

という思い込みの中で大人になっていく。

人と違う道を歩もうとする人に対し、

「そんなの無理だよ。」

「よほど、優秀じゃないと。」

「どうせ、失敗するよ。」

こんな見方をするようになっていく。

この思い込みは、ほとんどの人が持っている。

自分らしさという檻の中にいる現実

Mr.childrenの「名もなき詩」の歌詞には、

あるがままの心で 生きられぬ弱さを

誰かのせいにして過ごしてる

知らぬ間に築いていた 自分らしさの檻の中で

もがいているなら 僕だってそうなんだ。

作詞・作曲 桜井和寿

こう書かれている。

成功者である桜井さんですらも、

自分らしさの檻の中でもがいている事実。

この、「自分らしさ」って、何なのでしょうか。

過去の自分と矛盾のないように振る舞う事が

無意識に求められる事だったりするのではないか。

「あなたは、素直で明るくて、優しい子。」

と思われていたら、

そのように振る舞わなければと感じたり。

もしくは、

何かの出来事がきっかけで、

「自分は弱虫で臆病者。」

と思っていたら、面と向かって、

自分の意見を言う事ができなくなったり。

思い込みという囚われは、

いつの間にか、自覚なく身に着けていて、

時には、身動きの自由を奪うことがあります。

本当の自分は何か。

人の目という評価を気にする中で作らされた

「自分らしさ」という仮面を剥がしたら、

一体どんな姿をしているのか。

サーカスの象のように、

幼少期に身に付けた思い込みによる呪縛と、

実際の自分とのギャップ。

本当の自分の力に気づくことが出来た時、

生き方は変わっていくのでしょうか。

ロープを自分の力で外せると気づいた時、

象はロープを外すのか。

それとも、飼われている方が安心だからと

そのまま離れないのでしょうか。

少なくとも、外せることに気づいた時点で、

象は、どうするかを決断する主人公になることができます。

本当の自分は、

他者との比較により決めつけられた、

「私は〇〇である。」という自分を形作る

あらゆるものとは関係がないものです。

全てが変化しても、変わらないもの。

それが本当の自分なのだと思います。

例えば、「私は女性である。」と思っていたとして、

もしも、性転換して男性になったら?

それでも「私」であることには、変わりはないでしょう。

アイデンティティなんて、

そんなものなのかもしれません。

身に着けている衣服みたいなもの。

後から、くっつけたもの。

長年にわたって作り上げてきた

「自分らしさ」という檻を壊すのは、

時には大きな抵抗感を伴うし、

受け入れられないようなこともあったりします。

私は〇〇である。

という思い込みの枠に囚われていると、

自分が何者であるかは、

見えなくなっていくのかもしれません。

決めつける必要なんてない。

本当は、何にでもなれる。

エネルギーそのものが、自分の正体だから。

これが、真実だとしたらどうでしょうか。

この体が自分なのか?

と言ったら、この体でさえ、

代謝して細胞は日々入れ替わっていて、

数年前の自分とは、全く違う物質でできている。

ただ、形のイメージが保たれているだけ。

形があるようで、幻を見ているようなもの。

私を私にしているのは、

私と言うエネルギーそのものであり、

意志を伴っている。

自分には、

エネルギーそのものと意志がある。

そのエネルギーに触れるためには、

思い込みという汚れを取り払わなければ

ならなかったりします。

とても、やっかいだけれど、

この「自分らしさの檻」に閉じ込めている

思い込みがなくなることで、

自分の人生を生きる主人公になれるのだと思うのです。

けれど、長年培ってきた、

檻から出る事って、

本当に難しいことだな、、

と思いながら書いています。

今日も、お読みくださいましてありがとうございました。

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