子供とのゲームからの気づき

こんにちは、hanaです。

最近は、移動中に瞑想することを心がけています。

歩いている時や電車に乗っている時、

車を運転している時、

瞑想は、目を閉じていなくてもできるので、

できるだけ、レベルアップしようと、

頑張っています。

さて、今日は子供とのゲーム遊びから

気づいたことを書いていきたいと思います。

子供から、「ママ、一緒にトランプしよー!」と、

数日前から、何度も何度も言われていました。

どうやら、学校の休み時間に

お友達とトランプをして、

たくさん練習したので、

ママと対決したくなったようです。

少し、忙しかったのですが、

「じゃあ、1回だけだよ。」と、

一発勝負で「スピード」というゲームをしました。

そうしたら、今まで子供に勝ち続けていた

スピードで、初めて負けてしまいました!

その直後は、正直少し悔しくて、、、

後から考えたら、子供がこんなに成長したのねと

嬉しい出来事でもあるのですが、

その瞬間は、悔しくなっていたんです。

当初は、

「ちょっと面倒だから、早く終わらせよう」

くらいの気持ちでしたが、(ごめんね。)

意外と、真剣だったのかもしれません。笑

そうして、「悔しい」と思った自分を

客観視しているもう一人の自分が、

「なぜ、悔しい?」と問いかけてきました。

そして、「ハッ」と気づきました。

「勝ち負けを競うことは、自我を強化するんだ!」と。

そう、勝ち負けを競うということは、

「自分」が、勝つか負けるかということで、

負けると、「自分」の能力が劣ると感じるなど、

自己イメージに囚われやすくなる。

視野が狭くなり、

「自分」にフォーカスされた状態になっている。

それは、まさしく「自分」という小さな自我に

囚われている状態だったと。

そして、競争意識は、「頑張る」ことで、

余計に強化されるということも感じました。

例えば、負けたのがトランプではなくて、

ただの「じゃんけん」だったら、

何も悔しくないと思うんです。

ただ、「グーかチョキかパーを選んで出す」だけで、

頑張る要素があまりないですよね。

その背後に、「負けたら罰ゲーム」とか、

あったら負けたくないとか思いますが、

ただのじゃんけんだったら、

負けても、なんとも思わないです。

そして、自我に囚われた状態では、

自分と他人の間の線引きが明確になる。

そして、「自分さえ良ければ」や、

「自分が勝ちたい」など、

損得や勝ち負けなど、狭い視野の中で、

人との競争に負けないためにと

頑張る道を歩ませるのだなと。

学校教育で培われる成績重視の価値観や、

競争社会の在り方は、

「自我」を強化している気がする、、。

そして、他者との区別の中で、

「これが私」という

自分像を創り上げていく。

では、ここで、

「自我」を強化しない方法は何かを考えてみます。

私の個人的な感覚としては、

「自我を客観視している状態」

まさに瞑想をしている状態なのですが、

一歩離れたところから、

「冷静に自分を俯瞰しているもう一人の自分を持つこと」で、

「自我」という小さな自分への囚われから

抜け出すことができるのだと思います。

もう一人の自分は、

冷静で感情に飲み込まれません。

「子供が成長したって、喜ばしいことじゃない。」とか、

悔しがっている自我に対して、

「悔しがってるねー。」とか伝えてくれます。

そして、そちらの方に照準を合わせると、

悔しいの感情は落ち着いてきて、

悔しがっていた自分のことが、

可笑しくて笑えてきます。

そうして、俯瞰していると、

「子供の成長を喜ぶ自分の気持ち」も、

自分の中にいることや、

ころころと変化する自分の感情を

ただ見守っている自分に出会います。

そうして、「自分のイメージ」が

どうなろうと、

あまり気にならなくなります。

なぜ気にならなくなるのでしょう。

それは、「負け=劣る」という思い込みに基づいた

「自分は劣る存在だ」というただの思い込みだった。

つまり、「自己イメージ」という幻への囚われだった、

ということをなんとなく感じたからかもしれません。

囚われると悔しい気持ちとかに巻き込まれるけれど、

囚われなければ、

「どうでもいい重要でないこと」

だったと感じるようになる。

気づきは体験なので、一瞬で変わります。

何か、面白いドラマに感情移入して

夢中になっていると、

一緒になって興奮したりという感情を味わいますが、

一歩俯瞰してみると、感情移入せずに

冷静に見れるのと、似ているのかもしれません。

「自我」は、

自分だと思い込んでいるただの幻。

そう思えると、競争に取り込まれて夢中になって、

悔しさや嫉妬など、

握っていて気持ちが良くない感情を

パッと手放せるようになり、

もっと温かくて明るい気持ちで過ごせたり、

相手の喜びは自分の喜び、のように、

「自分」という枠組みを超えて他者のことも大切にできたり、

自分と他者は、別々に見えるけれど、実はつながっている。

ということが理解しやすくなったりするのかもしれません。

「自我」という幻想に飲み込まれそうになったら、

言霊瞑想をすることで、

自分を苦しめる囚われから抜け出しやすくなりますよ!

良かったら、御一緒に言霊瞑想をしてみませんか?

興味を持ってくださった方は、こちらへお越しくださいね!

最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

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