違いを活かしていくためには・・?

こんにちは、hanaです。

3月も中旬になり、卒業式の季節ですね。

我が家では、上の子が小学校を卒業します。

ああ、はやい・・。

これまで自分を取り巻いていた

慣れ親しんだ環境から離れることは、

寂しさや切なさを感じることもあれば、

人によっては、開放感や清々しさ、

喜びを感じるものであったり、

それぞれにより、異なるもの。

物事に対する見方は、それぞれにあって、

違いがあるから、新たな視点を持てたりする。

違いは力にもなる一方で、

誤解や反発を生むきっかけにも成り得る。

違う意見や考えは、必ずある。

この世界は、十人十色。

様々な人で構成されていて、

自分と同じ人間がいないように、

自分と全ての意見が一致する人というのもいない。

その中で、似ている人や近い人もいれば、

真逆の考えを持つ人もいる。

仲良くできる存在と言うのは、

ある程度限られてしまうのが、

誰にとっても、自然なことなのだと思う。

特に大人になると、

立場も境遇も、経験や考えも

それぞれに異なる部分が増えてきて、

理解できる事柄も人により様々だと感じます。

子供の頃のように、

差の少ない時代とは異なる。

現実では、「難しいな・・・」と

人間関係の中で感じることは多いし、

好きなもの同士の集まりと言うのでもなければ、

そうなるのは、必然なのだろうと思う。

そんな中で、役割分担して、

社会が成り立っているという事自体が、

すごい事だなと感じます。

社会の中で生きることは、ストレスがつきもの。

人間は、社会的な生き物で、

お互いの繋がりの中で生きている。

そこには、必ず他者の存在があって、

誰かと仕事をしたり役割を遂行するためには、

ルールが必要になり、

ルールを守ることが、1つの調和をもたらしている。

そして、記憶が確かであれば、

社会心理学の分野だったと思うのですが、

組織内でのルールの厳しさというのは、

信頼関係の深さによって変化するという話を

聞いたことがあります。

信頼関係が深ければ、ルールは緩くしても成り立ち、

信頼関係が浅いと、ルールを厳格化し、

縛り付けることで、安定を図ろうとする。

ルールで縛るよりも良心をもつことが大事じゃない?

ルールというのは、

国で言えば法律にあたるもので、

言葉の解釈によって、抜け道を考えて

ずるいことをしようとすれば、できてしまうような

そんなもののように感じるところがあります。

一方で、人間関係の中の信頼関係というのは、

相手に対する信頼感で成り立っていて、

目に見えない曖昧なものではあるけれど、

過去の経験の積み重ねから、

「この人は信頼できる。」というものを

積み重ねた結果で成り立っていて、

それをお互いに守ろうとする良心が働く中で

作られていくように感じます。

相手の嫌がることをしないことや、

相手のことを想って伝えること。

未熟さ故に、言い方がうまくなかったとしても、

汲み取れる気持ちはあるもの。

違うもの同士が関係性を築いていく上で、

大切になることは、

お互いに良心をもって接するということに

尽きるのではないかと思う。

ルールでガチガチに縛られるのは、

私は好きではないし、

そのことに安心感や心地よさを感じる人も、

いるかもしれないけれども、

多くの人は、面倒くさいルールにのっとって、

何のためにあるのかよく分からないような

非効率な書類作成だらけの状態に

無意味さを感じたりするように、

不要なルールの弊害を感じている人も

多いのではないかと思う。

できれば、お互いに良心のもとに成り立つ

信頼関係の中で、

思いやりのある場所で生きたいなと

感じるのではないかなと思う。

本当は、ルールなんて最低限で良くて、

自由度が高い方が、様々な可能性が開けていく。

違いを活かしていくには、

つまらないルールで縛るよりも、

「それ、いいね!そうしよう。」と

お互い気軽に言い合えるような

環境であることが望ましいなと思う。

心を見つめることの大切さを

見直していく事が、求められているなあと感じます。

まとまりもなく、好き勝手に書いてしまいました・・。

今日も、お読みくださいまして、本当にありがとうございました。

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