八正道の正語について。

今回は、八正道の正語について

相川圭子氏の書籍からまとめてみます。

その前に、ここまでの復習を簡単に。

八正道とは、

正見、正思、正語、正業、

正命、正精進、正念、正定から成り、

段階的を追って理解を深めていくこと

が書かれていました。

【正見】

ただ、見るということ

あるがままに見る、ということ

とらわれずに見る、ということ

八正道と正見についてはこちらから。

【正思】

過去にも未来にもとらわれない

ただ、「今にいる」ことができる

正思についてはこちらから。

それでは、今日は、正語について見ていきましょう。

【 正語 】について

「愛のある純粋な言葉で

思いやりを持った『愛語』

心からの、嘘のない言葉

愛語を口にするように」

(相川圭子 八正道より)

あなたは自分の発している言葉の色合いに気づいていますか。

自己主張が激しくないですか。自分を正当化していませんか。

イライラしていませんか。相手を粗末に扱ってはいませんか。

あなたは正しい言葉の実践をします。

人を傷つけない言葉を使いましょう。言葉の暴力を慎みます。

「愛語」を話していきます。

カルマは行為のことですが、それはすべての思いが現れたものです。

言葉もカルマです。思いが現れます。

相川圭子 八正道 P71

気づきを頂ける、有り難い言葉です。

日常的に使う言葉にこそ

注意を払わなければ・・・

けれども、ついついきつい事を

言ってしまったりすることもある。

言葉は、言葉自体に言霊を宿しているので、

使い方を間違えると一人歩きしてしまうこともある。

自分自身を戒める気持ちが

沸々と湧いてきます・・・。

みんな、それぞれに完全ではないので、

そんな部分も含めて、

お互いに思いやりをもって、

見つめていきたいものですね。

言葉には色があります。波動に表れています。

深いところに愛ではなく否定的な心の思いがあると、

それはよい言葉にはならないのです。

そうしたことから、うっかり言葉で人を傷つけて

大事に至ることもあります。

その結果は、自分に返ってきます。

まさに「口は禍(わざわい)の元」です。

内側を浄めて愛と理解を深めない限り、よい言葉は生まれません。

ヒマラヤ瞑想などの修行を行って、

常に愛のある言葉にするようにしましょう。

それが正しい言葉、「正語」なのです。

相川圭子 八正道 p73より

否定的な思いは言葉に表れる。

言葉自体は美しくても、思いが否定的であれば、

それもまた、発し方で感じ取れる。

そのくらい、繊細なもの・・・。

日常的に使うものだからこそ、

注意し続けることは至難の業ですね。

ああ、喋りたくない・・・・。苦笑

傷つける意図がなくても、

知らないうちに、

傷つけてしまっていることもある・・。

何かを肯定すれば、

何かを否定することになる。

人の中で暮らしていくというのは、

難しい舵取りを強いられることも・・・。

ここでいう正しい言葉とは、正しい日本語ということではなく、

その言葉が不誠実や暴力の気持ちからではないということです。

表面的な尊敬語や謙譲語などを正しくということでもありません。

愛と尊敬を持って話すということです。

相川圭子 八正道 P77 より

大切な事は、形よりも想い。

つたない言葉でも、想いは伝わる・・。

いつも、思いやりを持てるような、

心のゆとりを育むことが必要ですね。

ここで書かれていることは、

相当にレベルの高い内容ですので、

できてなくても落ち込まないでください。

私自身、反省点だらけですから・・。笑

できないのが普通だからこそ、

努力していきましょうということなのですよね。

確かに、とても大切な内容だと思います。

言葉を受け取るときは、

感情を交えて受け取らないようにしましょう。

「ああ、こういう考え方もあるのだ」と、客観的に聞きましょう。

そして、自分の命を生かすような言葉ならば受け入れましょう。

受け入れることができない言葉は受け入れなくていいのです。

しっかりと聞いて理解し、互いに尊敬の思いで言葉を発し、

成長していきましょう。

相川圭子 八正道 P85 より

受け入れられない言葉は、受け入れなくてもよい。

これは、見落としがちだけれど、

大事なことだなと感じました。

そういう言葉は受け取らないことが、

巡り巡って相手のためにもなる。

そんな気がします。

受け取ることが難しい言葉は、

自分の人格を傷つける言葉だったり、

不条理や屁理屈、偏見や差別が

含まれている言葉だったりします。

そんな言葉は、受け取らない。

これも、自分を大切にすることの1つだと思います。

相手が傷つくかもしれないと思い、

「思っていることがあっても、ズバッと言わない方がいい」

と思う人もいると思います。

相手を傷つけないことは大切なことなのですが、

そのようにしていると相手が考え反省する機会が

なくなってしまうこともあります。

ですから、ときには、相手のためを思って、

愛を持って、勇気を持って、

しっかりと伝えた方がよいこともあるかもしれません。

そのとき、自分の意見を述べるのに一生懸命になりすぎて

攻撃的に話したり、

気分を悪くさせないように、気をつけましょう。

そういうときほど、愛を持って話すことが大切です。

相川圭子 八正道 p88 より

・・・これ!

ここの部分で悩むことはありませんか?

「伝えた方がいいよね。」

と、思いながらも、

「傷つけてしまうかも・・。」と

言わずにおく。

それで、悩んだ挙句に伝えた結果

「ああ・・・失敗したかも。」

と、落ち込む。

言い方って、本当に難しいです。

けれども、そこに相手への

思いやりの気持ちが含まれていれば、

きっと、いつかは理解してもらえる。

そんな風に、相手を信じようと思っています。

けれども、伝え方に関しては、

常に改善の余地があるのではないか、

と、感じますねー・・。

けれども、気にしすぎも良くないので、

切り替えるようにしていますよ!

正語と瞑想

八正道は、段階的に悟りへと

近づいていくための教えと言いつつ、

今回の内容は、ただ戒めのように

感じられる内容だったかもしれない。

と、思いまして、

瞑想との関連について

hanaの視点から、

補足で書いてみたいと思います。

言葉に気を付けていく事と、

瞑想はどのようにつながるのかと言うと、

瞑想では、「今ここ」にいることで、

瞬間的な気づきが促されていきます。

その中には

浮かび上がってきた思考(言葉)や、

自分が喋った言葉に対する気づきが含まれています。

そして、この「言葉」からの気づきが

自己の理解につながっていくものでもあります。

言葉を通して、

思考の癖に気づいていくことで、

結果的に、発する言葉の大切さへの

気づきにもつながっていきます。

私達は、

「自分」を言葉を通して理解する

側面が多分にあります。

正見(正しく見る)ことが、

正思(今ここに居る)を行いやすくし、

正語(愛のある言葉を使う)にも

繋がっていく。

ということかもしれません。

自分に向けて使う言葉も、

相手に対して使う言葉も、

自分を取り囲む世界を形作っていきます。

言葉に気を付けることが、

苦しみを減らし、幸せな人間関係を

築くために大切なことであることは、

過去の経験からも間違いないことですよね。

ということで、今回は正語についてでした。

内面を整えることは、

使う言葉を整えることでもある。

努力しようとすること自体が、

尊いことなのだと思うので、

できた、できなかったは置いておいて、

できる限り、注意を払っていけたらと思います。

そうは言っても、

あんまり堅苦しくても、

生きづらくなってしまうので、

適度に、息抜きしてもいいよねー!

と、個人的には思いますよ!!笑

ストレス多き社会では、

時には毒を吐き出すことが

必要になることも、ありますものね!^^

もし良ければ、

言霊瞑想の7日間講座(無料)を行っていますので、

覗いて見てください。

それでは、今日はこの辺で。

お読みくださいまして、ありがとうございました!

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