非難の無意味さ

人は、自分が正しいと思っている

無意味な言い争いに馬鹿らしさを感じたり、

疲弊することはありませんか?

普段は温厚な人間でも、怒ることはあります。

相手が身近な人であれば、つい余計な事を言ってしまうことがあるかもしれません。

経験、知識が違うので、当然のこと

人は、生まれた時から現在に至るまで、それぞれに違う経験をしています。

マスクはつけるべきだ。

いいや、必要ない。

この意見の違いにしても、調べた情報源、出会った人の影響、周囲の環境、

エビデンスに対する考え方、誰を権威と考えるか、などなど信じるものは様々に違います。

人間に対する解釈も同様に、

Aさんは、優しい人という解釈をする人もいれば、Aさんは、頼りない人という解釈をする人もいる。

みんな違っていて、それぞれ個別のフィルターを通して物事を見ています。

当然、誤解が生じます。

相手と同じ人を見ていても、同じ場所で過ごしていても、全く違う世界観を持っています。

個人には、それぞれに違う世界がある。

相手を理解しようと努力しても、どんなに話を聞いても、その人と同じにはなれません。

すべてを分かり合うということは、どんなに好きな人でも、基本的に無理なことです。

だからこそ、一部でも共感できる相手に出会うと喜びを感じるのかもしれません。

自分と違う意見を非難する人

非難というのは、否定的な感情を含んでいます。

否定されて喜ぶ人は、基本的にいません。

意見の違いと、相手の存在に対する評価は、本来関係ないことなのですが、

意見を否定されると、自分の存在を否定されたと感じる人もいます。

だから、意見が違う時は、非難してはいけない。

冷静に考えれば、そうと分かるのに、ついつい言ってしまう。

人間って、そんなもの。笑

非難の裏側にある感情

非難の裏側には、つい言わせてしまうような強い感情がある。

その多くは、自分の信条を守るためだったりします。

人によって、信じるものは違うから、一緒でないと不安だったり、不快だったりする。

親しみを感じる仲間であれば、なおのこと理解してもらいたいという気持ちが働く。

一緒であって欲しいと願う。

理解してほしいという気持ちや、抱えている孤独感が、非難という行動に繋がっているのかもしれません。

そう考えると、相手は相手らしくて良いと違いを認めた上で、相手の存在を受け止めるだけで

相手の方の気持ちが変化するきっかけになるかもしれません。

そもそも、相手と自分は違う世界を持つ、個性的な人間だという前提を

お互いがしっかりと、本当の意味で、理解しておくことが、

気持ち良い関係性を築くための鍵になります。

違っていいんです。笑

建設的な考え方につなげにくい

違う意見を非難し合っても、ほぼ解決することはありません。

どちらかが退くまで、続き、後に残るのは疲労感と絶望感かも知れません。

たとえ、論破しても、相手が気分を害していれば、幸せな気分にはなれないでしょう。

何かの目的があって、意見をぶつけ合うのであれば建設的ですが、

それは、お互いに本気でよいものを作ろうなどの目的を達成しようとする場合に限ります。

相手に負けたくないという気持ちからの行動や、優位に立ちたいなどの気持ちは

良いものを生み出す事から遠ざかるものです。

破壊的な感情

負けたくない気持ちや優位に立ちたいという感情は、本能的な自然なもので、

それ自体が悪いのではありません。

1人で行動を起こすときに、ガソリンとして使えば有益でしょう。

ただ、誰かと話をするときには、

そうは思っても、ちょっと脇に置いておく、

重要なことリストの順位を下げる、

という具合に、自分でうまくコントロールする必要があります。

そうでなければ、感情に巻き込まれて、言うまでもなく、様々な問題が生じてしまう。

結局、ストレスは自分に跳ね返ってきます。

情けは人の為ならず。ですね。

違う意見も、一度は受け入れてみる

意見が違う時、本能的に拒絶してしまうと思います。

本能的なので、結構難しいのですが、

ここは、できれば相手に対する愛情で、一度は受け入れてみる努力ができれば素晴らしいと思います。

好きな相手なら許せることも、嫌いな相手では難しいということはあると思います。。

どこまでできるかは分かりませんが、人間の器を大きくする修行みたいなものかもしれません。笑

理解しようとする努力は、愛情以外の何ものでもないと思います。

お互いに、愛情をもって、尊重し合わなければ、良い関係性は築けないと思います。

最終的に、愛情の器が大きい人の周りには、人が集うのかな、と思います。

集わなくても、良いですけどね。笑

やっぱり違うなら、そっと離れる

そうは言っても、世の中には、どうしても分かり合えない人もいます。

価値観があまりにも違う。

何を言っても、悪く解釈されてしまう。

こちらが努力して歩み寄っても、難しいこともあります。

相手には相手の世界があることを尊重して、

そっと離れる。

それが、自分を大切にすることであり、相手を大切にすることにもなります。

まとめ

人は、みんな違う世界に住んでいる。

この前提を忘れずに、自分も相手も、それぞれの個性を持っていることを尊重し、

非難するのではく、愛情をもって違いを受け止めることができれば、

社会がもう少し、住み心地の良い世界に変わるだろうと思います。

一人一人の心の在り方が、集合意識を変化させ、さらに国や地球の未来を創っている。

一人一人が心を見つめ、メンテナンスしていくことが必要だと思います。

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