善と悪

世の中には、善と悪がある。

その違いは何か。

hanaは、

善とは、「自分以外の人の利益や幸福も視野に入れて考え、行動すること。」

悪とは、「自分さえ良ければいいやと、他の人が不幸になっても関係ないと考え、行動すること。」

この違いなのではないかと思いました。

インターネットで意味を調べてみると、

善とは、

「よいこと。道理にかなったこと。また、そのような行い。」(Oxford Languagesより)

「道徳的な良さ、道徳的に正しいこと、多くの人が是認するようなこと。」(Wikipediaより)

とありました。

悪とは、

「わるいこと。否定すべき物事。道徳、法律などに背く行動や考え。」(Oxford Languagesより)

「一般的な意味では善の反対または欠如である。」(Wikipediaより)

とありました。

なんか、すごく難しい事のように感じました。

善とは大多数の人が是認するような考えと書いてあるけど、

歴史を振り返ると、

必ずしもそうではないような、、

多数派=善??

悪とは、法律に背くような考えとあるけれど、

確かに普通はそうなのだけど、、

特定秘密保護法みたいなのは?

なんて、考えちゃったりして、、

辞書にはお世話になっているし、

普段は「なるほど」と思う事ばかりです。

けれど、善と悪の説明に関しては、

腑に落ちない物を感じてしまったのでした。

私たちは、これは良い事、これは悪い事って、

保育園くらいから教えられて、

子供でも、「これは良い事?」って聞くと、

「うん。」とか「ううん。」とか

答えられる。

善悪の判断って、

本当は、そんなに難しいことじゃないはず。

それで、つきつめて、善と悪ってなんだろうって考えたら、

上記のような考えに行きつきました。

それに、何よりも心で感じるよね。

これは、良いとか、悪いとか。

この感覚を大事にすることが、

大人になっても大切だと思う。

昔、オウム真理教の特集番組がテレビで放送されているのを

たまたま見たのですが、

洗脳されて、地下鉄にサリンを撒いた実行犯が、

最後に、撒くか、撒かないかという場面で、

もし、自分の良心に従っていれば、

この事件は起こらなかったと。

洗脳されるということは、

良心すらも見失わせる恐いものだと感じた一方で、

最後の最後に、何を信じるかという場面では、

やはり、自分自身の心にある良心の声に

耳を傾けることの大切さを感じました。

どこかおかしい、

これは、何か変じゃないか、

こういう感覚は大切にした方が良いのだと。

信じているものを疑う事は、

自分が崩れ落ちるように恐いことかもしれません。

けれど、時には自分が信じていることを疑う気持ちに

耳を傾ける勇気を持つことも

洗脳から脱却するためには必要なことだと思います。

自分は大丈夫、と思っていても、

人は誰でも、何かしらに洗脳されているものです。

教育だって常識だって、洗脳の一種です。

それが、社会を良いものにする洗脳なら、

問題にならないだけです。

どうせなら、どんなことに洗脳されているかに、

気づいている方が良いと思いました。

話が飛びましたが、

善とは何か、悪とは何か、

という自分なりの判断基準があったら、

自分はどちらでありたいのか、

という選択を

意識的に行えるのではないかと思ったのです。

あなたが持っている善と悪の基準はどんなものですか?

もしかしたら、カルト宗教では、

人を殺すことすらも、世のため人のためなのだと

伝えるのかもしれません。(単なる想像です。)

人は、誰しも不完全なので、

気づかぬうちに、悪に傾いていたりすることもある。

間違う事もある。

分かっていても、めんどくさいこともある。

だけど、最後はやっぱり自分次第なんだな、

と言うことで、

お付き合い下さり、ありがとうございました。

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