常識という名の牢獄

「こんなことを言ったら変な人と思われる。」

それが、誰に迷惑をかけることでなくても

一般的に言われる「普通」の枠から外れていたら

「ヤバい奴」だと警戒する。

そんな風に、私たちは教育されてきた。

「それは、本当に正しいのか?」

なんて、考えるだけでもアホラシイと、

常識では決めつけられるのだろう。

そこが、安全地帯だから。

そこから出ると、異端者になるから。

物事の本質を見抜こうとすること、

自分の力で考え、判断することよりも、

権威者の誰かの言う事が正しいのだと

信じ込まされてきた。

大人になっても、

成長期に身に付けた価値観は

影響し続けている。

例えば、「コロナワクチンは危険なものだよ。」と

伝えようとしたら

「おかしい人と思われるから、やめておきな。」とか

それこそ、一生懸命、その必要性がない事を説こうとする。

それも、私を想ってのことだと言うのは分かる。

安全地帯から出るなという警告。

それは大抵、最も身近な人から発せられるんだ。

だけれど、毒饅頭だと知っていて、

何個も食べている人を前にして、

黙っていることは、

悪事に加担しているのと同じなのではないか

選択の自由があるのだから、と言うけれど

大人なんだから、みんな自分の考えを持っている、と言うけれど

そんな風に言うのは、

ただ単純に、

恐ろしい真実を見てないだけなんじゃない?

薄々、おかしいなと思っても、

見て見ぬふりをしているのかな。

「接種は任意、自己判断に任せます」と言うのは、

政府が責任から逃れるための言い訳、

としか思えないのだけれど。

それでも、強制にされるよりは、

はるかにましだけれど。

あの人も、この人も、、

見ているのは、辛くてたまらなくなる。

その情報は、本当に正しいのか??

きちんと細部まで調べなければ分からない事実。

不十分な情報提供、

科学的根拠のない偏向報道

厚労省のホームページは、

詳細まで調べないと危険だという事が分からないように、

言葉を選んで書かれている。

ワクチンのQ&Aでさえ不正確で、

参考資料まで目を通して、初めて分かる安全性への懸念。

私たちが、本当に誰かを大切に想う気持ちを大切にして、

自分さえ良ければ良いという気持ちに従わず、

「変な人と思われても構わない」

と覚悟を決めて

打ち勝つことが出来なければ、

この世の中を支配する

巨悪の思う壺ではないだろうか。

常識という見えない牢獄に

私たちは閉じ込められている。

それは、子供のころから行われ、

とても巧妙だから、

閉じ込められていることにも普通は気づかない。

ひとりひとりの責任感や行動基準が変わらない限り、

この見えない牢獄からは出られない。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする