いつか、救世主が現れるとか、
そういう話って、ありますよね。
資本主義の世の中は競争社会で、
常に、勝ち組と負け組がいて、
競争を勝ち抜いた人がヒーローや成功者と呼ばれます。
例えば、今は大谷翔平さん。
凄い人気ですよね。
話をすると、誰もが彼を褒めます。
「かっこいいよね。」と。
それは、別に良いのですが、
こういう風潮の中で、
「誰か、桁外れの凄い人が現れて、何とかしてくれる。」
と言うように、救世主に対する期待が、
知らないうちに醸成されて行くのかな、、なんて感じたり。
自分の叶えられない願望を誰かに託す。
自分にはその力がないからと言う
あきらめを抱えて、魂の輝きがくすんでしまっている。
まだ、小さな子供たちは、自分がヒーローになれると
信じている間は、キラキラと目を輝かせています。
けれど、大きくなるにつれて、
そんなことを夢見るのは馬鹿げている。
凄い人なんて、たくさんいる。
自分なんてたかが知れている。
そんな思考に染まっていく。
本当に、そうなのかな??
別に、大谷翔平さんにならなくて良いけれど、
自分がもっとも自分らしく輝く、
そんな自分になることを目指したら、
誰もが世界一になれるのではないかな。
他の人がどんなに真似しようとしてもなれないもの。
それが、自分なんじゃないかなと。
他の人は、どんなになりたいと思っても、あなたにはなれない。
大谷翔平さんに向けている憧れを、
あなた自身に向けられたら?
どれだけ輝くのでしょうか。
本当の自分を精一杯、楽しんで生きて、
魂が輝くような幸せを感じていたら、
それが他の人から見て、おかしいように見えたとしても関係ないし、
どんな人を見ても、嫉妬する気持ちなんて、
湧いてこないのではないかなと想像します。
風変りでも幸せ。
そんな人が増えたら、面白いですね。
自分が心の奥底から感じるものを大事にして、
こっちへ行きたいという方向へ歩みを進めて行くと、
オンリーワンの自分になっていくんじゃないか。
それは、お金が稼げるからとか、
そんなことすらも気にならないような、
心の底からの憧れや挑戦してみたいこと。
大好きなこと。
つい、時間を忘れてやってしまうようなことの中に、
ヒントがあるのかもしれない。
絵を描いたって、文章を書いたって、
同じものは世界に2つとはできない。
あなたには、あなたにしかなれないものがあり、
あなたにしか作ることのできないものがある。
それは、誰かと比べてどうかとか、
そんなことは関係なくなるようなもので、
それぞれの人が、それぞれの魅力を最大限に発揮して良いし、
それを許可するのは、他の誰でもない、自分であるという事。
誰かに期待するのではなくて、
自分が自分の世界を創る主人公で、
身に着けてきた余計な常識や価値観に囚われなければ、
自由に生きられるし、
その鍵を持っているのは自分だと言うことも、
行動しながら理解できてくる。
「自分にはなんの力もない」という幻想の世界から、
子供の頃に感じていた、
「自分は何にでもなれる」という無邪気な気持ちを
取り戻すことができたら、
楽しい世界が待っているかも。
その扉を開けるのも、閉めるのも、自分次第。
誰かを崇拝することは、
誰かに力を明け渡してしまうこと。
決定権や選択権を委ねてしまうこと。
偉い先生が言っていたから、
大勢の人がそうしているから、
参考にするのは良い事だけれど、
その人達を信じる理由は?
それを言えない時、私はもう少し考えてみます。
科学的根拠があるから?
確かに、この世界には理にかなった法則はあるし、
論理的に考えることを否定はしません。
それでも、科学は完璧?
本当は、自分の中にこそ真実があって、
現実すらも創るような力があるとしたら?
そのうち、AIがこうだと言っていたから、
と言うのも出てきそうです。
そのAIの参照元のデータが
人間の出した情報だと考えると、
間違いである可能性はないでしょうか?
この深遠な宇宙の真理を、人間の脳や
視野の狭い科学で理解するには限界があります。
万が一、何らかの意図を持つようなプログラミングを
施されていたら、AIに洗脳だってされかねないかも?
考える力を持ち続けることは大切だと思います。
だから、他の誰かよりも一番信じなきゃいけないのは、
やっぱり自分のことなんじゃないかなと思っています。
たとえ、時には、葛藤がありながらでも。
どんなにちっぽけで、頼りなく見えたとしても。
レベル1の村人が、
経験を重ねて勇者になっていくように、
少しずつ、強くなっていく。
行動しなければ、何も変化しない。
心の奥底に封印された、
何かの願いを発見したら
人に話さなくても良いので、
こっそり、大切にして頂きたいなと思いました。
今日も、お読みくださいまして、ありがとうございました。