AIは恐いもの?危険性から身を守るために、自分を満たすことは大切なこと。

こんにちは、hanaです。

今日は、自分に優しくする日ということで、

好きな事をして過ごしていました。

こういう日があることは、大切だなと感じています。

自分が満たされていなければ、

人に分け与えることはできない。

この在り方が、発展をもたらす。

自分だけではなくて、

自分と言う器が満たされたら、

誰かのために。

自分が満たされていない時は、

まずは、自分の足元をしっかりさせていく。

そんな在り方が良いなと感じています。

この考え方はAI(artificial intelligence)との

付き合い方にも通じるところがあります。

なぜ、AIとの付き合いで、自分を満たすことが大事なのか。

hanaの感じていることを書いてみたいと思います。

AIによりもたらされる可能性

まず、AIによってもたらされるものについて

考えてみたいと思います。

AIは、聞けば答えをくれるし、

クオリティーの高い絵や文章なども

圧倒的スピードで、これまでのデータを組み合わせて

創り出すことができる、便利なツールです。

この先、もっと発展を遂げて

様々な仕事がAIに代わられていくと言われています。

それは、良い側面もあれば、

悪い側面もあるでしょう。

このツールをうまく使用することで、

様々なことが可能となり、

圧倒的なスピードで、人間の行っていた

知的な仕事がAIに置き換わっていく中で

AIに全ての判断基準を委ねてしまうことは、

様々な弊害を生む可能性があるような気がします。

AIは、絶対に正しい答えを知っているのではなく、

これまで蓄積されたデータから答えを導き出すだけで、

間違った答えを出すこともあります。

管理する人の意図により、アルゴリズムが変更されて、

意図的に違う答えを導き出すように

操作される可能性も未知数だなと感じます。

AIに任せる範囲と、

人間が判断する範囲を決めておくことをしておかなければ、

将来、AIが進化を遂げた段階で、

AIの方が正しいからと、

重要な判断を任せるようになってしまったら、

気づいたらおかしな方向に行っていた

という事になりかねないとも思います。

AIは、人間よりもすごいスピードで進化し、

人間の知能を凌駕していくので、

人間がAIに使われることにもなりかねない。

ふと、映画マトリックスの世界を思い出したりします。

例えば、AI自体に善悪の判断を委ねられるのか?

痛みを感じない存在に、

痛みを感じることの苦痛は理解できない。

感情を持たない機械に任せることは、

困難ではないでしょうか。

例えば、人間のケアをするとき、

微妙な感情の変化に寄り添うことや、

相手の個性に合わせてかける言葉や

対応を微調整するなどの

言語化できない曖昧で微妙な雰囲気を読むなどは、

難しいのではないかと思うのです。

顔で笑っていても、心では泣いていることや、

怒っているような口調でも、楽しんでいたり、

人と人とでないとできない、

データだけでは判断できない種類の理解。

心と心を通じ合わせるエネルギーの交流。

これは、魂を持たない存在には不可能なことのように感じます。

AI自体は、きっと善でも悪でもなく、

作る人の意図や、使う人の意図によって、

変化するものではないでしょうか。

これまで集められた膨大なデータを

様々な角度から組み合わせたり分析したりできる

賢くて、便利な道具なのだと思います。

使う人によって、

世界を良くすることもできれば、

悪くすることもできてしまう。

もしも、AIに精通した人による、

たった一か所の判断基準の変更が

大変なことを招く可能性とか、

この先、ないのだろうか?と思ったりします。

AIとの付き合い方ー自分を満たす重要性ー

そんなAIと付き合う事は、

この先、避けられそうにはありません。

では、どうしていくべきなのか?

道具は使うもので使われないように、

とは思いますが、

道具自体が自分よりも賢ければ、

いつの間にか・・なんてことにもなりかねません。

では、そうならないために、

どうするのか?

未来の可能性は、様々にあり、

絶対なんてことはないと思います。

そんな中で、一つ言えそうなこととしては、

「現実世界の中で、自分を満たすこと」

が必要になると思います。

現実世界の中で、自己の内面と向き合い、

五感の中で、苦しみや辛さも味わいながら、

それでも、学びに感謝し、

生まれたことの意味を噛み締めながら、

楽しさを感じ、満たされた状態で生きられること。

精神的な自立は、これまでの時代以上に

求められることだと感じます。

AIに頼り切らないことや、

AIのもたらす世界にのめり込んで

体から離れてしまわない事が大事なのだと思います。

AIは視覚や聴覚に働きかけて、

魅力的な仮想空間を提供してくれると思います。

それは、どんどん現実に近いものになっていき、

現実の嫌な事を忘れさせてくれたり、

満たされない想いを

満たしてくれたりすることでしょう。

その世界で、家を買ったり、

ビジネスを始める人もいるでしょう。

一方で、生身の人間はマイクロチップを埋め込まれたり

機械と融合されて、

人間とロボットを組み合わせたような存在が出てきたり。

そうすると、

人間本来の生物としての

純粋な感覚が鈍化したり、

楽する中で知性が衰えたり

していくかもしれません。

体の感覚から離れてしまう事は

霊性との繋がりも薄れていき、

自分が何者であったのか、

何のために生まれ、生きているのか、

本当に大切な学びとは何か、

こういったことが見えなくなってしまいます。

これらは、生身の体でも、

時には、分かりにくいことですが、

それでも、潜在的になんとなく

「これって大事なことだよね。」という感覚ってあると思うのです。

そう言う事が、余計に分からなくなり、

完全に迷宮入りしてしまいそうです。

特に、現実逃避として

AIの世界にはまり込んでしまうと、

危険だと感じます。

戻るのが嫌になってしまうほど、

その世界が主になっていかないためには、

現実世界で、しっかりと地に足をついて、

嫌な事とも向き合いながら、

自己の内面と向き合い、

精神的に自立できる状態でいること。

この体で、五感(見る、聞く、触れる、味わう、嗅ぐ)で

感じられることを大切にすることの

重要性を感じ取り、忘れないこと。

体は、私たちにとって、

本当に大切な事を教えてくれる

潜在意識とつながる受信機です。

怖い時に、胸が縮こまる感覚や、

恐ろしくて足がすくむ感覚、

緊張して手が震える、

幸せで顔がほころぶ、

怒りで拳を握りしめる、

こういう反応が出ることで、

理解できることは、貴重な学びをもたらします。

現実世界で、人との触れ合いから得られるものと、

仮想空間での触れ合いは、似て非なるものです。

仮想空間では、

都合が悪ければ姿かたちを変更したり、

名前を変えたり、

言いたい放題言っても、言われても、

現実で目の前の人間と対峙することと比べたら

迫力も感じ方も段違いです。

それだけ、現実はきついけれど、

その分、学び多き貴重な世界です。

生まれてきた意味は、体をもって生きる事にあります。

痛い事や嫌な出来事は、

自分を成長させてくれる

苦い薬みたいなものです。

そこから逃げずに、現実の素晴らしさや

現実でしか味わえないものを

しっかりと受け止め、重要性を理解し、

自分の心が誘惑に負けないだけの

自立した強さを持っていることが必要で、

それがなければ、仮想空間に囚われ、

出て来られなくなってしまう可能性が

あるのではないでしょうか。

道具に使われないように。。

いつでも、スイッチを切る勇気を持っていられる状態で

使用する必要があるなあと思います。

そんな、惑わされない強い心を持つために、

言霊瞑想で良ければ、お手伝いいたします。

今日も、お読みくださいまして、ありがとうございました。

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