情報の取り扱い方について思ったこと。

今日は、情報の取り扱いについて

考えたことを、思いつくままに

書いてみたいと思いました。

過去の歴史から

情報の恐さを考えた時に、

過去の歴史の中で、

第二次世界大戦でのユダヤ人虐殺の悲劇

があったことを思い出しました。

ヒトラーは大衆を扇動する方法を知っていました。

ヒトラーによる扇動は、以下の様なものでした。

・大衆は愚か者である。

・同じ嘘は繰り返し何度も伝えよ。

・共通の敵を作り大衆を団結させよ。

・敵の悪を拡大して伝え大衆を怒らせろ。

・人は小さな嘘より大きな嘘に騙される。

・大衆を熱狂させたまま置け。考える間を与えるな。

・利口な人の理性ではなく、愚か者の感情に訴えろ。

・貧乏な者、病んでいる者、困窮している者ほど騙しやすい。

・都合の悪い情報は一切与えるな。都合の良い情報は拡大して伝えよ。

・宣伝を総合芸術に仕立て上げろ。大衆の視覚聴覚を刺激して感性で圧倒しろ。

「ヒトラーの大衆扇動術」より

このような事を知っておくことは、

大切だなと思います。

世の中には、とても頭の良い人たちがいます。

誰かを崇拝するということは、

自分の決定権を委ねることでもあります。

楽な方向に逃げることをしがちで、

難しい事を考えたりするよりも、

権威の言う事に従う方が確実で安心。

みんなと同じ方向でいる方が安全。

こんな風に考える人が多いかもしれません。

ヒトラーの考えを知ることで、

自分の頭で考えることの大切さを感じました。

大衆や権威の意見は

作られている可能性がある。

それは、ナチスの時代に行われていました。

新聞などのメディアは、

人心を把握するため、考えを統一するために

利用されていました。

混乱した時代の中では、

不安と恐怖にかられて、

安心できる何かにすがりたくなる気持ちが、

権威に力を持たせます。

大衆と違う考えを持つことの重要性。

混乱期にあっても、

「これは、おかしな方向に進んでいる」

と気づいていた人々は居たでしょう。

多様な考え方の人がいて、

それをお互いに尊重することで、

様々な場面での突破口が見つかる可能性や

おかしなことに気が付ける可能性が広がること。

ほとんどの事が、「思い込み」だったりします。

自分で考えること、自分の意見を持つこと。

できれば、身近な人と語り合うこと。

何が正しいのかなんて、

結局、確認しようがないことも多いから、

最後は、何を信じるのかってことになるけれど。

それでも、そうする意味はあるのかなと思います。

小学校の教科書から

そんなことを考えている時に、

今の小学校の教育では、社会と国語の教科書に

ニュースなどのメディアが伝える事に対して

どのように向き合ったら良いのかということを

教えてくれていることを知りました。

以下に教科書の内容を載せさせて頂きます。

新しい社会5下 東京書籍 より
国語5銀河 光村図書 より

教科書を見て、

こういう事を小学生のうちから教えてくれて

有り難いなと思いました。

テレビの報道を見て、

感染者数の発表を毎日繰り返したり、

不安を煽る印象を強く受けて、愕然としていたために、

つい、否定的な見方をしていました。

ただ、情報をありのままに受け止めて、

不安や恐怖を感じ続けるのではなく、

その情報を吟味していく。

教科書にあるように、

想像力のスイッチを入れ、自分の頭で考えること。

報道されている内容の

客観的事実と、放送する側の印象を分けて捉えること。

報道されていないことは何かを考えること。

このことを意識することは、

大切なことだなと思います。

そして、ニュースが、

共同通信やAP通信といった、

共通の情報源を介しているため、

報道内容が似通ることが、

どんな現象を引き起こすのかを想像することや、

電通といった広告代理店を介して、

番組に広告費が支払われているということ、

テレビ会社にも株主がついていて、

外資の存在もあること。

情報番組でもニュースでも

バラエティーでもドラマでも、

その存在が流行を作ることで

私たちの価値観に影響を与えていること。

内容がなんであれ、こういう事も、

考えながら見ていく方が良いなと

思っています。

ファクトチェックの存在も、

有り難い視点を提供してくれます。

そのファクトチェックは、

誰によって、何の目的で

誰のために存在しているのか。

こう言う事を考えることも大切だと思います。

情報との付き合い方について思うこと

いろいろな情報について、

楽なので、ただ信じたいと思うのが心情ですが、

何事も、自分で考え、

判断していく癖をつけることが必要だと思います。

博識な方の中には、

とても批判的な思考が得意な人もいます。

私達には、それぞれに思想の自由も

言論の自由もあります。

信じる根拠も、人によって違っていて、

科学的根拠がなければ絶対に信じないという人もいれば、

私のように、感覚的に信じるものを決める人もいる。

間違っていたら、発表してはいけないわけではないし、

面白い視点として、捉えていくのも楽しい事です。

真実を見極めることは、

本当に難しい事で、

報道のプロでも間違うことがあるそうです。

私自身は、情報に関しては素人なので、

できるだけ正しい事を、と思っていますが、

間違っていることもたくさんあると思います。

そこは、そう思って読んで下さると有難いです。

その上で、間違っていても良いから、

自分の視点で考える努力をすること、

判断を他人任せにしないこと、

こういうことは、必要なことだなと思います。

今日も、お読みくださいましてありがとうございました。

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